Honey Trap 26

「大祐さんが言うとおりだと思うの。私が甘かった」

部屋に帰って、落ち着いてからコーヒーを入れて向かい合う。

「何の話?」

急に呟いたリカに驚いた大祐は、手にしていたカップを置いて姿勢を正す。

「この前の……。ううん、はっきり言うね。簡単に信用しすぎだって言われたでしょ」

ああ、と口の中で呟いた大祐に、リカは一呼吸おいてから続けた。

「本当は、ずっと困ってた。あわない人なんて、仕事してたらいくらでも出会うし、それでもやるのが仕事だってわかってる。でも、今回は、どうしていいかわからなくて……」

まるで、一時の自分の姿を見ているようだと思ったから、這い上がろうと仕事をする姿は、協力できるならしたいと思ったし、そこそこ実力はあったから余計に、そう思った。
なのに、何度もすれ違う。見ているものがそもそも違うから仕方がないとは思っても、あまりに違いすぎた。

「誰かを陥れたり、そういうことは今までにもあったけし、女性蔑視もあったけど……」

眉間に皺を寄せた大祐が難しい顔で頷く。
気の強いリカのことだ。今までも蔑視するような相手も、陥れようとする相手も、ガツガツと戦ってこれた。しかし、相手は、こと色事で仕掛けてこようとするうえに、いくらリカが結婚していて、ありえないと思っていても全く通じない。

「本当は怖かった。いろんなことがあって、まだ私もちゃんと話せていないことがたくさんあって、でも、誰かに頼らなくてもちゃんとしたかったの。このくらい誰にだってあることだし、大祐さんにも心配させたくなかったし」

結果的に、藤枝のこともリカのことも引きずりおろせるだけの写真ではなかったが、あまりいい印象にはなりえなかったのも事実で、高柳のような男は、周囲にその裏の顔を見せないために、ますますリカや藤枝の立場が厳しくなる。

「……よく……、わからないけど信じたかったんでしょ?リカは」

難しい顔をして黙って聞いていた大祐は、この前とは逆にリカが言っていた言葉を繰り返す。今のリカの言葉だけで、たくさんの出来事があった中身はわからないままだが、リカの想いだけは伝わってきた。
そして、自分にもその気持ちはわからなくもないが、どうしても、そういう相手ではないこともあるのだ。

「リカの気持ちを尊重してあげたいよ。俺だってそう思う。でも、場合によりけりだし、民間の事はよくわからないのにこういう風に言ったらいけないのかもしれないけど、リカ一人が抱えるのはおかしいんじゃないかな。組織ってそういうものじゃないの?」
「うん……」

困ったように笑ったリカはそれ以上は何も言わなかった。
会社にいて、そこにいるものでないとわからないこともある。会社によっても違うものだし、表向きのあるべき姿は決まっていても、内部においてその境界線はかなり揺らぐ。

リカも阿久津にそこまで言われているかと言えば、名言されてはいない。それでも、そこには新しく来たスタッフを使えるようにすることもチーフディレクターとして当たり前だという空気はある。

逐次、報告はするようにしているが、表立って何もないだけにどうしようもなかった。

「ごめんなさい。心配かけて」
「いや。俺じゃ役に立たないかもしれないけど、今回の取材ならいくらでも協力するから」

本当は、ずっとそばにいて守りたいくらいなのに。

両腕を開いた大祐をみて、その腕の中にすっぽりと納まる。
目を閉じると、安心できて守られていたいと思ってしまうのは、二人でいることを知ったからだろう。

リカにとっては、かなり久しぶりに尋ねる百里のゲート前で、帝都の車を大祐が迎えてくれた。中に乗っている人数と手元の名簿をチェックすると、取材の一行と撮影隊が次々とゲートをくぐる。
決められた駐車スペースに各車が止まると、取材車からはリカと藤枝、高柳に坂手と大津が下りてきた。

「俺、初めてだわ。なんか感動~」
「そういうこと言ってる場合じゃないでしょ」

初めて基地に入った藤枝は、なかなかテンションが高い。リカに諌められてジャケットを直して見せたが、やはり興奮するらしい。

坂手と大津はすぐに機材を下ろし始めて、それを待つ間、藤枝と二人で車から少し離れる。制服姿で歩み寄ってきた大祐がすぐ近くで足を止めた。

「稲葉さん、藤枝さん」
「空井さん。本日はよろしくお願いいたします」

ここでは夫婦ではない。
互いに仕事時代と同じように呼び合った大祐とリカはきちんと挨拶を交わすと、傍にいた藤枝が同じように頭を下げた。

「こちらこそよろしくお願いします。空井さんと一緒に仕事ができて光栄です」
「自分の方こそ。撮影隊の方々の方は比嘉さんがフォローしていますので、稲葉さん達取材班の皆さんは、自分がフォローさせていただきます」

よろしくお願いします、と頭を下げると振り返った先で高柳と目があった。

まっすぐに強い目で見返すと、軽く頭を下げる。不機嫌そうな様子だったが、口角だけを上げた高柳は一人離れたまま、傍には近づいてこなかった。
機材を持った大津と坂手が車のドアを閉めたのをみて、こちらへ、と促されて藤枝とリカは空井の後を歩き出す。その後ろに機材持ちの二人、そして高柳が続く。
縦に長くなったリカ達取材班の様子を気にして、大祐はゆっくりと歩いて行く。

「今回は藤枝さんもキリーと一緒に取材されるんですよね?」
「ええ。キリーと一緒に映画デビューですよ」

キリーの現場記者と一緒にアナウンサーが取材に訪れた、ということになっている。
にやっと笑った藤枝につられて大祐もつられた。

「片山さんが悔しがりますよ。全国区だって」
「俺……もともと、全国区のアナウンサーなんだけど」
「ははっ、そうですね。片山さんはそういうの全く頭にないから」

撮影隊の前に取材する戦闘機の格納庫に向かう。大祐にとって、今はもう、ただ懐かしいだけの場所だ。305飛行隊のマークが掲げられた建物の前も愛おしいものを見る目で通り過ぎる。

「細部を撮影する場合は、あとでチェックさせてください。装備やなんかはお答えできないものが多いので……」
「わかりました。そのあたりは私の方から事前資料としていただいたものを元に、それぞれ説明してありますから」

撮影可能な箇所を教えてくれというと、ざっと大まかな説明の後にリカは坂手を振り返りながら頷いて、どうとっていくか簡単に打ち合わせる。肩にカメラを担いだ坂手は、基地内の建物についても説明をしてもらうところを撮りながら、具体的な境界線を目標物を使って確認していった。

その間に、リカはさりげなく後ろを振り返ると、高柳はきちんと後ろをついてきて、大祐の説明を小さな手帳にメモしているようだった。
海自の取材のときは、結局、メールの県があったからなのか、高柳は自社の抜けられない用事でということで参加していない。

それだけに、最後の取材である今日が高柳にとってもチャンスになるはずだった。

投稿者 kogetsu

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