「それから、うちの室長と相談して、俺が空幕に行く間、空幕から代わりの人が来ることになって、その人が松島に来てから引き継ぎを済ませて、ようやく今日の夕方、車でこっちに来たわけ」
そう言って、後ろを振り返ると確かに普段とは違って荷物が多かった。車はしばらくの間、こちらに置くことになるので荷物を一度、リカの部屋に置いてから市ヶ谷に置かせてもらっているらしい。
「え、え。何から言えばいいのか……。私、別に隠してたわけじゃないの!ただ、なんというか、初めは空自さんだけの取材のはずが自衛隊ってなっちゃって、比嘉さんの紹介で陸幕と海幕の広報さんに紹介されたりして慌ただしかったし、それに、大祐さんも今週、急に忙しくなったみたいだったし、そんなことになってるって知らなかったし」
「はい。ストップ。わかってるから」
驚いたリカが驚いた事と、黙っていたことで混乱しつつ、、大祐の笑顔に遮られた。
リカの額にごつんと、自分の額を当てた大祐は、軽く目を閉じて、リカの背負うものを少しでも分けられればいいのにと思う。
「比嘉さんが言ってた。今回の企画で、リカがチーフディレクターになるって。そしたら今までよりも比較的決まった時間で帰れるようになるし、俺との時間も作れるようになるはずだからって頑張ってたって」
リカは目の前の大祐の長いまつ毛と、形のいい唇が動くのを見ていた。
できるかどうかまだはっきりしない事でもあったので、結果を出してから伝えようと思ったいたのだが、知っていたのか、と少しだけ申し訳なさと残念さが浮かぶ。一緒に仕事ができることはリカにとっても嬉しいことだし、応援してくれることも嬉しいが、何の先入観もなしに出来上がったものを見て欲しかったというのもある。
触れていれば伝わるのか、リカの少しの残念さは大祐にも伝わったらしい。伝わったうえで、あえて伝えたい思いもある。
「俺はそれだけでも嬉しかったけど、リカが頑張ってることが認めてもらえるのがもっと嬉しいなって。それに、その初めての回が俺達も協力できるらしいって聞いて、めちゃくちゃ嬉しくて、そこに元パイロットだからって呼んでもらえたこともすっごく嬉しくて、俺、すごいテンションあがっちゃった」
リカが忙しくしていることもあって、ここしばらくはほとんどメールのやり取りと、おはよう、お休みの電話だけだった。先週その話を聞いてからはますますそれに拍車がかかっていたのは、実は大祐の方も引き継ぎに追われていて忙しかったからなのだ。
「ああ……。うん。そうだよね。すごく、私も嬉しい。大祐さんだったら話しててもちゃんと見てくれるのに、ちょっと見栄張っちゃったね。上がれるかどうか、不安だったの。先に話して駄目だったらがっかりしちゃうし、あー……。私、自分で思ってるよりもすごく心配だったのかも」
額を離した大祐は、リカから手を離すときちんと座りなおした。
わかってるよ、という気持ちも込めて向かい合って見つめ合って。
「というわけで、先週末に空幕から来た人に引き継ぎをしてきたので、しばらく帝都テレビさんの取材が終わるまではこちらにいることになりました」
言うだけ言ってから首を傾げて、家に置いてくれる?と聞いてきた大祐に何とも言えない笑みを浮かべたリカがはい、と頷いた。
しばらくはここから出勤してここに帰ってきてくれるのかと思うと、リカも嬉しくて大祐にぎゅっと抱きつく。
「あたりまえじゃないですか。ここは大祐さんの東京の家だもの。それよりも、私、せっかく一緒にいてくれるのに、忙しくて、家事とか全然だめかもしれないけど、呆れないでね?」
「そんなことで呆れたりしないよ。逆に、忙しいリカに俺が何か協力できるってすごいことじゃない?いつもなら電話の向こうで心配してるばっかりなのにさ」
「そ……れでいいのかな」
―― 困った人だなぁ
申し訳なさそうな顔をするリカに、いつも不思議に思う。大祐自身が家事をこなせるからもあるのだろうが、リカに家事全般をやってほしいと思ったことなど一度もない。
共に働いているのだから、できる方がすればいいくらいにしか思っていないのだ。
それをいくら言っても、まじめすぎるからか、リカは何度も繰り返す。
キラリと自分と同じ指輪を付けた手を握ると、ぽんぽん、と軽く手を叩いた。
「リカ、自分でも気づいてないでしょ」
「え?何を?」
「今回、その企画が始まって忙しくなって会えなくなったって言うとき、ごめんなさい、って言ってないんだよ」
怪訝そうな顔で話を聞いたリカは、記憶を手繰っても思い出せないがごめんの一言もないほど甘え倒していたかと恥じ入りそうになった。そんなリカの表情を読んで、ぱっと大祐が笑う。
「違う違う。誤解だよ。リカ、ごめんって言わない方があってるんだよ。だって、リカにとっては大事な仕事でしょ?しかも今回は特に。だったら、ゴメンって言う必要なんかない。胸張って、すごい仕事してるんだって自慢していいくらいだよ」
もっと自慢して、という大祐に苦笑いを浮かべたリカは自慢はできないなぁと呟いた。
「だって、発表前だもの」
「あ、そっか」
互いに笑いあった後、リカの方からもう一度、大祐にぎゅっと抱きついた。
「ありがとう。一緒に仕事ができるなんて、私もすごく嬉しい」
「うん。俺も。次は海自の取材で横須賀でしょ?」
それにはさすがについていくわけにいかないが、その後こそ、空幕広報の出番だった。
知られているのならと、リカはそれから取材の中身についても本当は聞いてほしかったのだと話し始めた。
たくさん、話したかったことを我慢していたらしく、寝る支度をしながらもずっと話をしていたリカはベッドに横になっても話し続けた。そして、徐々にしどろもどろになって、いつの間にか眠ってしまう。
少し、目の下が腫れぼったい気がしていたリカの顔を眺めていた大祐は、ふう、とため息をつく。
本当はもっと早くに来られればよかったと思う。
電話で話した時は、あえて言わなかったと比嘉は言っていたが、荷物を置いてから車を置きがてら顔を出した大祐は比嘉に誘われて廊下の休憩スペースに移動した。
今は喫煙者もいないので、人の気配がないガラス張りの部屋の中で比嘉から高柳の話を聞いたのだ。
「私が知っているのは、ご本人にお目にかかった時の印象です。あとは藤枝さんから聞いた話なので、それがどこまでかはわかりません。それを頭に入れておいて聞いてください。今僕は、稲葉さんの旦那さんである空井さんにお話ししてます」
「……はい」
妙に持って回った言い回しに眉を顰めながら話を聞いているうちに、知らず知らず拳を握りしめてしまう。
「そういうわけで、お仕事中は極力1人にならないよう、藤枝さんと周りの女性の方が協力してくださってるそうです」
「……佐藤さんですね。以前、合コンしたじゃないですか。あの方だと思います」
「ええ。今のところ、身の回りで危険なことは今はまだないそうですが、そういう方なので、いつ牙を剥くかわかりません。藤枝さんから協力依頼をいただきましたので、私も鷺坂室長に連絡を取りました」
黙って、ゆっくりと頭を下げた大祐は、胸の内に沸きあがった感情を押さえこもうとしてそれができなかった。自分だけが知らなかった、という事実をさておいたとしても、そんな男がリカの傍にいるというだけで身の内が焼けるような思いがする。
「空井一尉にお知らせするのが遅くなったのは、この通り謝ります」
大祐の拳がきつく握りしめられるのを見た比嘉が、頭を下げた。
はっと我に返って、ぶんぶんと手を振る。謝ってもらうようなことではなく、逆にリカを守ってくれる手助けをしてくれているのだから、礼を言わなければならないくらいだ。
「そんな、やめてください。比嘉さんはリカのために動いてくださってるんですから」
「いえ、それでも謝るべきだとは思います。申し訳ありません。ただ、これだけは稲葉さんを信じてあげてください。稲葉さんは、ぎりぎりまでお一人でなんとかしようとされていましたし、話をしたのは藤枝さんだけでした。それも相手の方と同じ部署ということで少しでも相手の方の事を知っているかもしれないからです。空井一尉には心配をかけたくなかったんだと思いますよ」
「……わかってます」
―― もちろん、わかってる。リカはそういう人だから
まっすぐに何とかできないかと自分を擦り減らしてもできることを探していたはずだ。そして、大祐にも心配をかけたくないという気持ちもよくわかる。
―― 落ち着け。問題はそこじゃないはずだ
目先の事に囚われていては駄目だと自分自身を叱りつけた大祐は、続けてください、と言った。