空を飛んで 7

大祐をいつも泣き虫だと笑っていたのに、その日のリカは、ぐずぐずになっていて、途中、早めのお色直しに立たなければならないくらいだった。
メイクを直してくれるスタッフにも泣きながら、ごめんなさい、と繰り返すリカに、苦笑いされてしまう。

「大丈夫ですよ。私たちはそのためにスタンバイしてるんですから。いくら泣いても絶対きれいにお化粧直しして差し上げますから安心してください」
「はい……。おかしいな。私、普段こんなに泣いたことないんです」
「そんなものですよ。普段は抑えていらっしゃる方のほうが気持ちが溢れちゃうんだと思います」

メイクを直した後に、新しいきれいなガーゼと、冷たいお水を渡されると、ほっとしてそれに手を伸ばした。泣きすぎて、目が痛くなってきた気がする。
そんな思いまで透けて見えたのか、別なスタッフが目元を冷やすアイマスクを持ってきてくれた。

「これで少し冷やすと楽になりますよ。お写真もお色直しした後に撮影しますから、目だけが腫れていたんじゃ、ね?」

にこっと渡されたそれを目に当てると、冷たくて気持ちがいい。少し早目にお色直しに入ったために、冷やしておく時間が出来たのが幸いだった。
目を閉じてしばらくそのまま冷やしていると、ノックの音がして、気遣わしげな声が聞こえてくる。

「リカ?大丈夫?」

ぱち、と目を開けて立ち上がろうとしたところを空井の手がその肩を押して椅子に留まらせた。

「いいから座ってて。落ち着いた?」
「ん……。ごめんなさい。私、なんか、こんなに泣いたことなかったのに……」
「いいんだ。俺の分も今日はリカが変わってくれてるんだよ」

リカが座る椅子の傍に片膝をついた空井は穏やかに笑みを浮かべて、リカを見た。いつも気を張って、強気で、ガツガツというリカが、こんなにも涙もろい人だなんて、きっと今日会場に来てくれている人たちの中でも知る人は少ない。
だから、皆、意外な気持ちで見ているに違いなかった。

「リカのお母さんがね。昔からあの子は泣き虫だったからごめんなさいって言ってたよ」
「?!そんなことないから!」
「ははっ、そこだけ否定するの?こんなに泣いたのに?」

思わず、アイマスクを外して空井の手を握ったリカが、うっと言葉に詰まって視線を彷徨わせる。
確かに、これだけ泣いていれば今だけは言い逃れしにくいし、何より、空井の両親にもどういう風にみられるかと思ったら申し訳ないのだ。

「空井さんのご両親にも変に思われてないといいんだけど……」
「うちの親?全然。逆に、こんな息子の嫁になったことを悲しんでるんじゃないでしょうねってうちの母親が」
「そんなこと!」
「あるわけないって答えておいたから」

―― 心臓に悪すぎる!

むくれそうになったリカの目元に手の甲を当てた空井が痛くない?と尋ねる。

「冷やしたからだいぶいい……」
「そっか。もうすぐ写真撮るって呼びにこられるまでもう少し冷やしておいた方がいいかな」

素直にアイマスクをあてたリカは、制服が皺になっちゃう、と言って傍の椅子をすすめた。

シンデレラモチーフだというブルーのドレスに着替えたリカと空井が写真撮影を終えると、再び会場へと戻る。
二人がキャンドルサービスとケーキカットを済ませた後に着席すると、藤枝の声でスピーチが紹介された。

「ここで、元航空幕僚幹部 空幕広報室室長の鷺坂正司様にお祝いの言葉を頂戴いたします」

二人の式は、友人たちの余興は一つもなかった。
ただ、二人からのお礼の気持ちを伝えるための場だからといって、上司と、元上司二人のスピーチだけを頼んである。

どうせ飲まされるからとビールとシャンパンを揃えたテーブルからシャンパンのボトルを手にした鷺坂が空井とリカに声をかけた。

「空井。稲ぴょん。おめでとう」

グラスに受けた二人はそれぞれに頭を下げる。ボトルをテーブルに置くと、マイクの前に鷺坂が立った。

「えー……。空井大祐君。稲葉リカさん。そしてご両家の皆様。改めて、本日はおめでとうございます」

タキシードに身を包んだ鷺坂に両家の親もそれぞれ頭を下げる。

「かつて、この二人の出会いは、きっと今こうして二人が並んでいる姿など想像もつかないものでした。でも、私の目には、これは運命の出会いだと、そう思ったわけです。空井、そして稲ぴょん。二人に言う言葉はもうありません。あとは二人で幸せになるだけです。もう一度だけ言わせてください。おめでとう。そして、ありがとう」

涙が滲んだリカがふと隣を見ると、空井も指先で滲んだものを拭っていた。リカの視線に気づいた空井が、へへっと苦笑いを浮かべる。
ありがとうと、言いたいのは空井とリカの方だった。

続いて、夫婦で出席してくれた阿久津がスピーチに立つ。

「私、帝都テレビで番組制作の仕事をしております、阿久津と申します。空井大祐さん、あえて、稲葉、と言わせていただきますが、稲葉リカさん、おめでとうございます。さて、私は、先にスピーチに立たれました鷺坂さんとは違い、テレビ局の人間ですからあえて言葉で語ることではなく、映像で語りたいと思います」

そういって、阿久津がマイクの前から少し離れると、二人からも見える場所に投影されたスクリーンには、映像が流れ始めた。初めてリカが担当した街角グルメ、リカが撮り溜めた広報室の映像、そして、坂手が密かにとっていた映像も途中に挟まれていた。

少なからずその場には航空自衛隊の関係者が揃っている。PVの時のリカと報道ディレクターとのやり取りの部分では、経緯を知った関係者が一斉に立ち上がって、リカと阿久津の方へ敬礼が贈られてリカ側の招待席がざわついてしまった。

そして最後には、今日呼べなかった同僚や、リカと言い争った報道局のディレクター、報道局長からも祝福のコメントが流れた後、マイクの前に立った阿久津がおめでとう、と一礼して席に戻る。
全てのナレーションは藤枝が行っていて、リカは、今まで黙っていた藤枝を涙をいっぱいに溜めた目でにらみつけた。

ずっと、空井を想って苦しんでいたリカの傍で支えてくれた同僚でもあり、大事な友人である。

その藤枝の声で、空井とリカはその場から立ち上がった。時間的には、そろそろ普通の式なら両家の親へ感謝の花束贈呈が贈られる頃合いで、空井とリカも上座から末席へと移動する。
両脇に空井の両親とリカの母親が並ぶと、空井が渡されたマイクを握った。

「本日は、ありがとうございました。昨日の天候悪化で、ともすれば今日、自分は一人でこの場に立っていたかもしれませんでした。でも、自分、いえ、僕や彼女のことを応援してくれた皆さんのお力添えで、無事に並んでここに立つことが出来ました」

ぱらぱらとおこる拍手に交じって片山が当たり前だ―!と声を上げて、どっと会場に笑いが広がる。
苦笑いを浮かべた空井が目元を拭う。

「自分は自衛官ですから、いざという時に彼女の傍にはいられない、そう思っていましたが、よくよく考えれば、彼女もテレビ局で仕事をしていて、時には自分よりも大変な仕事をしています。そんな自分達がエレメントとして飛び続けられるよう、これからも皆様のご指導よろしくお願いいたします」

揃って頭を下げた一堂に大きな拍手が起こる。

大きな拍手に包まれて、新しい時間が動き出す。
空井リカという人生と、リカという共に歩く人を得た空井の時間が。

一足先に、会場の出口に向かった空井とリカは、次々と掛けられる声に応じながら笑顔を向けた。

投稿者 kogetsu

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です