空を飛んで 6

「すっごく、すっごく、めちゃくちゃ可愛いです!」
「ひゃっ、ちょ!駄目です!!お化粧ついちゃう!」

その腕に抱きしめられた瞬間、昨日からずっと緊張してきたものがほっと緩んでがくん、と膝から崩れ落ちそうになる。
礼服を汚しちゃいけないと、ぎゅうぎゅうと抱きしめられた腕からなんとか抜け出したリカがもう一度繰り返した。

「ごめんなさい。心配かけて」
「いえ。なんだか、リカさんらしいというか、僕ららしいというか。でも絶対、何があってどう転んでも大丈夫だって思ってましたから」
「私もそんな気がしました。まさか結婚式の日に救助ヘリと輸送ヘリの両方に乗せられるとは思ってませんでしたけど」

ぺろっと舌を出したリカと顔を見合わせて揃って吹き出してしまう。
笑い合ったあと、空井が、帽子を持ったまま、両腕を開いた。

「無事に僕のところに来てくれてありがとう」

花開くような笑顔で、空井の腕の中に納まると、大丈夫だった?と小さく囁く声がする。ちょっと寝不足かな、と返したリカに全然そう見えない、と言われた。

「さっき、エステの人ががんばってくれたからじゃないかな。すごい普通の恰好で顔も髪もぼさぼさでついたんだもの」
「その姿でもやっぱりリカは可愛いっていうよ。絶対。それで、着替えてくるまで何時間でも待てる」
「式、おわっちゃうよ」

くすっと笑いあうと、空井の方が写真取りに行くんだった、と渋々腕を解いてからリカに片腕を差し出した。

「行きましょう。空井リカさん」
「……はい」

頷いたリカの手袋をした手が空井の腕をとって、ゆっくりと歩き出す。控室は皆のいる場所を通らずに写真室に出られるようになっていた。
こちらへ、というスタッフの誘導に従って、リカが椅子に腰を下ろして、空井がその傍に立つ。美男美女のカップルに見ているスタッフからもため息が漏れた。

撮りがいのある二人に、カメラマンも力が入ったのか、いわゆる記念撮影ショット以外に、鏡や窓側にたたずむ二人の姿、最後にはお姫様抱っこまでさせられて、ひどくリカは恥ずかしがっていた。

「もう、こんなにたくさん撮るものなの?!」
「いいじゃない。俺は面白かったよ」

素直に楽しんでいる空井とは逆に、ひとしきり恥ずかしがっていたリカだったが、あとで出来上がったアルバムは、皆からファッション雑誌かグラビアか、または結婚雑誌のビジュアルとしても使える、と絶賛されることになる。

写真撮影が終わると、一旦、揃って控室に戻って、もう一度メイクを直してもらうと、いよいよ披露宴会場に行く時間だった。ホテル側も事情を聞いて、最大限に調整してくれているらしい。

リカの傍についた女性スタッフと共に、会場のドアの前に立つとさすがに緊張してくる。強張ったリカに、スタッフが傍におりますから大丈夫ですよ、と声をかけてくれた。
小さく頷いたリカに、空井がかぶっていた帽子を一度脱ぐ。

「実はね」

え?と顔を上げたリカの目の前に空井の帽子が差し出された。その内側にはメモ紙が挟まっていて、比嘉の字で、何時までは調整、誰に挨拶、とポイントだけが書かれてあった。

「このように、今でも先輩の指示で動いてるなんて秘密だからね」

にっと笑った空井が帽子を被りなおすと、くすっとリカが笑う。

「行こうか」
「はい」

それを見ていたスタッフがドアの隙間から合図を送ったらしい。呼吸を合わせて両サイドからドアが開かれた。

仕事柄、こういうライトにも慣れているつもりでも自分がそれを浴びせられる側になったのは初めてだった。眩しい光の中に一歩踏み出すと、空井が歩調を合わせてくれて、ゆっくりと会場に進む。
二人の様子に、会場からも大きな拍手とため息が漏れた。

テーブルの間を縫って、正面の席に向かうと着席の前に一度並んで立つ。光と、目の前に広がった風景はあの青空の下で見た笑顔と同じだった。

「皆さま、本日はご多用の中、本席にご臨席賜わり、ありがとうございます。新郎のもとへ、空を飛んでようやく新婦が到着いたしました。先に、大変お待たせを致しましたが、ただいまから空井、稲葉、ご両家のご結婚式並びにご披露宴を始めさせていただきます」

深々と頭を下げた空井とリカが席に着く間に、藤枝が口を開く。当然のように司会に名乗りを上げた藤枝は、式が遅れたことを詫びつつ、ウィットに飛んだ挨拶を済ませて、見事にタイミングを合わせた。

「俺のほかに誰が司会やれるっての?オールマイティにこなせる男、藤枝に任せなさい」

その言葉に嘘はなかったようで、媒酌人を立てなかった空井とリカの人前式を皆に説明する。

「皆様もご存じのとおり、このお二人は既に入籍はすんでいますが、ぜひ皆様の前で、改めて、人前式と言う形をとりたいということでご臨席賜わりました皆様を立ち会い人と致しまして執り行わせていただきます。お二人にとって、人生の新しい出発を皆様と共に祝福したいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。まず初めに新郎新婦から「ご結婚、誓いの言葉」をいただきたいと存じます。それでは新郎新婦、よろしくお願い致します」

入籍は済ませてあるし、指輪もとうにしていたのだが、二人が一緒になれたのはひとえに周りの皆の力添えがあってこそだと思っている。だからこそ、人前式の形をとりたいという二人揃っての思いで、今、改めて二人の前に置かれている誓いの言葉が書かれているカードを手にしてその場に立ち上がった。

じわっと空井の目にも涙が浮かぶ。どんなに回り道をしたのか、その間に、二人をこんなにたくさんの人が見守って、信じていてくれたのかと思うと、口元がゆがみそうになる。

「自分達二人は、皆様の前で結婚の誓いをいたします。同じ空の下で、エレメントとして飛び続けることを誓います。新郎、空井大祐」

喉が詰まりそうになったが、これだけは、短くても二人で考えた誓いを口にすると、初めはひゅーひゅーと冷やかしの声が飛んでいたが、新婦が名前を言う少し前からしん、と会場が静まり返った。

―― ああ、駄目だ。どうしよう……

頭のどこかでは冷静な自分がこんなに始まってすぐに泣いては駄目だと言っているのに、空井の声を聞いているうちに、溢れてきた涙はリカの頬を流れ始めた。
まっすぐに前を向いているリカにスタッフも反応が遅れてしまったが、空井と同じカードを持つ手が震えているのを見て、リカの顔を見上げたスタッフがそっとガーゼを差し出して、その手に握らせた。

下を向いたら止まらなくなる、と思ってはいたが、もう止まらなくなってしまった涙と、急に手に握らされたガーゼに俯いたリカが、ガーゼを握りしめて、震える声で宣誓する。

「……し、新婦、稲葉……リカ」

おめでとうの声がかかる中、昨夜からの出来事と、緊張が極限に達したリカの流れ出した涙はもう止まらなくなって、何とか口を開いた後は、ガーゼを目元に当てて、涙を押さえることでいっぱいいっぱいになる。

「皆様の温かい拍手に早くも新婦が感動してしまいましたね。いつもはガツガツの新婦ですが、新郎の隣では素直になれるんでしょう」

半分からかいの混じった藤枝の場をつなぐための言葉も、ますますリカを泣かせることになる。大きな拍手の中で、空井がそっとリカの背に手を回して座らせると、メイクが落ちる前になんとか涙をこらえることに成功した。

「大丈夫」

そっと空井がリカの手を握り、落ち着かせると、スタッフが新しいガーゼをリカに握らせて、屈みこんだまま後ろに下がる。

「はい。新婦も落ち着いたようですので、ここで、新郎新婦の幸ある前途を祝し新朗の上司である航空自衛隊松島基地渉外室室長の山本様のご発声によりまして、乾杯をお願いいたします。恐れ入りますが、皆様方ご起立下さいませ」

あの豪快な山本の挨拶にどっと笑いが起こった会場は、温かな雰囲気に包まれたまま乾杯の声と共に拍手が起こる。
顔を上げると、リカの招待席側には大学時代の友人と同僚が座っていた。その間で、ちょうど真ん中のテーブルにはあの頃の広報室の面々が座っている。

娘を預けてきた柚木は、槇に呆れられるほどリカと同じ早さですでに号泣していた。

スタッフに促されて、空井とリカはその場で深々と頭を下げる。
拍手と、笑顔と、少しの涙が広がったその場にいる人たちにどれほど頭を下げても下げ足りないくらい、空井もリカも感謝していた。

投稿者 kogetsu

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