「なにかって、……ねえ。べつに、一般論ですよ。夫婦になったからといって、気を抜いたらダメなんです。特に、空井さんと稲葉さんは、恋人時代と新婚時代を両方やってるようなもんですからね」
穏やかに比嘉がそういうと、串焼きからベーコン巻を外した鷺坂がいい事いうね、と相槌を打つ。
「このベーコン巻もね?トマトがベーコンのくどさを見事に中和してる。でも?俺のように、時には別々に食べたい時もある。そこをうまい距離感で一緒にいるのが夫婦ってもんだよ」
「はあ……」
「その、ベーコン巻のくだりは空井一尉にとってはますます理解しづらくて誤解を招くかと……」
そうなの?と鷺坂が比嘉に残った串を押しやると、一口で食べた比嘉が、頷いた。
「つまり稲葉さんが、好き好んで、周囲にイケメンが多いわけではなく、普通に仕事してるだけということです。本人はいたって真面目に仕事をしているだけなのに、あれこれ言われたら逆でも堪らなくなりませんか?いつも一緒にいて束縛するだけが恋愛じゃありませんからね」
「でも……、少しでもそういう要素を稲葉さんが減らしてくれたら、付け入られる隙も少なくなるんじゃないかなって……」
うんうんと頷きながらも相変わらずきっぱりと否定に回る。なにより、それを気にして、リカが話をするのを躊躇しているなら、それは問題な気がするのだ。
鷺坂がこの話を聞いた最初は、比嘉の元にリカが仕事で現れた時だった。
珍しく男性スタッフと共に現れたリカは、アポの際に稲ぴょんも禁止、空井の話も控えて欲しいと切実に頼んできたのだ。
リカが真面目に頼んでいることを察した比嘉が、スタッフを帰した後にリカをランチに誘い出した。
「どうしたんですか?稲葉さん」
「……比嘉さんのその笑顔が曲者だってことくらい、私も学習してます」
「じゃあ、素直に話してみましょうよ。私も稲葉さんがどうやら困ってることくらい、察しがつきますよ?」
省の中の食堂スペースで、リカは、恨めしい顔で比嘉の顔を眺めた。
にっこりと微笑み返されるとため息しか出てこない。そう言えば、このくらいで引くような人ではなかった。
しみじみと、本当にここだけの話にしてくださいと、前置きすると食欲もないまま、箸を手にした。
「あの……、テレビ局って、外からみたら華やかだと思うんですけど、華やかなのはドラマ部やバラエティ部の一部だけで、情報局とかはそんなでもないんです。ご存じだと思いますけど」
大きな会社だけに関連のない部署の事はまったく知らない。だから、いうほど、華やかですね、いいですねと言われてもそんなものかと思ってしまう。
しかし、外の印象はそういうものらしく、空井の印象も相変わらずテレビ局は華やかだということからは外れていない。今でも藤枝をいい例にしてイケメンも多いと思っている。
そんなところに高柳が新しいスタッフとしてはいってきたのだ。
「なん……か、その、私もそんなに察しがいい方じゃないんですが、そんな私でもあれって思うくらい、やる気にあふれているというか……」
「ははあ。稲葉さんの事を気に入っていらっしゃるんですね。でも、稲葉さんが結婚されてる事とかご存知ないんでしょうか」
「結婚してることは、これしてるからわかってるみたいなんですけど、どうもそういうことにあまり、気にしないというか、構わないらしくて、それよりはなんていうか、ディレクターに気に入られてたくさん仕事をもらおうとしているみたいな……」
ひらりと手を上げて結婚指輪を見せたリカは、本当に困惑の色を隠そうとしない。これだけの美人だ。
今までももてたことなどいくらでもありそうだが、本人の意識がそれに伴っていない分、急に近づいてきた男の対処に困っているらしい。ただ、救いはその裏にある魂胆をちゃんと見極めているということだろう。
ははあ、とようやく比嘉にも話が読めてきた。打算の上でリカに取り入ろうとしているらしいスタッフが身近にいるとなると、大祐のことだ。
きりきりとあらぬ誤解をしかねないし、そうではないにせよ、半端に知らせるのも心配させるだけになる。それに、高柳にしても、大祐のことを知られてあれこれ詮索されても面倒ということらしい。
「いずれ、変なことは考えなくなってくれると思うんですけど、それまでは、どちらにも知られずに穏便に済ませたくて……」
リカの言わんとするべきことを理解した比嘉は厄介な方に気に入られてしまったようですねえ、と頷いた。
「ええ……」
比嘉からすると、この場合、変に隠す方がこじれて面倒になる事が想像できてしまい、不安だけが募る。とはいえ、今のリカに何かをしろというのも酷な気がして、ひとまずはわかりました、と答えるしかなかった。
そんな話が合って、ひとまず空井の様子を確かめることにしたのだ。
「とにかく、信じるか信じないかではないこともわかっていますが、空井一尉があまり稲葉さんにあれこれ言うよりも行動で示すとかね。いいかもしれませんよ?」
「行動……ですか」
「ええ。たとえば、そうですね。こちらに来ている時に、稲葉さんが飲み会や仕事で遅くなった時には迎えに行くとかですかね」
「それは、全然できますけど、そういうのって嫌がられませんか?」
眉間に皺をよせて、手帳でもあればメモをはじめそうな空井に噛んで含めるように教えるのはさすがということろだ。
「もちろん、勝手に待ってたら行き違いや余計な喧嘩の元になりますから、きちんと連絡を取って、迎えに行かせてほしいと言えば問題ありません。お二人とも、いつもメールや携帯のやり取り、されてますよね?」
「それは、もちろん。……そうか」
早速、と思ったのか、携帯を取り出した空井は、リカに何時頃に終わりそうか、メールを出した。りん串までならそれほど遠いわけでもないが思いついたらすぐ行動、が身に染みついている。
「それにね、空井」
「はい」
こちらのほうがよほど心配だと言わんばかりの顔で鷺坂が口を開いた。
以前のように、空幕にいるわけでもなく、各地の広報を主に異動する可能性の高い元部下は、恐ろしく天然で、空自の標語をそのまま行くような性格だということもよくわかっている。
「確かに俺達は男所帯で出会いが少ないってよく言うけどね。お前は広報だから、今後もし移動になっても広報や関連する仕事に就く機会も多いと思う。それはわかってるだろう?」
「ええ」
つまりは、外部の人間と接触する機会の多い場所、ということだ。
きょとん、として頷いた空井に鷺坂は回りくどい話では分からないだろうと思って、あえて直球勝負に出る。
「お前にも、結婚していてもアプローチされる機会は、ほかの隊員よりも多いんだってこと、自覚しておきなさい。場合によっては女の子のいる店に行くこともあるだろう。そういう時も、離れている稲ぴょんを不安にさせるような真似、するんじゃないよ」
鷺坂にそう言われて、素直に頷きはしたものの、この前リカに聞かれたことを思い出した。そう言えば、リカもそんなような話を聞いてきたが、不安になったからなのだろうか。
特にあれから、態度が変わったりはしていないと思うが、リカはどう思ったのだろう。それを聞いていなかったことを今更のように思い出す。
「自分、そういうこと、本当に少ないんでよくわからないんですけど、やっぱりありますかね」
外部の人間がプライベートとして仲良くなることはやはりあるだろう。仕事の延長線上で空井とリカのようなこともあれば、同性でも気が合うという場合もある。
それが男であれ女であれ、全くないとは言い切れない。
ましてこれが民間なら接待なども全くないわけではないだろう。
「まあ、いろんなことがあるから、離れている分、気をつけなさいということだよ」
「はい。……あ」
ちょうどいいタイミングで、携帯が鳴る。メールを開くともうすぐ終わるので向かいます、とあった。
「自分、ちょっと駅まで迎えに行ってきてもいいでしょうか」
「もちろん」
鷺坂と比嘉の許可をもらって、店を出ていく空井を見送った二人は、店員に追加の酒を頼んだ。
「比嘉ちゃんらしくないんじゃないの」
ぽそりと呟いた鷺坂に比嘉が微妙な顔をしている。ささみ串についてきたゆず胡椒をぺろりと舐めた比嘉が、焼酎を飲みながら思い出す。
広報室にリカと共に現れた高柳という男は、確かに長身で、男前でクールな印象だが、決して不愛想ではない。女性にもてそうという印象も確かにあった。
リカが場を取り仕切る横で、話を聞きながらも広報室全体を探るような目がなかなかの野心家ぶりを発揮していて、その印象でいくとリカに対しても一筋縄ではいかない気がしている。
「まあ……空井一尉と稲葉さんのお二人はずっと見てきましたしね。ほとんどプライベートの付き合いもないまま、仕事だけの時間でも恋に落ちていく様を目撃したんですから、このまま二人には円満でいてほしいという願望はあります」
「それはね。俺も同じだよ。でも、多少の事なら面白がりそうな比嘉ちゃんがそう言うってことは、相手はよほどの曲者なんだな?」
「そうですね。ちょっと下手に絡め手で来られると、怖い気がします」
まったく、トラブルには事欠かない二人だな、と思うが、普通なら付き合いの間にいろいろな起こることをあの二人は全部が同時進行になっている。
「仕方ありません。我々の勝手な願望でもありますから、助力は惜しまないということで」
片眉をあげて、比嘉のグラスにちん、と自分のグラスを当てた鷺坂がかっこいいねぇと呟いた。