『大人の社会見学』
新企画であり、確かに力が入った番組でもある。だが、今、撮影を行っている現場でリカはいつも以上に気合いの入った撮影になっていた。
「稲葉さん、チェックお願いします」
「はいっ」
どうでしょう、と整った顔立ちで珠輝に続いてリカの傍に来たのはキリーこと桐谷である。
呆然とする理由のもう一つはこれだった。
報道記者走る、のドラマは好評でシーズンを重ねており、この秋から映画化が決まって撮影に入るところである。
そのタイミングにぴったりだということで、初回だけ、キリーが報道記者として取材に回るという設定になっているのだ。記者と局側のアナウンサーとして藤枝が登場するのだ。
報道記者走るでは、ドラマの時のこともあって、空自には映画でも撮影協力をという話が早々から出ていた。そこにひっかけて、大人の社会見学とをコラボさせようというのだ。
素材はいくらあっても安心なものだし、映画にも番組にも話題があっていいということで、現場には藤枝とキリーの二人が入り、撮影は映画と番組の両方が撮影するという内容の濃いものになっていた。
「はい。OKです。そちらはどうですか?」
映画の方はドラマのディレクターがリカ達との間を取り持ってくれていた。
そちらはそちらでオフショットも含めてカメラを回している。チェックが終わるとOKが出たらしく、ドラマ部のディレクターがOKサインを送ってくれて、ほっとリカは頷くと、陸幕の広報に頭を下げて礼を言った。
「どうもありがとうございます。これで本日の撮影は終了になります。先に取らせていただいたインタビューと合わせて、ナレーションをかぶせる部分もありますが、事前にチェックをお願いさせていただきますので」
「わかりました。帝都の担当さんがおっしゃってましたが、さすがにきちんとしてらっしゃいますね。こちらも安心してお任せできます」
陸幕広報の担当者は、ぱっと見た感じでは、ぽっちゃりと背も高くなくて、制服を着ていなければどこにでもいる気のいいお兄ちゃん、という雰囲気だった。
その担当さんがにこにこと頷くのでリカは礼を言いながらも、はて、という顔になる。人のよさそうな顔で頷いた担当は実はと教えてくれた。
「以前、空幕広報の担当だった方だと伺ったので、それならお任せしても安心だと思って、こちらも窓口を決める際、大変かと思いましたが、稲葉さんに一括していただきました」
「ご存じだったんですね。でも、それはだいぶ前のことですし」
「いえ、帝都さんのうちの担当さんからも太鼓判でしたから」
そこまで褒められれば苦笑いしか出てこない。
困ったなと思っていると、ドラマ部のディレクターも傍にきて、会話の邪魔にならないよう一呼吸おいてから改めて礼を言った。
その二人が並ぶと、なんだか兄弟のようでリカはくすっと笑ってしまった。当人たちも初対面の気がしないと意気投合しているらしい。
「次は海ですね」
「ええ」
二人が頷く先では、映画の方で、まだ素材撮りが進んでいた。
リカの方の番組は1時間でも実際には20分程度しか時間がかけられない。ただ、映画の方では色々と使える場面もあるらしく、リカ達よりも先に撮影に入っていた。
一通りの撮影と取材が終わると、撮影隊を代表してもう一度礼を言ってから撤収にかかった。
帰りの取材車のなかでリカは藤枝と後部座席に収まっている。隣り合って座っていると言っても、マイクロバスのような車なので間には肘掛と荷物を置く場所があって、一人掛けの椅子のようなものだ。
疲労を感じているのは同じで変わらないが、どこかぼうっとして頭の中を休めていたリカに話しかけた。
「しかし、話でかくなったよなぁ」
「そうねぇ。私も企画を立てた時はここまで大きな話になるとは思ってなかった」
結局、この件で藤枝のスケジュールも大幅に調整されて、今回は全面的に藤枝の投入が決まっていた。高柳は何かあった時のためのサブとして取材には同行していたが、初めから終わりまで眉間に皺を寄せて面白くなさそうに眺めているだけで、出番などあるはずもない。
今も、取材が終わってからリカ達は局に戻ってやるべきことがあるが、半分、外された格好になった高柳はやることがない。直帰しても構わないといった瞬間、顎だけを軽く引いてさっさと帰って行ってしまった。
―― そりゃ、やるときはやる人たちだけどね。ここまであの短期間でセッティングやってくれるところがすげぇわ
内心、藤枝はそう思っていた。たった数日やそこらで、空自だけではなく、陸と海の承諾も得てもともとの取材予定を変更しないかと提案してきたと聞けばどんな魔術師がいるのかと思ってしまう。
初めリカが打ち合わせで話を聞かされた時と同様に、藤枝も話を聞いて目を丸くして驚いた。
阿久津とどういうコネがあってそんな話になったのかはわからないが、陸と海を巻き込んだだけでなく、キリーまでつけてくるとは。
初めは苦虫をこれでもかと噛みつぶしたような顔だった阿久津の目が、それでもどこか面白がっているように見えたのは藤枝の錯覚ではないはずだ。
「いいか、常識ある人間は周りから詐欺師と言われることはまずない。逆に、そういわせて伝説にまでなる人間はどこか変わっていて、底力も半端じゃない。そういう人間と知り合いになったらもう最後だと思う。……まったく、誰があっくんだ」
「あっくん?」
「なんでもない。こっちの話だ」
確かにあの時、夜に藤枝が電話をかけて、次に来た比嘉の連絡は【万事問題ありません】だけだったのだ。どうなったのかと密かに気をもんでいたのに、しばらくたってから、夕方仕事が終わってリカのところに行ったところ、こんな大きな話になっていたという次第だ。
密かに藤枝は比嘉にメールでどうやってそんなことができたのか尋ねてみたが、企業秘密と言って教えてくれなかった。ふう、と大きく息を履くと、両手を大きく伸ばして疲れをほぐす。
「にしても、やっぱりお前の空自担当時代の仕事が役に立ってよかったな」
「ま、ね。それぞれ違うことも多いけど、NGなところとか大体一緒だし。それに……」
相手に寄り添っても入り込みすぎないことは十分、身に染みている。
少しでも早く帰れるようにと、ノートPCを開いたリカは、取材時のポイントを藤枝と打ち合わせながら簡単にまとめ始めた。
そして、次の取材先、海自についてもまとめきれていないところを早めに詰めなければならない。それに、今日の取材の時に、行き届かなかったところを含めて、映画部隊とドラマ部隊、そしてリカ達の番組とで共有しなければ。
箇条書きで手早くまとめるとそれぞれの担当者にメールを送って、ノートPCを閉じる。暗くなりだした表に目を向けると、隣でいつの間にか眠ってしまったらしい藤枝の微かな寝息が聞こえた。
局につくまで、リカも少しでも休もうと、目を閉じた。