Honey Trap 2

本当なら、大祐に素直になぜそんな話になったのか、話せばよかったのかもしれないが、それはそれでなかなか言いづらい事情がある。

テレビ局に働く人々の中でも、正社員は存外少ないもので、半分くらいは派遣や、協力や関係子会社だったりすることもある。彼らも仕事に関しては特に分け隔てがあるわけではないが、待遇にはやはり差が出てきてしまう。

リカの新しい番組には、新しいスタッフも入ってきていて、それは新しい刺激にもつながるからお互いに力を出し合えばいい。そう思っていたのは少し前のリカで、今は思いがけない事態に悩まされていた。

「稲葉さんって、変わりましたよねぇ」
「そんなことないですって」

新しくスタッフに加わったのは藤枝が報道の方で手がいっぱいになってなかなかナレーションの仕事が難しくなってきたために、増員されたアナウンサーである。

藤枝は一見、わかりやすいチャラ男ではあったが、その根っこは真面目で、優しいからこそ、周りに女の子が多いのだが、新しく来た高柳というアナウンサーは一見、硬派に見えて、時に無愛想なくらいだからこそ、そのクールさに引かれる女子が周りに集まる男だった。

「いえいえ、絶対変わりましたよ。報道にいた頃を俺も見かけてましたけど、すっごいきれいになりましたね」

番組のキックオフをかねての親睦飲み会で、そういって近づいてくる高柳の行動に内心では、少しばかり困ってもいた。
珠輝には坂手がべったりくっついていたし、坂手と阿久津は話し込んでいて、ほかは帝都イブニングのスタッフが何人かいるくらいである。互いに好き勝手飲んでいれば、あまり気を引かないというのを見越してリカに近づいているらしいところが小賢しい気がしていた。

いくら鈍いリカでも隣りに移動してきた高柳に適度に距離を持ちながら、なるべくやんわり離れようとする。

「そんなことより、高柳さんは藤枝の後輩でしたっけ」
「ああ、ええ。まあ。そのうち藤枝先輩にも追いつきますよ」

―― いろんな意味でね

居酒屋の座敷で、畳にわざと片手をついてリカの耳元に向かって囁いた高柳にざわっとしたリカは、高柳を要注意人物として意識するようになった。

そんな高柳にある日の取材で出かけた先で、すっかり話を誘導されてしまったのだ。

「稲葉さん、たまに指輪してる日としてない日がありますよね」
「あ、うん。どうしても邪魔になる日は、こうしてネックレスにして首から下げてるんです」
「へぇ。結婚指輪ですよね?旦那さんに捧げちゃってるんだ」
「そういうわけじゃ……」

いずれにしても面倒な相手なことはわかっている。何とか当たり障りなく、話を終わらせたくなったリカだが、そう思い通りには進まなかった。

「そういう日は大人の遊びもいいのに」
「大人の遊び……?」
「そ。俺、そういう結婚してるとか気にしないから俺にも声をかけてくれればいいのにって思ってましたよ?」

いきなり、昼日中から何を言い出すのかとぎょっとしたリカに平然とした顔を向ける。
本命の彼女がいない分、藤枝とはまた違った意味で高柳もそれなりに遊んでいるらしかった。

「あれ?俺、結構、稲葉さんのこと好きですよ」

アプローチしてるのにどうして気付いてくれないかなぁ、と呟いた高柳をリカはぱくぱくと口を動かして、なんとか言葉を紡ぎだそうとした。

「だっ……、あの、私結婚してるんですけど!」
「だから知ってますってば。稲葉さんて、意外と恋愛に関しては隙だらけっぽいじゃないですか。俺、そういうの大好物」

大好物とは何事だと言いたかったが、呆れるのを通り越してしまい、何と言っていいかわからない。その間も、高柳はなんてことないことだと話し続ける。

「稲葉さんって、別居婚なんでしょ?寂しいときは呼んでくださいよ」
「じょ、冗談じゃないですよ!なんで呼ばなくちゃいけないんですか。……それくらいだったら藤枝と飲みに行くわよ」

あまりに本気で言い返したリカを見て、高柳が少しだけ鼻白んだ顔でリカを見る。
まさかこの年で、こんな仕事をしていて、さらりと受け流すわけでもなく、純情可憐な乙女のようなことを言うとは本気で思ってもみなかったらしい。

「……稲葉さん、本気で言ってます?」
「なにが?!」

正直に言い返したリカにますます驚いた高柳は珍しいものでも見る目つきでじろじろとリカを眺める。

「はーん。じゃあ、藤枝先輩が稲葉さんのガードだったんだ」
「ガード?」
「そ。付き合ってるような付き合ってないようなって微妙ですよね?ましてこんな会社だったら」

素直に回転扉をくぐって、最寄駅のオフィスビルの商業フロアに足を向けると、手近なところにコーヒーショップが見えた。
少しばかり強引な高柳の誘いで、店に入ったリカは、無難にアイスラテを頼むとカウンター席に向かう。

「いやー、すごいな。藤枝さん、本当にナイトだったんだ」

どこに感心しているのかと怒りたかったが、ひとまず言い分を聞くことにする。

「いや、藤枝さんが相手なら、わざとらしく遊びにいったりしても普通のカップルくらいにしか思わないだろうし。否定しておいても、そこはうまく誘導してたんだろうなぁと思ったんですよ」
「誘導ってなに?もう何言ってるんですか!」
「だから、稲葉さんに手を出そうとする男が出てこないようにってことですよ」

そうでもなければ、いくらガツガツと名高いとはいえ、リカほどの美人なら、手を出そうとする男の一人や二人、いても全くおかしくはなかった。
にもかかわらず、これだけ免疫のなさを露呈している姿を見ると、逆にそれを崩してみたくなってくるのは男のサガのようなものだ。まして、高柳にとっては大好物と言える。
これだけ固くて、免疫のない女を自分に溺れさせてみたいと思ってしまうのだ。

まして、リカはディレクターとして番組にもコーナーにも権限がある。高柳にとってはメリットしかないような相手だった。

「ふうん。面白いな。じゃあ、稲葉さん。俺と付き合いません?」
「……あのねぇ。付き合うも何も私は結婚してるの」
「だからそういうの関係ありませんって。別に家庭を壊せなんていってませんけど?」

そこまで来るともはや宇宙人と同じだ。何を言っているのかはわかっても、なんでそんな思考回路になるのか全く理解ができなかった。
軽く首を振ったリカは、話にならないと思いながら、この話は大祐に聞かせられないなと思っていた。

「空井、お前さ。自分もだけど、稲ぴょんも相当もてること、わかってる?」

自分に関するところは完全にスルーしたうえで、そりゃあ、と頷いた空井はいくらかゲンナリした顔になる。
リカの元に来た週末、たまにはと旧広報室の鷺坂と比嘉の二人が空井とリカを飲みに誘っていた。

リカが遅れるというので、先にりん串に辿り着いた空井はビールが来て早々に、鷺坂に話を振られたのだ。

「この前さ。稲ぴょんにたまたま会ったんだけど、なんか最近、周りにいい男が増えたらしいよ?」
「この前って、いつの話ですか?」

ほぼ、毎日電話している愛妻からは、そんな話は聞いていない、と空井の目が鋭くなる。剣呑な視線に鷺坂が苦笑いを浮かべた。

「おいおい。俺がなにかしたわけじゃないんだから、俺を睨むなよ」
「鷺坂室長は、息子夫婦を気にかけてくださってるんですよ。僕も、階級は下ですが、兄の気持ちでね」

比嘉にやんわりと制されて、もごもごと、口の中で一応、礼を言うが、なんともすっきりしない。リカからは鷺坂に会った話も、周りにいい男がいるという話も聞いてはいないのだ。

「そりゃあさ。お前がそんな顔するから隠しておきたかったんじゃないの?稲ぴょんはしっかりしてるから大丈夫だと思うけど、稲ぴょんを責めるんじゃなくて、その周りに気を配ってやんなさい」
「はあ……」

わかったようなわからないような顔でぐびりと飲んだ後、ジョッキについた水滴を指先で遊びながら、空井は眉間に皺を寄せた。

「自分、その、つい、稲葉さんにお酒飲まないでくれとか、もっとその……可愛いカッコしないでほしいとか、お願いばっかりしちゃうんです。その、周りに気をってどうすればいいのかさっぱり……」

リカが可愛いことは事実だし、美人であることも事実で変えようがない分、せめて空井としては男に隙を見せないでほしいと思うのだ。
それを聞いた鷺坂と比嘉は顔を見合わせて意味ありげに視線を交わす。

「空井一尉は目の前の事に集中するタイプですから。でも、される方はそれじゃあ、窮屈に思うかもしれませんよ?」
「比嘉さん?!何か知ってるんですか?」

さすがに、鷺坂には噛みつけなくても比嘉には幾分気安いのか、向かいに座っている比嘉にむかって正座し直した。

投稿者 kogetsu

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