自衛隊側の人間として、お母さんになってもおっさんの部分はしっかり残した柚木がわいわいとにぎやかな集団の中をぬってリカの傍に来た。
「お疲れさん。稲葉」
「柚木さん、こんな時間まで青子ちゃんいいんですか?」
「んー。今日は、あっちのお義母さんが見ててくれるから。でもさすがにそろそろね」
空子や航子など散々迷走した槇夫妻の子供は空の青から青子と名付けられた。すっかり“ママ”になった槇がかいがいしく面倒を見ているらしい。
「そんなに長く離れてて大丈夫なんですか?」
「あったしさぁ。あんまり、ほら、おっぱい出る方じゃないからミルクなわけ。それもね、仕事復帰しやすいんだって思うことにして、両方の親にもちょくちょく預けて慣れるようにしてんの」
いざというときに両親がそろって自衛官の二人は、彼らの親たちに頼るほかない。母乳も悩んだのだろうが、思い切り方が柚木らしいなと思う。
ふと、柚木がリカの顔を覗き込んだ。
「稲葉、あんたも疲れたんじゃないの?ちょっと顔色悪い」
あれだけの目にあって、怪我をするようなことはなかったにしてもぶっ通しでの出来事に疲れていないはずはない。それでも今はまだ、緊張感があって、疲れている自覚はなかった。
そんなことないですよ、と言ってリカが手洗いに立つ。
鏡の前に立ってからふう、と大きく息を吐く。そういえば、昨日は結局夕食もろくにとらないまま、今朝もヘリに乗せられてここまで運ばれてきた。
途中で口にしたのは、柚木が持ってきてくれた味噌汁と、披露宴会場での水やソフトドリンクくらいで、式でもほとんど食べられなかった。
自分ではいつもよりも顔色が白いかな、と思うくらいで大したことはないつもりでいた。
手を洗って冷たい水を感じたことでほっとしたのか、くらっと目の前が回る。洗面台に手をついたリカは、目を閉じて浅い呼吸を繰り返して、ふう、と息を吐いた。少しして持ち直すと、服を直してトイレを出る。
店に戻ったリカが主賓の席に腰を下ろすと、ぐしゃぐしゃになった髪の毛を手櫛で直しながら空井が隣にすとん、と座った。
「すごい。髪、ぐしゃぐしゃ」
「もう、みんな手荒いから」
一緒にその髪を直していると、まじまじと空井がリカの顔を眺めてその手を掴んだ。
ん?と目をあわせたリカの頭をぽんぽん、と大きな手が撫でる。
「抜けましょうか」
「え?だってまだ」
「いいから行こう」
大祐は立ち上がると、リカの手を引いてごく自然に店を抜けていく。二次会はホテルのすぐ近くの店を借り切っていた。わいわいと盛り上がりもヒートアップしていて、皆、主役が抜けたことに気づいていても気づかないふりで黙って見送る。
ホテルに戻るのも、ものの5分もかからない距離だ。
ゆっくり手をつないで歩く。
「お疲れ様。大変だったね」
「大祐さんだって大変だったでしょう?時間遅らせてくれて、全部引き受けてくれたのね」
「槇さんが絶対間に合わせるから30分調整しろって」
「えっ。じゃあ、知ってたの?」
大祐に連絡が出来たのは朝の救助ヘリに乗せられる前のことだ。それからは、大祐に連絡を取る暇もなかった。
そのあとは何も言わない柚木達が、大祐には心配をさせずにリカを間に合わせようと尽力してくれているのかと思っていたのだ。式の最中にそのことを話すこともなかったわけで、今でもふわふわと実感がわかないでいる。
くすくすと笑いだした空井が当たり前でしょ、と少し離れかけたリカの手を引き寄せた。
「あれだけ空自の人間がそろってるのに、わからないはずないよ。片山さんが手配してからすぐ夜の飛行機でこっちに入ってくれたんだ。その後は、槇さんがそれを引き継いでくれて、比嘉さんもほかのみんなも力を貸してくれた」
「そっか……。そうよね」
言われてみれば確かにそれも当然に思えて、そんなことにも気づかなかったなぁ、とぼんやり思う。
ゆっくり歩くリカに合わせて空井もゆっくりと歩く。ホテルのロビーに入ると、大祐は待ってて、と言ってフロントでキーをもらってきた。
「行きましょう」
再び手をつないで、ゆっくりと部屋に向かう。式を挙げたカップルのために、部屋が用意されていた。最上階に近いフロアに上がると、カードキーを差し込んで、ドアを開ける。壁のスロットにカードキーを入れると部屋の明かりがついた。
「わ……、すごい。きゃっ!!」
先に部屋の奥に入ったリカが、部屋から見える夜景と、広々した部屋に驚いている背後からふわりと抱き上げられた。
大股にソファに向かった空井が、長ソファの上にそっとリカを下ろす。足元にしゃがみこんだ空井がリカの履いていたヒールを脱がせて、そっと頬に触れた。
「式の時はそうでもなかったけど、今はすっごく疲れてる。式でもほとんど食べてなかったでしょう?少し何か食べてゆっくりしよう」
「えっ、そんなに私、ひどい顔してます?」
「いいえ。相変わらず可愛い」
まるでタガが外れたように可愛いを連発する空井に、恥ずかしくて、うーっと小さく唸る。
部屋の中には、リカの荷物と、着替えと、これは大事にと言われて、空井が預かったご祝儀の入った紙袋もちゃんと置かれている。
何か飲み物でもと冷蔵庫に向かった空井は、ホテルの心遣いで用意されていたサンドイッチを見つけると、飲み物と一緒にリカのもとへと運んだ。
「サンドイッチ、あったよ。少しでも食べられそうだったら」
「あ、嬉しいかも」
「うん。それ食べて、ゆっくりして、昨日からのこと、教えて?」
食べやすく小さいサイズのサンドイッチに手を伸ばしたリカが、ん、と二つ手にしてから一つを空井に渡す。
受け取るだけ受け取った空井が、リカの隣に座る。大祐もろくに式では食べていないまま、勧められた酒を飲んでいたので、腹は空いていないものの何か口に入れられるのはそれで嬉しい。
「……心配、かけてごめんなさい」
「ん?」
「まさか、式の前に行った仕事でこんなことになるなんて……」
「ふふ。なんか俺達らしくていいじゃない」
ぱく、と口に運ぶと今まで味のしない気がしていたのに、味覚が急に戻ってきた気がする。
あのね、とゆっくりリカは話し始めた。