初めは、何も見ていない目だと思った。
なんてやる気のなさそうな目。
私には関係ない。
私の目も彼を見ていなかったと思う。
それが、ある日から『私』を見る目が柔らかくなった気がした。
しょうがないなぁ。
そんな目で。
時には、素直に教えを乞う目だったり、戸惑いを見せる。
こんな風に、まっすぐに考えてることがわかる『目』なんて私は知らなかった。
こんな風に、私を誘惑する『目』に私は捕まった、と思ったのに。
すべてを断ち切った季節を二回。繰り返した後に会った、彼の顔には私がいなかった。その『目』以外のどこにも。
その『目』にだけは私がいたから。
「……どうしたの?」
ううん、と言いながら彼の胸の上に上半身だけ、ぺたりと張り付いてみる。
「重い?」
「重くないよ」
これで重かったら大変でしょ。
笑いを含んだ声を聞きながら、僅かに動く喉仏のあたりに指先で触れる。
普段の印象とは違う、シャープな顎のラインと少しだけ伸びかけの髭。こんなに近いから産毛の見える耳たぶ。
つつ、となぞる私の指先に、くすぐったそうに笑う。
「おもしろい?」
「んー……。不思議だなって」
「不思議なの?」
うん。
だって。
髪の毛の一筋まで私を拒絶したこともあるのに、今は私を受け入れているから。
頬に触れたら、悪戯好きの子供みたいに、口の中で舌を動かして、指が触れているところが盛り上がる。おもしろがって、ぐりぐりと押し返して、その後を追いかけたら、ぱくっと指先を食べられてしまった。
「ふふ。俺の勝ち」
「これ、私の負けなの?!」
「そ。罠にかかったでしょ?」
「わ、罠だったの?」
本気で笑うから、私がぺたりと乗っている胸まで上下する。素肌で密着しているからドキッとした心臓の音まで伝わりそうだ。
「そうだよ。うさぎさんを捕まえる罠」
手で覆っていた内側で、瞬きをしたらしく、長いまつ毛に掌がくすぐられる。
「これ、いつまでしてるの?」
自分の目を覆っている掌に、彼の手が触れた。
「だって、これを外して目を開けたら負けですよ」
「えぇ?俺の負けなの?」
もちろん。
負けですよ。うさぎに負けるんです。
そんな風に言ったらどうするだろう。考えただけでおかしくなってきて、くすくす笑ったら、目を覆っていた手が大きな手に連れられて、彼の口元に触れる。
さらっとして、柔らかな唇が手に触れた。
覆いを外した目は伏せられたままで、その顔と掌に感じる体温に息が詰まりそうになる。
「負けるのかなぁ?」
「私、負けず嫌いだもの」
「ふうん?俺も負けず嫌いじゃないかなぁ」
だって、元戦闘機のパイロットだよ?
少しだけ声が変わる。ふざけていた口調から、低くなった声に試してみる?と返すと、ゆっくり色素の薄い目が開いた。
「……」
「……」
無言で見つめ合うと、今度は彼自身の手がその目を覆った。
「……負けた」
ほらね。
だって、もう離れないって決めたから負けるはずないの。
予想通りの反応に、満足を覚えていると、目を覆っていた手が持ち上げられたと思ったら、すすっと背中の真ん中を撫でられた。
「きゃっ」
驚いて、ぞくっとした感覚にぴったりくっついていた素肌から離れると、両腕を抑え込まれてくるりと体勢が逆転する。
見上げる先に、一度は伏せられた目が私を見ていた。
「負けたままは嫌なんだ」
だって、もう離さないって決めたから。
目を伏せることなく、そのまま口付けられるとくらりとして先に目を閉じてしまった。
唇を触れさせたまま、俺の勝ち、と囁かれてわざと首を振って逃れた。押さえられていた腕に力を入れると、すぐに解放される。
その腕で引き寄せた彼の耳元に囁く。
本当は勝ち負けなんて、どうでもいいの。私だけを見ていてくれれば。
ぴく、と一瞬、動きを止めた後、無言で首筋に唇が落ちてくる。
切なげに歪んだ視線に目を開ければ、ぽつりと彼が呟いた。
「……やっぱり、俺の負けかな」