その日の取材は、名古屋で行われているイベントを取り上げたもので、珍しくリカも同行していた。チーフと言う肩書が増えてからほとんど現場に出ることはなくなっていたが、たまたまのことが妙な運を引いてしまったらしい。
「ひでぇ雨だな」
「そっすね。こりゃ、帰りやべぇかなぁ」
カメラマンたちの話が後ろから聞こえる。イベントは大雨で中止になり、帰りの足も危うくなり始めていた。撤収の支度ができるのを待っている間も、近くの公民館の大きな窓ガラスに滝のような雨が降り注いでいる。
「稲葉さん、マジでやばいかも。新幹線止まっちゃったみたいです」
カメラマン二人は機材車で戻るのはもともとも予定だったが、リカだけは翌日から休みを取っているために新幹線で戻ることになっていた。
交通情報をチェックしていた大津が心配そうな顔でリカを振り返る。
慌てて携帯から交通情報を確かめると新幹線だけではなく、高速道路も通行止めが次々と増えて行っているようだった。
「坂手さん達は、どうするんですか?」
「こうなっちゃったら、俺らはどうしようもねぇよ。取材は、この調子じゃ延期になるだろうしよ」
彼らは社に連絡を入れて、このあと通常の態勢に戻れるまで取材があったら別のカメラマンが向かえるように手筈を取るしかない。坂手の後ろで大津が社に連絡を入れているらしかった。
だが、リカにはどうしても戻らなければならない事情がある。
そこに、ばたばたと町役場の職員が駆け込んできた。
「あの!土砂崩れがあって、道路が通行止めになったって……。それに川の水量が増していて、決壊の恐れがあるっていうことで、今日はもう身動き取れないかもしれません」
どこへ向かうためでもこの地区から出るための道路が寸断されてしまえば、移動はできなくなる。新幹線や高速道路という話では済まなくなる。
町役場の職員は、とにかく取材できたリカ達にも無理に動かず、ここにいてくれと言って再び戻っていった。
リカは急いで交通情報を開いていた携帯で社を呼び出した。情報局の部長になった阿久津宛だ。
「それで、予想以上に状況が悪くなっていて、新幹線や高速道路の通行止めだけじゃなくて土砂崩れでこの地区、自体が孤立しかかっているみたいなんです」
「そうか。いいか、無理せず、災害に自分たちが巻き込まれるような真似はするな。カメラの方は代替を手配してある。とにかく、無理するな」
「わかりました」
「……お前、それで、……いや、いい。気をつけろよ」
リカが日帰りの予定で出張に出ていることは、皆知っている。すぐに阿久津につながって状況を報告すると、逐次、何かあったら連絡する、と言うことで一旦電話を置いた。
最後に一番気になることを聞きかけたが、すんでのところで飲み込んだ阿久津は、すぐに席を立った。足早にフロアに立つと、チーフディレクターのリカの席のすぐ目の前にディレクターになった佐藤珠輝がその姿をみて立ち上がる。
「佐藤。稲葉が大雨の影響で戻れなくなった」
「ええーっ?!稲葉さん、明日どうするんですか?!」
「あのな……」
すでに都内でも夕刻というだけでなく空は真っ暗になって大粒の雨が降っていた。今日の放送は終わっているが、明日の予定がすべて狂ってくる。口を開きかけた先を言われた阿久津が、こめかみに手を当てて珠輝を制した。
「いいからお前は明日の」
「明日からの仕事はもともと稲葉さんがお休みするから対応を組んであります!それよりも明日の方が大事です!」
どこか舌足らずで甲高い声は相変わらずだったが、今ではすっかり立派なディレクターになっている。珠輝は携帯に飛びつくと急いであちこちに連絡を始めた。
結局のところ仕事にかこつけてフロアに下りてきたものの、阿久津も明日のことを気にしていたのは事実で、いつもの眉間にしわを寄せた顔で報道局へ足を向けた。
「一応、とっとくか」
坂手はそういって、カメラを片手に公民館の様子を映していた。
リカ達がいる公民館に、続々と村人たちが避難してくる。山間の村だけに、こうした大雨の時には自主避難ということが村人たちにも身に沁みついているのだ。
カメラマンとして、その画を何かで使えるかも、と判断したのだ。
しばらくして、リカの携帯が鳴った。
「俺だ」
「はい」
「通信環境は生きてるか」
ざわざわしたフロアからの電話だというのはすぐにわかる。阿久津が自席からかけているわけではないようだった。
「えっと、はい。インターネット回線は大丈夫です。電話も」
「よし、次のニュースで現場中継を入れる。映像は送れるな?生だから音声は携帯でやる」
緊急の生中継だ。ほかの部署とはいえ、報道にいたリカなら対応できると踏んだのだろう。
こういう場面に出くわすことはあまり多いとは言えないが、テレビ局に勤めているからにはどちらかと言えばラッキーなことだ。すぐにリカは振り返った坂手に合図しながら周りに目を向けた。
「わかりました。ちょうどいま、事前に坂手さんがカメラを回してくれています。村人たちの非難の風景です。先に送ります」
中継はものの1分もないだろう。すぐに録画した映像を回線に乗せて社に送る。映像データなので容量は大きいが、彼らにはこういう場合のためにもデータを送るための手段がある。
もう一度電話を切って、送信した画像のチェックを待っていると、次に電話をかけてきたのはリカと同期のともみだった。
「リカ?さっきの画像でOKでた。今から質問内容を送るから。それと、表の画撮れそう?」
「うーん、ちょっと難しいかな。昼の取材だったから照明の機材ない。さっきのは公民館の中だからあの程度でとれたけど」
「中継するんだから中の画じゃ弱いの。わかるでしょ?!」
互いに時間が限られている中での会話だ。素っ気ないほど短く簡潔になる。
「ちょっと待って。かけなおす」
さっさと通話を切ると、リカは坂手にその内容を告げた。
「坂手さん、照明ないんで、入り口の明かりが届く場所らへん。こう、私が入り口に向かって立ちますんでそれ、撮れます?」
「あーん……、ちっと厳しいけど何とかなるかな。ちょっと立ってみて」
そういうと、公民館の入り口に出たリカを試し撮りでカメラを回す。傘をさしていても、濡れないのは顔だけじゃないかというくらいの雨を受けて、坂手の親指が上がるのを待ってから中に駆け込む。
着替えもないのに、足元はもうぐしょぐしょだ。
「いけるってよ」
すぐに映像を伝送した坂手に頷くと、腕時計を見て中継に備える。携帯をちらりと見ると、一瞬迷ったが、すぐにポケットにしまった。
空井にメールだけでもと思わないわけではないが、相手もこういう時は多忙の身だろうからと自分に言い聞かせる。
そうこうしているうちに、中継の時間になって、リカはカメラの前に立った。