彼女が来た時に、俺はまた痛そうな人が来たな、と思ったんだ。正直なところ。
ガツガツだという彼女は、若いし、美人だし、きっとその勢いでガツガツやって来たんだろうな、ってことはすぐわかる。
でも、そのガツガツと、俺の隣にいるオッサンはどことなく同じな気がした。
俺はあまり得意じゃないけど、きっと隣のオッサンとは気が合いそうだな、とか。
「あんたみたいなお嬢ちゃんにはわからない」
その声が震えていたことに気付いたのはいったい、何人いただろう。
ガツガツの稲葉さんが得意そうに会社のむかつく相手をやり込めたという話に危ういな、と思っていたが、我慢できなくなったオッサンがついに噛みついて、出て行った。
皆、出て行ったオッサンが気になっていたから、俺もその後を追いかけたけど、広報室を出る間際に室長の部屋に移動する彼女がひどく傷ついた顔をしていたことに気付いたのは誰もいなかったはずだ。
「そんなに男を磨かんでください」
「うっさい!あんたこそ、ケツ垂れてきてんじゃないの?」
―― そんなに無理に傷口を隠さんでください。今すぐ、抱きしめたくなるから
俺の本音をよそに、オッサンはさっさと身を翻して逃げていく。繊細で、努力家で優しい人。
この人がこんな風になった理由もすべて知っているからこそ、俺は目が離せなくなる。
PVの撮影にかこつけて、デートに誘ったのは、もう今しかないと思ったから。
それに、一瞬、俺の目に揺れたその顔を見たから。
これで駄目なら、すっぱりと諦める……、ことはできないけど、態度に出すのはやめようかと思っていたが、柚木三佐はちゃんと約束通りに姿を見せた。
「……律儀な人ですね」
「あんたが誘ったんでしょうが!……あたしがこなかったら、ずっと待ちぼうけしてるのもかわいそうだと思って」
照れくさいのか、身の置き所がないのか、ひどく落ち着かない様子の柚木さんを連れて、いわゆるデートコースを歩く。
映画を見て、食事をして。
ぶらぶらと歩きながら、柚木さんは気が付けば稲葉がね、稲葉が、とガツガツの彼女の話ばかりをする。
「稲葉らしいでしょ。あいつも女だって自分で認めてます!なんて言う割に、てんでそういうの苦手なんだから」
「柚木さんに似てますね」
「あたしは似てないわよ。オッサンだもの」
「オッサンなんかじゃないって言ったじゃないですか」
ぎく、とあからさまに動揺した柚木さんから目を逸らさないでいると、視線が泳いでまた身を翻しそうになる。その手を俺は掴んだ。
ぐっと力を入れられても、どこまで行ってもやはり女性の力だ。
振り払えずにいる柚木さんを引っ張って、強引に歩き出す。
飲み屋街の道を一本外れれば、その手の建物がある。
「ちょ、ちょっと槇!」
「デートですから」
「何言って……」
目についた入口まで強引に柚木さんを引っ張ってから俺は振り返った。
「嫌なら俺の手を外して今から帰ればいいです」
「外してったって……」
―― 外れないじゃないのよ!
慌てた柚木さんが本気で嫌がっていればすぐに力を緩める気はあった。でも、俺の目にはそうは見えなかった。
俺の手を外そうとしてもがく姿は、いつものオッサンでもなく、ただ、慣れない状況に慌てた一人の女性だった。
「……じゃあ、入ります」
「ちょ、槙!」
強引すぎることはわかっているけど、ここで気を抜いたら次がないことぐらい俺にだってわかる。
鍵を受け取って、部屋まで移動する間も、細い手が俺から逃げようとして、何度も俺の手を掴んだが、本気で逃げたかったら俺の手を引っ掻いてでも何してでも逃げるはずなのに、絶対に爪をたてたりするようなことだけはしない。
もしかしたら、こんな場所の入口でもめてたらあからさますぎてみっともないと思っているのかもしれないと、少しだけ頭をよぎったけど、構わずに部屋に引き込んだ。
「あんたねぇ!」
「手」
ぱぱぱっと灯りのついたその部屋は、普通のシティホテルと大差なくて、ただ、すこしだけ広い上に、ダブルよりも大きめのベッドが一つ。
振り返って帰ろうとする手を引き上げた。
「本気で逃げたかったら俺の手を引っ掻いてでも、蹴り飛ばしてでも逃げればよかったじゃないですか」
「な、何、そんなの、だいたい、あんたが本気だなんて」
「俺は本気ですよ。じゃなきゃこんなところに連れてきません」
「な、あ、か、帰る!手、放して」
逃げようとするなら。
壁に押し付けて、腕を掴んでいない方の手で顎のあたりに手を添えると怯えた顔に口付けた。
唇を舐めて、くいしばっている歯をなぞる。噛みついてやろうとでも思ったんだろうか。
「ん、は……」
口が開いた瞬間に、舌をねじ込むと、なおさら慌てたのか舌が押し返そうとしてくるところを、深く押し込んだ俺の舌が蹂躙する。
少しずつ抵抗する力が抜けて、ずるずるっとしゃがみこみそうになった柚木さんを支えて、唇を離した。
「は……」
「柚木さん。もう諦めてください。あなたは俺の前では女になってるし、それを自覚してるはずです」
「なに言って……」
「まだ、言いますか。諦め悪いな」
―― もうあなたは俺のものになるって決まってるんです
抱き上げた柚木さんの体は、軽くて、いつもはつけていない香水の香りがして。
ベッドの上に少し乱暴に放り出すと、そのまま手を絡ませて頭の上に押さえ込んだ。
「……最終確認しますよ。降参しませんか。俺に」
「あ、あんたになんか」
なんて言おうとしたんだろう。
言いかけた口を今度は優しく塞ぐ。噛むなら、噛めばいいと舌先を滑り込ませたら、思いがけず、舌が絡んできて吸い込まれた。
驚いて目を開けると、柚木さんの目が俺を見ている。
その瞬間、ビビったのは俺だったかもしれない。身を引きかけた俺を見上げてくる柚木さんが怒ったような顔でぼそりと呟く。
「あんたこそ、あたしに負けたまんまでしょ」
―― そうですよ。あの大昔の剣道場の日からずっと
俺の目に映るもの。