空を飛んで 2

ちょうどその少し前、松島にいる空井のデスクの電話が鳴った。

「はい。広報班です」
「おう。久しぶりだな」
「片山三佐。久しぶりも何も、一昨日、話したばっかりじゃないですか」

二日前、電話で話したばかりだというのに、この男は寂しがりなのかすぐにこういう物言いをしてくる。呆れた口調で応じた空井に片山は珍しくすぐに真面目な口調になった。

「稲ぴょん、今日はまだ仕事なんだろ?」
「あ……。今日は取材だって言ってました。夜遅くに帰ってくるって」
「場所、岐阜か?」

妙に奥歯に物が挟まったような言い方が気にかかったが、携帯を取り出すと、昨日リカから来ていたメールを確認する。

「あ、そうです。木曽川のあたり撮るんだって」
「はぁーん。そうか」

よし、わかった、と言って空井が何か言う前にすぐ電話が切れる。首をひねったが、この天候悪化は宮城でも影響が出始めている。緊急時の対応を兼ねて、隊内の夜間待機の割り当てを進めている最中だった。
問い合わせは渉外室に入るため、空井も慌ただしい最中である。

明日から休みの予定だったが、空井は基地の外をに目を向けた。
晴れて欲しい、と願うのは、自分のためだけでなく、災害が大きくならないことを願ってのことだ。

「……晴れ乞いしとこうかな」

ただ、ぽつりと呟いたのは、どう言い訳をしても、自分自身、明日を楽しみにしていたからだ。

中継を終えたリカは、すっかり濡れてしまった体に、役場の職員が貸してくれたバスタオルを巻いて寒さに震えていた。

機材車に積まれていた、機材の揺れを押さえるための毛布を坂手が持ってきてくれる。

「汚ねぇけど、ないよりましだろ。明日、ぶっ倒れるわけにいかねぇんだからよ」
「すみません」

確かにそうだ。
どうにかして、戻らなければならないのだ。
雨が少しでも弱くなればいいのに、と思う。

だが、ついたままのロビーのテレビには刻々と変わる天気図が映し出されていて、遅くなればなるほど雨はひどくなるらしい。
公民館の中は避難してきた住民のために、灯りが付いたままになっていた。

―― どうしよう

さすがにメールしようかと迷っているところに携帯が鳴った。バッテリーが少なくなっていることに今更気づいて、急いで廊下に出ると、ロビーの片隅にあったコンセントにバッテリーをつないでから電話に出る。

『もしもし。え、と、俺です』
「はい」
『あの、雨大丈夫?』

大丈夫かと聞かれたら今の状況をどう説明すればいいだろう。唇を噛みしめて、言い辛さに言葉が詰まる。

『今、もしかしてまずかった?』
「あ、ううん。あの、実は……まだ、取材先にいて帰れないでいるの」
『えっ。何かあったの?』
「……ごめん」
『いいから!謝らないで。ちゃんと教えて』

急に声音が変わって、真面目になった声にしまった、と唇を噛みしめてしまう。
それでも、話さないわけにはいかなくて、仕方なく、大雨の影響で帰りの足が無くなってしまったこと、取材先の公民館にいることを話した。

「本当にごめんなさい!こんなことになると思わなくて……。休みを取るから、代わりに引き受けて、それで……」
『……大丈夫。わかってるから』

リカを一番落ち着かせる声が、電話の向こうから静かに聞こえた。

『明日、もし間に合わなかったとしても、俺がちゃんとするから。それより、無理しないで。怪我しないようにちゃんと帰ってきて』
「ん」

じゃあ、といって通話を切ると、一人、部屋の中に座った空井は、携帯を握りしめた。あれからほどなくして、天気図によると今夜雨雲が移動していき、東北の方は太平洋側を大きくそれて北上していくだろう、と言うことで空井は皆の配慮もあって家に帰ってきたのだ。

テレビをつけて、大雨の状況を見ながら、無意識に親指で携帯を触る。雨が降らなければと思っていたが、こんなところで自分たちにもかかわってくるとは思っていなかったのだ。

東京に行く日は、仕事が終わってから着替えを済ませて荷物を持って出かける。今日もその予定だったが、出る前にとかけた電話が自分たちの置かれた状況を教えてくれた。

もうそろそろ家を出なければならない時間ではあったが、リカのことが気になってまとめてあった荷物になかなか手が伸びない。このまま松島にいるよりは東京に向かった方がいいことは十分わかっているのに。

びくっと驚くと、手の中の携帯が震えた。メールの着信を知らせる表示に急いで開くと、珠輝からだった。

“空井さん!電話ください!XXX-XXXX-XXXX”

そういえば、当然ながら会社の方には先に連絡がいったのかと思う。珠輝も明日、いろいろと手伝ってくれることになっていたからだ。

ぶつぶつと、電話番号を口の中で何度か繰り返すと、画面を切り替えて番号を押した。

「もしもし、空井です」
「もしもし?空井くん?藤枝です」
「えっ、藤枝さん?」

てっきり珠輝が出ると思っていた電話の相手が藤枝で、驚いた大祐の声が跳ね上がった。

「そう。あの、時間ないから。稲葉の部屋の鍵、持ってるよね?」
「はぁ?!」

どうもと挨拶する間もなく淡々とした藤枝の声についていけなくて空井は、ちょっと待ってと繰り返す。

「稲葉、大雨ではまってるんだけど、聞いた?連絡来たかな」
「あ、ええ。さっき」
「だからさ。空井くん、今夜こっちにくるんだよね?稲葉の荷物、引き取りに行きたいんだけど」
「えっ……。ええええ!!」

何を言われているのかようやく理解した空井が思わず叫んでしまった。電話の向こうでも話がなかなか進まないことに苛々したのか、すぐ傍で聞こえていた声の主が、電話を奪ったらしい。
甲高い早口の声が電話口に出る。

「もしもし?!空井さん?珠輝です。稲葉さんの家まで私と藤枝さんで行きますから、鍵、開けてもらえますか?男の方に用意されるのは稲葉さん、嫌だと思うので、私が明日の荷物、確認して運びますから!」
「や、でも明日、間に合うかもしれないし、俺が用意しても……」
「なにいってるんですか!家に帰ってる時間があるとは限らないじゃないですか!」
「でも、それなら」
「いいから!今から行きますから!着く時間、教えてください!」

一方的にまくしたてられて、これから乗るはずの新幹線の到着時間を告げると、あっという間に電話が切れた。
呆然としていた空井は、我に返ると急いで荷物を手にすると、家をでて車に乗り込んだ。まったく自分にはそんな女性のことなど気が回らなかったのを悔いながら、雨の中駅まで急ぐ。

雨はまだ、降り続けているが少しだけ小雨になったような気がした。

投稿者 kogetsu

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です