「お恥ずかしいんですけど、鷺坂さんにお願いするしか思いつかなくて……」
「光栄ですよ。なんたって、俺の料理はね。雪子が作ってくれて、俺を虜にした味だからね。それを俺が磨きをかけた。こんな料理で落ちない男はいないよ?」
稲ぴょんからの申し出を快く俺は受けることにした。
鷺坂正司。まだまだ現役バリバリの元自衛官。
現役で、元自衛官と言う表現が正しくないのかもしれないけど、やっぱり俺はそうなんだよね。
料理は雪子が亡くなってからはじめたものだけど、それがこんな風に役に立つなんて思いもよらなかったんだ。
宮城と東京を行き来していた俺のところに稲ぴょんから連絡が来た。なんと、仕事の都合でもう一か月も顔を合わせてないらしい。
「何やってんの。稲ぴょんの方から行けばいいじゃない」
「いえ、大祐さんが仕事があったり時間が合わないと気を使わせてしまうので」
「そんなの夫婦で気にし合ってどうするの」
相変わらずの二人なのが嬉しいのか、情けないのか、お父さんとしては複雑なのよ。この二人には幸せでいて欲しいからね。
困った二人だと、顔に出たのか、稲ぴょんが申し訳なさそうに頭を下げる。
「いや、俺はね?稲ぴょんのお父さん変わりだから。心配してるわけよ」
「ありがとうございます。だから、そんな鷺坂さんにおねがいできないかなって思ったんです」
どうせ会えない時間が長いならその間に、空井の胃袋を掴めるような料理を教えて欲しいという。
確かに、稲ぴょんは女性の割にバリバリ仕事をするから、余計自炊と言っても大したものは作らなかったんだともう。逆に空井は、普段はほとんど作らないだろうけど、基本は叩き込まれてるからなんでもそつなくこなす。
その上、愛妻の喜ぶ顔見たさに、小手先でもアレンジするのだろう。
その空井を満足させて、胃袋を掴む料理なんて、腕が鳴るってもんじゃないの。
「空井は稲ぴょんが作る料理なら何でも嬉しいと思うけど?」
「それはそうかもしれませんけど、それでも、空井さんがまた食べたい、すごいって思ってくれるようなご飯って覚えたいんです」
可愛い新妻の稲ぴょんからのお願いだ。お父さん、頑張っちゃうよ。
「しかし、あれだね?稲ぴょんも可愛いこと言うじゃない。旦那になった空井が驚くような料理を覚えたいって」
「全然!そんなんじゃないんです。ただ、なんていうか……」
「ん?」
「大祐さんがなんでもできちゃうので、ついつい任せちゃうんですけど、少しでも自分にできる努力をしたいなって思うんです」
「そっか」
可愛いことをいうもんだ。空井がきいたら、真っ赤になって飛びつくくらい可愛い事を言ってるってわかってないからますます可愛い。
俺は、受話器を握りながら、こういうのも悪くないなと思う。
俺と雪子の味を稲ぴょんが受け継いでくれて、いつか空井と稲ぴょんの味になるんだろう。
幸せな味ねってきっと雪子も言うだろうな。