五感で伝える*~F:誘惑

「待った?」
「いや?何食べたい?」
「何にしよう!」

ごく自然に腕を絡めてくる彼女を連れて、俺は歩き出した。
その直前まで、局を出たところで彼女を待っていた俺の相手をしてくれていた相手は、愛しい彼氏の元へと向かっている頃だろう。

堅苦しい肩書を持つくせに、男前な彼氏は、ついこの前までそいつを散々泣かせてきた。

「どうしたの?なんだか嬉しそう」
「そ?そりゃ、君と一緒にいるからデショ」

ほんとに?と喜ぶ顔に、さっきまでお人よしにも俺に付き合ってくれていた稲葉の顔を思い出す。

―― ほんとに嬉しそうな顔で行ったなあ

俺には2年も振られた相手を思い続けるなんて出来やしない。あれこそ、ザ、純愛という奴だろう。
人の恋路でこんなに幸せになれる自分の事も、お人よしだなと思わなくもないけど。

頭を切り替えて目の前の彼女に集中した俺は、彼女を連れて最近人気の野菜をアレンジする店へと連れて行く。

「野菜だけなの?」
「そうらしいよ。野菜をアレンジしてコースで食べられるんだってさ」
「藤枝さん、意外。ベジタリアンなの?」
「いーや。肉食。わかるでしょ?」

ん?と眉を上げると、意味を理解した彼女がほんのりとピンク色のオーラを纏う。

小さな駆け引きで声音が一瞬のうちに変わる。
仕事柄、声を操るのはお手の物だから。

高い、低いだけじゃなくて、声に潜ませた欲望を一押しすれば女心を動かす。

「そういう事、言うの?」
「そういう事って?バラエティの藤枝も、ニュースを読む藤枝も好きって言ってくれたんじゃないっけ」
「言ったけど……」

目尻がほんのりと赤くなった彼女に、可愛いよ、とさらり呟く。
こんなにも容易いようでいて、女の子は難しい。

俺にとってはね。

「あのさ。聞いていい?」
「いいよ。もちろん。何?」

デーブルの上のグラスも、店の雰囲気もよくて、洒落ているなと思うけど、トータルした雰囲気はツールでしかない。片腕だけ肘をついて、彼女に問いかける。

「たとえばさ。幸せになってほしいから別れるなんて男がいたら許せる?」
「えぇ?それ、どういう質問?」
「うーん、単なる興味本位。女の子ならどう思うんだろう、ってかんじかな」

ふうん、と言った彼女は、左の耳に手をやった。
じっと見つめているとどうやら考え事をしている時のくせらしい。無意識なんだろうなぁ、とその顔を見ていると伝わってくる。

「藤枝さんはそういうタイプに見えないからきっと違うんだと思うけど、もしそういう人がいても、好きになるかな」
「好きにはならない?」
「私、不真面目だからそういう真面目なところにはついていけないかもってこと。私はね。ちょっとダークな人の方が好き」

考えたよ、という彼女にもう少しだけ突っ込んで聞いてみたい。
と言うのも、彼女以上に、はっきりしていて、そういうタイプよりも母性本能をくすぐるような男の方が似合いそうな稲葉がはまった理由を時々、不思議に思うからだ。

「真面目かな?」
「その人は真面目なんじゃない?ちょっと自己満足かなって気もするけど。それと、幸せって勝手に決めないでよって思うけどね」
「へぇ。意外。そんなこと言うの?」
「言う~。藤枝さんだったら私のこと、幸せな気分にしてくれそう」

うまいこと言うなあ。気分なんだ。

ふと、自分でも気づいてしまった。可愛いと思う子でも、意外と言葉がしっかりしている子が俺は好みなのかもしれない。
彼女も、見た目はふわふわと今どきの可愛い子で、行動だってそうだ。こだわりなく、デートだと言えば腕を組んでくる。

でも、ふとした瞬間にこういうことを言う。

「可愛い雑貨とか、贈り物をもらった瞬間みたいな感じ?」

ちょっとドキドキするけど、ずっとじゃない。
なんて的確なんだろう。

だから女の子は難しい。

食事をシェアしても、簡単には心の内側に入れないからね。
店を出て、お腹は満たされた顔でも物足りなくて、もう少しどう、と誘ってみる。

「でも、藤枝さんはほんとは、“落ちない女”が好きなんじゃない?」

にこっと笑った可愛い顔なのに、目の奥が笑ってない。

―― はい。ご明察。

だって、この瞬間に。

『本命一人に絞りなさいよ』

そんな声を耳の奥で聞いているから。

投稿者 kogetsu

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です