「なるほど。状況は把握しました。ひとまず明日、根回しを始めますので午前中いっぱいはかかりますが、大丈夫でしょうか?」
電話の向こうでは、表で話しているために少し聞き取りづらかったが何とかすると請け合ってくれた。
「では、一応、空井一尉にも話が伝わるかもしれませんがこちらでうまくやりますので。はい、では」
携帯が温かくなるほどには長い電話である。藤枝から電話を受けた比嘉は、ぱちっと一度、携帯を閉じてから充電器につないで、もう一度開く。
ぽちぽちとメールを打ち始めると、宛先に次々と名前を追加して送信ボタンを押した。
そろそろ飲んでいたとしても切り上げるような時間ではあったが、すぐにあちこちから返信が返ってきた。
片山や槇を仕事の調整をさせて呼びつけるにはなかなか無理があるが、ひとまず、鷺坂は朝一で顔を見せると言ってくれたのが心強い。
『空井夫妻がピンチです。明日すぐ、根回し開始したいのですが、協力お願いします』
送ったのはたったそれだけだ。なのに、全員がすぐに了解、とメールを返してくる。
当然とばかりに頷いた比嘉の元に、柚木から電話がはいった。
『ちょっと、あいつらがピンチってどゆことっ?!』
今ではリカと親友として付き合っている柚木である。比嘉にしてみれば、想定通りだ。
「はい。空井夫妻というより、稲葉さんが、という方が正確なんですが」
『んなこた、どっちでもいいんだよ!ピンチに変わりないんだから!どういうことかいいなさいよ!?』
つい先日も、子供の様子を聞きに電話してきたばかりのリカになにが?と、きっと血相が変わっている。傍で槇がはらはらしているにちがいない。
「はい、落ち着いてください。どうせならこの電話、スピーカーになりますか?槇さんにも説明しなきゃいけないので」
そういうとすぐ傍にいる本人が手を出したのだろう。
比嘉さん、いいですよ、と声が聞こえた。
「わかりました。じゃあお話しましょう。実は……」
そこから、リカが高柳を連れてきた時のこと、心配しているうちに藤枝からかかってきた電話の話を説明すると、柚木は案の定、女だからってといい出した。
『あたしが行って蹴りの二、三発食らわして』
『いきなりそれじゃ、犯罪者だから!もー、あんたは大人しくして。空井一尉にはまだ?』
二重音声に比嘉スマイルを、浮かべながら頷く。
「もちろんまだです。稲葉さんもなかなか話し辛いでしょうし、空井一尉もだてに元パイロットじゃありませんからね」
傍で聞いているとそれだけの会話でしかないが、一言の中にいくつもの意味合いが含まれていて、話の中身はだいぶ剣呑である。そして、彼らは守りのプロなのだ。
「なるほど。比嘉は空井担当すかね。どうせ先頭切るのは鷺坂室長でしょ?」
突如飛び込んできたメールに、あたふたしていた柚木の隣で、非常に冷静に事態を把握した槇は、頭の中でアレコレとあたりをつける。
比嘉と、軽く一言二言かわしただけで、何をしようとしているのか、大枠がみえてくるのは昔取った何とかというやつだ。
「了解。俺はあんまりできることなさそうだけど、それなりに防大時代の付き合いはまだあるからそっち方面、まかしといて」
お願いします、という声に見事な鷺坂リスペクツの策士の顏が思い浮かぶ。
ちょっと、どうゆうことよ?!と噛み付く柚木には自分が説明します、と言って電話を切った。
「槇!あんたねえ!」
興奮しているのもあって、呼び方がつい戻ってしまう。
電話を切った瞬間に愛娘を人質ばりに腕から奪われた槇が、ポンポンと畳の上を叩いた。
「稲葉さんのことになると、頭に血がのぼりすぎだろう。ちゃんと説明するからまず座んなさいよ」
頭に血が上っていても、柚木が一瞬でも娘に目をむけたのをこれ幸いに座らせた。片山にいわせると、猛獣使いというらしいが、産休中の柚木にもやることがあるのだ。
「とにかく、稲葉さんに典子は護身術教えてあげて。今のままじゃ危ないだろ」
「うん、それは思う。家まで来るって異常だろ。ストーカーかよ」
「口が悪すぎる。……確かにそう思うけど、相手はまともなんだろうし、頭もいいからそういうぎりぎりのところまで踏み込んできておいて、何か稲葉さんがいったら、稲葉さんの立場が悪くなるように動いてるんだろ?そこに乗らないで自己防衛できるようにしてあげないと」
それは確かにそうだ。今の柚木は愛娘と共に、リカの家に泊まり込みでもしようかと思うくらいなのだ。
「ああ……でも、それはいいかもしんない。ひとまず空井一尉がどのくらい動けるかの様子次第かな」
「うん、いざとなったらこの子は実家に預けてもいいしさ」
そこは夫婦そろって一致団結している。泊まり込むといってもそんなに何日もの間でなければ、ずっと家にいるだけの柚木なら娘と共に留守番くらいは朝飯前なのだった。
どこにでも高柳のような男はいる。高柳はそういう類の中でも頭が回る割に悪質な方だ。
系列の子会社でくすぶっていたところをせっかく本局に回るチャンスが来たのだ。この機会を逃してなるものか。
一人、部屋で酒を飲みながら携帯で撮った写メを眺めていた。嫌そうな顔でも仕事中で取材対象の前だからだろうか。
怒るに怒れずに写真に納まっているリカが写っていた。
携帯のカメラはいつも連写モードにしてある。いつどこで何があっても、確実に撮れるようにだ。連写でなければきっとこれもぶれた1枚画像でしかない。
しっかり腰に回した手まで入っているのが高柳自身もナイスショットだったと思う。
「さて。どっちが話が早いかな」
局でのリカの立場を脅かすほうが簡単だろうが、立場が無くなっては自分まで巻き添えになりかねない。それよりは、ひとまず旦那の方を攻めるのが賢明な気がした。
どんな女でも、大事な男にこんな写真など見られたくないだろう。いくら仕事中に悪ふざけされたのだと説明されても気分のいい男などいない。
許しはしても、不快感は残る。
実は空井のメルアドならすでにゲットしているのだ。過去の取材時の記録は残っているし、今の空自担当にさりげなく昔の話は聞いてあったのだ。
「なかなかいい男みたいだったけど、新婚さんで、自分の女房のこういう写真に耐えられるか……。とりあえず、ワンクールは俺メインを確保できればいいか」
大人の社会見学は手堅い番組だけに、とりあえず改編期以降の1クールは決まっていたが、上手くいけば継続になるはずだ。そうなれば、そこにメインとして出ることは高柳にとっても次のステップに足がかかる。
―― せいぜい、俺のために頑張ってもらわないとな
正直リカのことなどどうでもよかった。遊ぶための女には事欠かない。
せいぜい、美人だし少し遊ぶにはちょうどいいくらいだが、一番はやはりその立場だ。これまでもトラブルの経歴があって、それでも真面目で、女で。
いざ何かあったと騒がれてもまたあの女か、となりやすい。
高柳にとってはまさにうってつけの相手だと思っていた。まさか、その夫である大祐と周囲にどれだけの人物が関わっているのか知らなかったからこそ、そんな風にも思えるのだろう。
相手を甘く見ていたわけではないが、誤算はそこにあった。