隣りに眠っているはずの気配がなくて、ぱちっと目を覚ました大祐はソファにもたれるように眠っているリカの姿を見つけた。
今日も平日でまだ仕事があるのに、そんなところで、とそっと起き上がると、ちらりと時計を見る。
まだかろうじて明るくなり始めた時間で、もう少し眠れそうだ。
そっとリカの傍に近づいて起こさないように抱き上げると、ベッドに連れて戻った。
腕に抱きしめたままベッドに横になると、まだ眠っているはずのリカが無意識に大祐の胸に寄り添う。
その仕草に自然と抱き寄せる腕が強くなる。
時には言い合っても何をしても、好きだと伝わってくる感じに胸が締め付けられた。
やっぱり好きだと思う気持ちと、同じように思ってくれているのだと信じられる気がして、リカの髪に頬を摺り寄せるようにして目を閉じた。
このまま休みだといいのに、と思いながらあと少しと思う。
アラーム音でほとんど同時に目を覚ました瞬間。
「おはよう」
「……おはよ」
「頭痛くない?」
「大丈夫。でも、めちゃくちゃ眠い……」
ぷっと吹き出した大祐がリカの髪をくしゃくしゃと撫でた。
「朝ご飯、俺が作るよ。その間にもう一度シャワー浴びたら」
「……ん。でも食べられないかも」
「いいよ。少しでも」
話しながら、離れる瞬間にぎゅっと抱きしめて首筋に口づけてから名残を惜しむように離れる。
先に大祐がベッドから抜け出して、顔を洗いに行った。
少しの不機嫌を互いに抱えていても、それはそれとして一緒にいられることは嬉しい。
まるで中学生のような恋愛と言われていても、そこは大人として受け入れられる。
起き出したリカはキッチンに立った大祐の後ろに立って、その背中に額を付けた。
「昨夜はごめんなさい。……またちゃんと話したいです」
「……うん。俺もごめん。今夜でもちゃんと話そう」
きちんと伝えることが不器用でなかなかできなかった二人だから、今はこうしてきちんと、言葉にすることを大事に想う。
こうして二人の時間と夫婦であることを積み重ねていくのかなと思った。
局に向かうと、すでに出社していた高柳がリカに笑顔で挨拶してくる。
「おはようございます。稲葉さん。コーヒー入れましょうか?」
「おはようございます。いえ、大丈夫です。自分でやりますから」
ジャケットを脱いで席に座ったリカの傍に立った高柳が屈みこんでリカの耳に触れた。
「きゃっ!」
「あれぇ。俺があげたやつ、してくれないんですね?」
思いがけず触れられた感覚に驚いて身を引いたリカが、目を丸くして見上げると、飛びのきそうなくらい近づいてきた高柳が囁いた。
「もしかして、旦那さんに内緒とか?」
内緒にしていれば、まだまだつけいる隙はある。
―― 女なんてそんなものだからな
飛びのいたリカにまだいけるか、と内心、ニヤついた高柳はもうひと押しとばかりに鼻先に香った香水の香りに微笑んだ。
「じゃあ、今度は花とか、香水とか、旦那さんにバレないものがいいですか?」
「違いますから!絶対!いただいたのもちゃんと話しました。お気遣いはありがたいですけど、もう気にしないでください」
「なんだ。残念。ちょっとは俺の気持ちわかってくれたのかと思ったんだけど」
笑顔なのにどこかが笑っていない。
―― どうしてだろう。昨日はちょっと伝わったのかなと思ったのに……
昨夜の大祐とのやり取りも含めて、自分の感じたことを信じたかった。そう思っていたのに、高柳のこの態度に、なんだか自分が間違っていて、大祐の方が正しかったのだと突き付けられているような気がした。
「高柳さん。こんなことをしていただかなくても、私、仕事はきちんとしますし、高柳さんもそうしてください。次の海自の取材もありますし」
「わかってますよ。稲葉さんは真面目ですもんね。でも、だったら俺も少しでも出してもらう余地、ありません?後半でいきなり出てくるのもおかしいでしょ?ちょこっとでいいんですよ。藤枝さんの脇、とかキリーの傍でアシスト、とか」
すくっと立ち上がったリカは、高柳に向かって毅然とした態度示そう、と思った。
高柳が思うこともわからなくもない。それをリカに頼んでくることもあり得ない話ではないのだから、足元をしっかり踏みしめて答えればいい。
「高柳さん。今回はキリーが参加していますので、事務所の方とも調整してのことなので、飛び入りはないと思います。藤枝に何かあれば別ですけど。でも、高柳さんにも次につながる仕事だと思ってます。どうぞよろしくお願いします」
―― 馬鹿か、この女……
そんなきれいごとや表向きの話などどうでもいいのだ。
大きな番組で、仕事ができれば次へのステップになる。それを寄越せと言っているのに真面目に仕事をすればなんてありきたりの回答なんて何の役にも立たない。
目の前で頭を下げたリカを冷やかな目で見つめた高柳は、かりかりと頭をかいて、ごく普通に応えた。
「残念だな。でも俺、仕事も稲葉さんも諦めないので」
は?とリカが顔を上げると、さっさと離れて行った高柳の後姿を見送った。
首をひねってもう一度座りなおしながら、リカは自分の無防備さを痛感することになる。
傍から見れば、朝から仲良く囁き合うほどの距離で話をして、去っていく後姿を見送る。そんな光景が回りからどんなふうに見られるか。
これで高柳が、誰もが普通だと思うような相手だったらよかったのかもしれない。だが、片山並みに高い身長と、藤枝にはない、少しぎらついた硬派な印象にスタッフ内にもファンは多い。
手の早い高柳はすでにアシスタントの一人に手を出していたこともリカは気づいていなかった。女性が相手であれば警戒心も薄れる。
彼女はもともとのスタッフだけに、何の疑いも持っていなかったからこそ、数日もしないうちにもっと追い込まれてしまうことになった。