Honey Trap 24

「お電話代わりました。稲葉です」
『お疲れ様です。比嘉です。稲葉さん、急ですが、本日はお時間ありませんでしょうか?』

そう言われて、リカは手帳とパソコンスケジュールを両方確認する。
特に予定は入っていなかったので、すぐに承諾を返す。

『そうですか。それでは、申し訳ないんですが、夕方でもよろしいですか?できればそのまま夜はりん串でご一緒に』
「ありがとうございます。じゃあ、何時頃にお邪魔すればよろしいですか?」
『そうですね。16時半でいかがでしょうか』
「承知しました。それではその時間に」

電話を切って途中だった仕事に取り掛かる間も、周囲の視線の意味が分かった今となってはフロアにいるのも落ち着かなかった。

「稲葉さん。木曜日と金曜日の取材ですけど」
「あ、うん」
「キリーは両日ともに現地集合ですけど、うちは取材車で出発でいいですよね。……稲葉さん?」

珠輝に差し出されていたスケジュール表を見ながら険しい顔で黙り込んだリカは、目の前にある予定さえ不確かなものに思えてきて、何度も字面をなぞってしまう。

「……そう。そうだよね。うん」
「どうしたんですか?しっかりしてくださいよ。稲葉さんらしくないですよ?」
「珠輝……」
「稲葉さんは普通にガツガツしてていいんですから!」

それはそれでどうかと思うが、珠輝の精一杯の応援にありがと、と呟いて、もう一度スケジュールに目を通した。

少し早目に局を出て市ヶ谷に向かう。
幸いなのはここ数日、高柳が関わる仕事はなくて、局に姿を見せていないことだ。

もしそこに顔を見せていたら、犯人はお前なのかと問い詰めてしまいそうだった。
コツコツと見慣れた廊下を歩いて、

「こんにちは」
「稲葉さん。お忙しいところお呼び立てして申し訳ありません」
「いえ。今日は何か……」

通いなれた応接セットに案内されると、大祐がコーヒーをいれて運んでくる。比嘉と並らぶのかと思っていると、そのまま席には座らずに軽く頭を下げた。

「すみません。僕は急ぎの調整があって、ちょっと内局の方に行ってこないといけなくて。先に比嘉さんとお願いします」
「あ、そうなんですね。全然、構いませんから」

なぜ呼ばれたのかも気になっていたがひとまずそう答えて、大祐が広報室を出ていく姿を見送る。懐かしい制服とその後ろ姿だ。

「ひさしぶりじゃないですか?」
「はい?」

比嘉とは先日も打ち合わせをしたばかりなのに、何が久しぶりかと振り返ったリカに比嘉がにこりと笑う。指先が、ちょいちょいっと大祐が去った後を指していて、ああ、とようやく意味が分かる。

「そうですね。久しぶりで、ちょっと懐かしくなりました」
「僕も、時々、隣にいる空井一尉に、二尉って話しかけそうになります」

ふふっと秘密を共有するように笑いあってから、顔を引き締める。
比嘉に呼ばれるとなると、何かまずい展開でもあっただろうか。

「で、今日は?」
「ええ。今週、でしたよね。横須賀」
「はい。おかげさまであちらとの調整もうまく行きまして」

にこにこと頷く比嘉の手がその膝の上で遊ぶ。
嫌な予感がして何か、と繰り返したリカに、比嘉は表情を変えずに何も書かれていない真っ白なコピー用紙を差し出した。

「僕らも稲葉さん達の取材のトリですから、スムーズにいきたいですね」

そう言いながら、さらさらと目の前で比嘉は最近はやっている、消せるボールペンを走らせた。

『こちらに、おかしなメールが来ましたが、空井一尉の目に触れる前に消しておきましたから』

「……っ」

はっと、息を詰めて身を乗り出したリカに、小さく比嘉は首を振った。
すぐに目の前にかかれた文字は消されていくが、そこには見えない文字がまだあるようで、リカは目を離せない。

どうやってそんなことをと思う。取材先の全部に撒かれているわけではないのは阿久津の協力で確認してあって、問題ないと思っていた。

『空井一尉あてにはなってましたが、広報室の僕らのMLあてだったので、過去のメールから転送されたのではないでしょうか』

すぐにリカの疑問を感じ取った比嘉がさらさらとその疑問に答えると、同じように再び文字を消す。
それを見ると、どうやら大祐を内局に向かわせたのは比嘉の配慮なのだろう。電話やメールでは何があるかわからないから直接伝える機会を強引に作り出した。

黙って頷いたリカが頭を下げると、ほっとした様子で首を振る。

「僕らは、稲葉さんに本当にたくさん、取材してもらいましたから、御恩返しも兼ねていい取材にしたいんです」
「鷺坂室長なら、その効果はこのくらい、ってすぐに言われそうですね」
「そうですね。今の室長は、鷺坂リスペクツ路線からまただいぶそれてますが、系統は同じです」

無理矢理笑顔を作って、周りにいる人たちに勘ぐられないように。
まだ大祐ときちんと話をする時間がなくて、ゆっくり話したいと思っていたのに。

自分の手におえることの限界なんてどこにあるんだろう。仕事は一人でするものではないし、まして高柳のことをどこまでリカが負うべきかなんて、建前と本音と現実の間をうろうろするしかない。

―― なんて、無力なんだろう

誰かの手を借りることが時には苦痛になる。帰ったら大祐と話をしよう。リカはそう思った。

投稿者 kogetsu

「Honey Trap 24」に2件のコメントがあります
  1. こんばんは。ちょっとの間にお話一杯‼うれしいです。
    ちょこっと中身が変化していたり、内容が濃くなっていたりして読んでいて楽しいです。
    ハニートラップもより濃厚なお話しになっててドキドキしながら読んでます。
    続き楽しみに待っています。
    そういえば、こちらでも腕、怪我してましたね。

    1. ozaima様
      わわ、中身に手を加えているところにも気づいてくださってるんですね。
      ありがとうございます。
      おっしゃる通り、ハニーはちょうどいますっぽり4話分がなくて、唸っているところです。この後の分も、ちょっと手を加えながらアップする予定です。
      そうなんです。怪我してるんです。あはは、実は~。なんてね。

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