ありえないことがありえないくらいの勢いで進んでいる。
それがリカの正直な感想でもあった。こんな風にぼうっと外を見ながら運ばれている時間なんてこの数か月全くなかったのだから。
都内のホテルの予約をこんな短期間で押さえるなんて普通だったらあり得ない話だ。
だが、そこはテレビ局と自衛隊。無理を無理ではなくす面々が揃っていれば事態は恐ろしい勢いで進む。
互いに、式や諸々の事はさておき、というつもりでとりあえず指輪を買って、婚姻届に名前を書くところまでは二人でできる。いつ提出できるかはわからなかったので、日付は空欄のまま、証人の欄には鷺坂に書いてもらうつもりだった。
報告と証人への署名を頼みに二人で鷺坂の元を尋ねると、顔を見せた直後に一斉送信されたメールによって、拡散した二人の入籍はその後の式を大掛かりなイベントと化してしまった。
二人が式や披露宴は後になってからでもと思っていたのもどこかへ追いやられてしまい、式場の候補をずらりと目の前に並べられた時には、二人そろって観念するしかなかった。
結局、日取りや場所の問題、会場の規模などがあって横浜のホテルに決まった後も、働きながら短期間で準備を進めるために、本人達もさることながら周りが奔走したのだ。
先に結婚した槇と柚木夫妻、既婚者の比嘉が中心になって、招待客のリストのとりまとめから細かい手配に関して、まるっとお手上げ状態の空井には任せられないということで動いてくれた。当然、リカだけではたいへんな部分も柚木が手伝ってくれた。
「こういう時はね。男はほっとんど役に立たないのよ!」
「……さ、さすが先輩」
「んなこと言ってる余裕ないよ!稲葉!」
席表のデザインや、席の名札、テーブルの花の種類など、さすがのリカでも一人でやれと言われていたら、挫けていたかもしれない。空井に相談しても、どれを選べばいいのかお手上げなことはわかっているだけに相談したくてもしにくい。そうなれば、自動的にリカが動かなければならないことばかりになるのだ。
忙殺される時間に何度も癇癪を起こしそうになったが、リカが苦手な部分を珠輝がこうしたほうが可愛いです!といって、気づけばだいぶ助けられた。
「あの、それでどうして坂手さんと大津さんまで?」
車の中で後ろを振り返ったリカに、いつの間にか荷物の中から着替えを取り出してごそごそと着替えていた二人が、ん?と顔を見合わせた。
「稲葉、お前聞いてねぇの?」
「僕と坂手さんが今日のカメラマンです」
「……は?」
そんな話は聞いてない。写真はホテルの会場でとることになっているし、そもそもカメラが入るのか?と呆気にとられた。
本人達でさえ全容を把握していないことが多すぎるのだ。
「それは、初めに空井が言ったんだよ。峰永の時もこの二人が撮影してくれて、一番、自分達の事もわかってるからって」
運転しながら柚木が口を挟む。だからといって、こうして前日も一緒に仕事をしていたリカが知らないというのはないだろう。
「それにな。阿久津さんからも頼まれたんだよ。テレビ局の人間がほかにカメラを任せられるかって」
前日の取材についても、坂手達を手配したのはお目付け役も兼ねていたらしい。どうりでリカだけではなく、二人も一緒にここまで移動してきたはずだ。
「稲葉!あと30分くらいで着くよ!あんたの荷物は全部もう会場だから!」
はっと我に返ったリカは、自分を見直してわずかに後悔が滲む。こんな平服で、しかも取材先でろくに寝ないままの状態で向かうことになるなんて思ってもいなかった。
そういえば、あれも、これもと頭をよぎる。爪の先も汚れたままだ。
そんなリカの手を柚木の左手が掴んだ。
「ドレス、まだ一度も空井に見せてないんでしょ?」
「……はい」
空井の方は礼服着用だから、借りたのはリカのドレスだけだった。場所を見に来た時と、最終の打ち合わせのときだけしか来られなかった空井には、リカのドレスも何もかも、見せる機会がなかった。
「こんなことになっちゃったけど、絶対後で、ああすればよかった、なんて思わせないから安心して」
女なら寝不足の顔も、ばさばさの髪も、やりたいことはあった。
それを、後悔させないと言ってくれた柚木の気持ちが嬉しくて、リカは涙が滲みそうになる。言われるままに、流されるように今日を決めて、慌ただしく過ごしてきた時間は、無駄ではない。
車は休日の渋滞の間を抜ける様にホテルへと滑り込んだ。
坂手と大津はすぐに機材を下ろして会場の方へ向かう。リカは入口で苛々と携帯と握りしめて待ち受けていた珠輝に連れられてなぜか客室の方へと連れて行かれた。
「お疲れ様です!時間がないので、先に私の話を黙って聞いてくださいね!」
顔を見た瞬間からそう言われて、客室の一つに連れて行かれると、その場に着替えが用意されていた。噛んで含めるように珠輝がリカに説明する。
「とにかく、時間ないんで。ここで稲葉さん、まずシャワー浴びて着替えてください。ドレス用のインナーも全部、おうちから私が持ってきました。控室に移動するまではこのワンピ着てください。髪も濡れたままで大丈夫です」
「え?!持ってきたってなんで?」
「空井さんに開けてもらって、男性じゃきっと何がいるかなんてわからないと思って、勝手ですけど、私が稲葉さんちから持ってきました!」
それもこれも、驚くしかないが、とりあえず、ありがとう、と言っている間にどん、と着替えを腕に押し付けられてシャワールームに放り込まれてしまった。
シャワーを終えて着替えを済ませたリカは、控室にむかうのかとおもいきや、ホテルのエステルームに放り込まれた。
携帯は鞄ごと取り上げられ、すべてが時間がない、の一言であちら、こちらと引き回される。
「眠っても構いませんからね。ちゃんと起こしますから」
フェイスエステとネイルを同時進行で進められている間に、そう声をかけられたリカは、まさかと思っていたが、アロマの香りとエステスタッフのマッサージにとろとろと眠くなってしまう。
時間だといわれて起こされると同時に控室に移動させられる。
途中でリカの母親が現れたが、どうやら時間を30分ほどずらしたらしい。そのため、招待客の対応をすべて空井が引き受けてくれているらしかった。
「お母さん!」
「大祐さんが、すべて任せてくださいっておっしゃってね。あとお仲間の皆さんも」
留袖姿のリカの母は、ぎりぎりでホテルに現れたリカにらしい、といって笑った。
「あなたは本当に昔から決めたら引かないから。仕事にしても、なんにしても。本当にお父さんそっくりなのねぇ」
しみじみとそう言った母は、スタッフに慌ただしいことになってしまったことを詫びて、頭を下げてから、招待客の対応をするために部屋を出て行った。いくら空井や元空幕の面々が率先して対応してくれていても、稲葉家サイドの親戚筋まですべて面倒を見られないからだ。
そうこうするうちに、リカの支度が出来て、ようやくほっと椅子に座ったリカに、始まる前にお写真をとります、と声がかかった。
「あ!」
スタッフに呼ばれたらしい空井が、ドアを開けてそこに立っていた。
リカが無事に到着したことはすでに柚木達から聞いてはいたが、慌ただしく支度をするリカの邪魔にならないようにと、柚木達女性陣に、きつく言われていた。それに、始まる前から酔いのまわり始めた仲間達に散々絡まれてようやく抜けてきたところだった。
あっという声に、振り返ったリカがドレスの裾を気にしながら立ち上がる。
「大祐さん!連絡が途中のままで、私。心配かけてごめんなさい!なんとか皆さんのおかげで……。聞いてます?大祐さん」
部屋に入った瞬間、リカをみて動きを止めた空井がぽーっとリカを眺めていた。
あまりに驚いた顔で固まっているので、椅子から立ちあがったリカがドレスの裾をつまみあげてそっと空井に近づく。スタッフに教えられたように、内側のパニエを蹴るようにして近づいた。
「大祐さん?」
目の前で呼びかけられて我に返った瞬間、何かを言いかけた空井が渾身の力でリカを抱きしめた。