Honey Trap 10

「ちょっと!」

小声で高柳を責めたリカに対して、コメント引き出したんだから、と高柳は逆にリカを諫める口調になる。
コンシェルジュに対しても、内輪の事ですみません、とさも自分の方がリカよりも上である様にその場をまとめてしまった。
どちらが上であるとか現場では関係がないことの方が多いが、さすがにこれが何度も続くようでは困る。

取材が終わってから、局に戻る間に高柳に向かってリカは一言、言うべく口を開いた。

「高柳さん。進め方や取材のときは基本的にはお任せしてますが、私の指示は指示としてきちんと聞いてください。アレンジするときはちゃんと打ち合わせした上で進めないと、うまく進むものも進まなくなります。そういうところが難しい場合は、高柳さんではなく、藤枝に頼むこともありますから」
「あれぇ。稲葉さんってそういう仕事のやり方するんですか」
「……どういうことですか」

嫌味な様子もなく、ごく普通に言われたリカの方が顔が強張ってしまう。
あくまでこの番組のチーフディレクターはリカであり、場合によってはリカが取材には同行しないこともこれからは増えてくる。そう言う場合に、こうしてディレクターを無視した進め方をされては困るという話をしているだけなのだ。

「聞き方によっては自分のお気に入りとしか仕事をしないよって聞こえちゃいますけどねぇ」
「そう聞こえたなら謝ります。でも、ディレクターが全体を見ていますけど、協力していい番組にしてきたいだけです」
「そうですよね。やっぱり稲葉さんは素敵な人ですねぇ。俺もちょっと皮肉な言い方してすみません。そうだ、俺、稲葉さんと旦那さんのなれ初め聞きましたよ。色々あるみたいですねぇ」

すぐに前言を撤回したように見えて、ひどく気持ちを逆なでるような物言いである。こうなっては苦手だ、どうのと言っても仕方がないのだと自分に言い聞かせるリカに、高柳は大祐の話をわざわざ持ち出してきた。
色々ある、と言われては現在もなにか問題が継続しているようにも聞こえてしまう。

「色々なんてないですよ。それより、高柳さんはこの前どうして……」

この前は家の近くにいたのか。
それを問いただそうとしたリカを遮って、高柳が配属になってすぐの歓迎会の席での話を話し始める。電車での移動ではあるが、何とも不愉快な時間である。

「色々あるんじゃないですか?旦那さんが自衛官ってお互いに秘密も多いでしょうし、スキャンダルとかもねぇ。ほら、前に風俗の話したでしょう?多いらしいですよね。自衛官って」
「それは……、人によるみたいですよ。藤枝も言ってましたし」
「いや、それは男の方便ですよ。そういうの信じちゃう稲葉さんて可愛いですねえ」

はっきりとリカを小馬鹿にしたような口調にもはや、リカは胸の内で念仏でも唱える以外に方法がなかった。これがほかの誰かのことであるなら、さっさと怒ってしまえたが、こと、自分に関してはそうもいかない。

「世間ずれしてないっていうか、そういうところ、旦那さんも可愛くて仕方がないんでしょう」

―― お願いだから、早く電車ついて!

徐々に口調も悪くなく、何も悪いことを言っているわけではないのに、高柳の口調すべてがリカを脅しているようにも聞こえてきて、本気で怖くなる。

「あ、そういや、旦那さんのメルアドとか聞いておけばよかったな。今日のベストショット、送ってあげられたのに」
「ちょっと!!やめてください!」

その一言に、ついリカが声を大きくしてしまう。はっと周りの視線を感じて、吊革につかまったまま再び体の向きを戻したが、それでも気が済まなかった。あんなわざとらしいとられ方をした写真などどうでもいいが、それを大祐に送ろうという根性が許せない。

「そんなことしたら、絶対許さないから」
「やだなぁ。冗談ですよ。でも、聞いてみたいですねぇ。許さないってどうするんです?俺を外します?プライベートな理由で?」
「……!」

ぐっとリカは言葉に詰まる。リカが許さなくても関係ないのだと言われたようなものだ。確かに、プライベートな理由で仕事を左右するわけにもいかない。

「気になるなぁ。どういう風に許さないんだろう」
「許さないんだからあなたには関係ないでしょ?……ていうか、あんなわざとらしい写メ消してください」
「嫌ですよ」

にっと笑った高柳の目が少しも笑っていなくて、リカは獣を前にしたウサギのような気分になる。

「どこでどういう風に使えるかわかんないんで」
「そ……!」
「おりますよー」

ちょうど局の前についた電車のドアが開く。それをどうするつもりだと言いかけたリカの言葉はそのまま飲み込まれてしまい、結局言えないまま、局に戻ることになった。

局に戻って、席に座ったリカは、取材データを取り出しながら、携帯から藤枝に今夜空いていないかとメールを送る。結婚してからは、二人きりもなくなったし、飲みに行くこともかなり減ってはいたが、飲み友達としては変わりがない。
OKの返事が返って来たところで、ひとまずほっとしたリカは大祐に、藤枝と飲みに行くから遅くなるとメールを送った。

『了解です。あまり遅くならないように帰ってきてね』

形にならないもやもやとした不安をひとまず口に出せそうなことが、リカを落ち着かせた。
いつものように待ち合わせて飲みに向かったバーで、あのね、と切り出す。

「藤枝さぁ。あの高柳さんって後輩でしょ?」
「ん?……後輩、ね。まあね」
「なによ。その奥歯に物が挟まったような言い方」
「後輩つっても、接点少ないし?今は、俺が忙しい分あっちに仕事が零れて行ってるみたいだけど、関わり合いはあんまりないしなぁ」

それだけ遠い存在だという事らしく、立場上は確かに後輩でも接点が少なければ、あまり情報を持たないだろう。客観的に聞いてくれることを願いながら、ビールグラスを置いた。

「……実はちょっと困ってて、さ」
「困る?」

ん?と片方の眉を上げてリカに話を促しながらも、藤枝にも何か含みがありそうな気配がする。
ひとまず、初めは冗談かと思っていたがこんな風に口説かれているような話をされた事、それから家に現れたらしいこと、近所の店でばったり会ったこと、そして今日の写メまで一通り話して聞かせた。

「私も、仕事だし、こういうことって、誰かに話すのはどうかと思ったんだけど、さすがになんだか怖くて」

最後まで黙って話を聞いていた藤枝は、いつの間にか難しい顔をして手にしていたビールを空にしていた。

「藤枝?」
「あ?……話はだいたい分かった。お前、それさ。阿久津さんにも言った方がいいんじゃね?」
「そう?そう思う?」

これが女性ならではの悩みでもあって、一歩間違うと冗談のわからないとか、融通の利かない、とか女だけに誤解も引き寄せかねない。だから女は不自由だと柚木なら一緒に怒ってくれるところだろう。

マスターにお代わりを頼みながら、珍しく藤枝が真剣な顔で隣に座るリカの顔を見た。

投稿者 kogetsu

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