中継の後、局とのやり取りがしばらくは続いていたが、それも今は静かになった。
奥の住人達が避難してきた方は灯りがついていて、町役場の方で用意した毛布や持参した布団が並んでいて、時折密かに交わされる声だけが響いている。
「稲葉。お前、少しでも寝とけよ」
ホールの中は避難してきた村人たちのための場所なので、ロビーのソファに荷物を移動した坂手達は、機材を車に積み込んで最低限の身の回りのものと、咄嗟の場合のハンディだけを傍に置いて、体を丸めていた。
表の様子を見ようと玄関のガラス窓に近づいていたリカに、目を閉じていた坂手がぼそりと呟いた。時計を見ると、すでに時間は23時を回っている。
「大丈夫です。仕事ならてっぺん超えることもありますし」
「そういうことじゃねぇよ。……お前だけの問題じゃねぇだろ」
その気配りに気づくと、はい、と素直に頷いた。再び黙り込んだ坂手は、ソファの一つを占領していて、その隣には腕を組んで横になった大津がいびきをかきはじめていた。
汚れた毛布にくるまって、一番奥のソファに横になったリカは、暗いガラスの窓を見上げて、ため息をついた。
「ったく、あいつ、何にもわかっちゃいねぇな」
今は芦屋で物資の手配を担当している片山は、電話を切ってすぐにパソコンを叩いていた。
異動が多い、ということはあちこちの基地に知り合いがいるということでもある。こういう時に、元広報室という肩書も役に立つのだ。
局地的な大雨に見舞われた東海地方では、土砂崩れや、河川の氾濫などが次々ニュースになっている。そんな中でずっとついたままのテレビに突然、リカが映ったので、片山は腰を抜かしそうになったのだ。
明日、顔を見に行くはずの相手が孤立した地区で中継をしているとなれば、それは非常事態ではないか。
電話で小牧にいる知り合いに状況を確認する。このままなら、救助に向かう可能性もあると聞いた。
すでに、土砂崩れの影響で道路は寸断されており、消防や警察とのやり取りが続いているが、最悪を想定して救助隊が向かう場所を検討しているらしい。先ほどの中継が入っていた場所は、ちょうど村人たちが避難している場所でもあり、いつも孤立してしまう地区なことも確かめた。
しばらくして、夜明けとともにヘリで救助隊が向かうことを確認すると、片山は自席にもどって携帯を掴んだ。
「ったく、キリーの報道記者じゃねぇんだっての」
口の悪さは健在だが、人の良さも相変わらずな片山である。
空井は、礼服の入った箱と荷物を手にして、リカの部屋へ到着した。東京駅で藤枝の車にピックアップされて渋滞の中、都内を走ってやっと着いたのだ。時間はかかったが、荷物が大きい分助かったともいえる。
明日はどうするのかと聞かれて電車で行くと答えると思い切り呆れられた。
「あのねぇ。空井くん」
「はい」
「こういう時は、時間に余裕を持って、安全な方法で移動でしょ?」
「でも、公共交通機関が一番確実じゃないですか?」
完全に天然の入った空井の答えに藤枝はしみじみと頭を抱えた。
普段制服で、しかも汚れることが当たり前な仕事をしているだけに、その辺の感覚が薄いのだろうか。確かに公共交通機関が時間には正確だが、いざと待ってしまったら身動きが取れなくなる確率も非常に高い。
「明日!朝、迎えに来るから!」
「え?そんな、いいですよ。悪いし」
「悪いとか悪くないじゃねぇし!いいから、朝!来るから!用意しておくように」
いつもなら笑い転げるはずの珠輝も、今日ばかりはカリカリとしていて、全く余裕がなかった。
「藤枝さん!早く!もう私だって早く寝ないと明日起きられません!」
どうやら珠輝も藤枝がピックアップする予定になっているらしい。リカの家に着くと、空井を押しのけるように、珠輝が部屋に入って、あれこれと必要最低限と思われるものを探し出した。
そのほとんどは、まとめてあったからすぐに分かったらしい。空井の荷物も明日そのまま持っていくものはトランクに入れたまま、藤枝と珠輝はあっという間に引き上げて行った。
携帯を見ると0時を回っている。リカからの連絡はあれきりない。
車の中で藤枝と珠輝から聞いた話では、中継を2回ほどこなして、今夜は現地に足止めのままらしい。明日の朝の状況で手配が変わると言うが、雨はまだやみそうになかった。
今頃、無理にでも休んでいる頃だろうと思って、連絡もせずにテレビをつけたまま横になる。主のいないこの部屋に来ることも少なくないのに、今は妙に
肌寒く感じた。
―― 少しでも眠っておこう……
リカの匂いがするベッドに本人がいないまま横になると、ボリュームを下げたテレビの音だけが響いた。
落ち着かないまま一晩を過ごした空井は、つけっぱなしのテレビを見ながら翌朝早くに支度を始めた。
朝早くにごめんなさい、とリカからのメールが入って、今のところどうなるかは、まだわからない様子だった。携帯のバッテリーを気にして、声を聞きたいのはやまやまだったが、藤枝と珠輝が色々手を尽くしてくれていること、もし間に合わなくても大丈夫だからとメールを返した。
空井が部屋を出ると、すでに車は到着していて、ぱぱっとクラクションが鳴る。
後部座席は、リカの荷物と珠輝の荷物でいっぱいになっていたために、手にしていた荷物はトランクに入れさせてもらうと、すぐに車は動き出した。
「いやー、一時はどうなるかと思ったけど晴れたね!」
挨拶もそこそこに、ほっと一安心した顔の藤枝に空井も頷いた。見上げた空は台風一過のような見事な晴天に恵まれていたからだ。
後部座席の珠輝がいらいらとリモコンで、カーナビのワンセグを操作する。どこのニュース番組でも昨日の大雨と各地の被害状況を映していた。
その中で何度か昨日のリカの中継が映し出されていて、空井自身も、部屋で見たものの、苦笑いが浮かんでしまう。
リカらしい。改めて、空井は自分たちらしいな、と思った。