Honey Trap 30

「あの、俺もいいかな」
「キリー、休んでなくていいの。飯とってていいよ」
「いや、押してるでしょ。そりゃさ、半日くらいは仕方ないと思うんだけど。あの高柳さんはどうしたいの。彼をどうしてもつかなくちゃいけないの?」

さすがにスタッフたちもちらちらと様子を伺っている中で、普段は穏やかな藤枝も腰に手を当てて聞いていたが、我慢しきれなくなる。高柳の腕をぐいっと掴むとリカ達のもとへと引きずる様に引っ張ってきた。

「稲葉さ。もう無理してこいつ使うことないじゃん」

皆の視線がリカに集まって、その視線を受け止めながらリカは高柳を見た。

「どうしますか。皆さんの意見はこうですが、どうしてもまだ粘りますか」
「俺のせいじゃないですよ。そうでしょ?」

リカよりもその場にいた誰もが同じように思ったのかもしれない。
ここで、反省するなり、できる限り頑張ると言えばなんとか協力する気にもなれる。だが、見るからにふてぶてしい態度を見せた高柳はリカに向き直った。

「そもそも予定がなかった俺に急に振ったのは稲葉さんだし?資料もないような質問が多いし、そこでいきなり盛り上がって見せるような取材なんて無理でしょ。僕らの社会見学はそもそも、そういう番組じゃないんじゃないですかね。なんだか初回予定だからって、やることがブレてんですよ。チーフならもうちょっとストーリーとして考えた方がねぇ」
「失礼。高柳さん?」

腕組みをして、得意げにリカを責めた高柳が言葉を切ったところで、その場にいた面々の輪を崩すようにキリーが真ん中を突っ切って高柳の目の前に立った。

「僕は、あなたが努力されているならいくらテイクを重ねてもお付き合いできる。でも、こうして」

背筋を伸ばしたキリーが丁寧な仕草でリカを振り返る。

「自分と一緒に仕事をする人のせいにするくらいならやめたほうがいい」

しん、とその場で聞いていた誰もが手を止めてキリーの話を聞いてしまった。

追い詰めるべきではなかったかもしれない。

一瞬、そう思ったのは高柳の顔が怯えた子供のようにリカには見えたからだ。自分でも何をしようとしたのかはわからないが手を伸ばしかけた瞬間、高柳が手にしていたタブレットをリカに向かって振り上げた。

「!!」
「きゃぁっ!!」

精密機械で、壊れやすいとはいえ、それだからこそ、固く作られているはずのタブレットが、ばしゃんっと派手な音が響いて、反射的に腕を上げてかばったリカが身を捻った。
続けて、そのリカに掴みかかろうとした高柳を藤枝やキリー達が総出で押さえにかかる。

周りにいた隊員たちも慌てて止めに入った。一歩遅れて大祐と比嘉もそのそばに駆け付ける。

「稲葉さん!」
「藤枝さん!そのままで!すぐ警備を呼びますから」

抵抗して暴れている高柳を力づくで抑え込んではいるが、キリーはともかく藤枝など自分でも何が何だかわからないくらいだ。そこに駆け付けた隊員たちが代わって高柳の手足を押さえこむ。

次々と高柳から離れたキリーやプロデューサーたちは、ぜいぜいと息をつきながら髪をかき上げたり、服を払ったりしている。

「稲葉さん。大丈夫ですか」

意識して落ち着こうと思ったが、いつもより声が低い。怒りを堪えたからではあったが、今はリカの方が大事だ。
リカの指先が震えている。

「……大丈夫です」
「医務室へ行きましょう。ひとまず手当を」
「大丈夫です」

リカがその場にがくん、と膝をつきそうになる。それを支えた大祐が真剣にリカの腕を掴んだ。

「駄目です!」

もう、このまま見ないふりをしていられない。

そう思った大祐が、最後は叱りつけるように、強引に抱き上げようとしたところを揶揄する声が響いた。

「ほーら。旦那に甘やかされて結局それかよ!!」
「っ!」

かっ、と全身の血が脳天に集まったような瞬間的な怒りに体が動く。
今度こそ怒りのあまり拳を振り上げそうになった大祐の手をリカが強く掴んだ。それと同時に比嘉が声を上げる。

「空井一尉!間もなく警備隊員が来ますから!!」

二人の制止に、ぐっと奥歯を噛みしめた大祐は、ざわついた周囲へ気を配ることも忘れそうだった。
リカと高柳とを囲んで周囲に人だかりができてしまう。

「待って!すみません、大丈夫です」

中心から上がった意外な声に皆が驚く。空井を止めたリカがよくわからないが衝撃のあった場所に手を当てながら立ちあがる。

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。警備の方は結構です。単なる内輪もめです。こちらの不始末で申し訳ありません」
「……稲葉さん」
「本当に、問題ありません。高柳を放してやってください」

高柳を押さえこんでいた隊員たちが顔を見合わせたが、比嘉が仕方ないとばかりに頷くと、ゆっくりと手を離した。
さも当然とばかりに立ち上がった高柳からリカをかばうように、目の前に立った空井をリカがそっと押しのける。周囲に向けて、リカは頭を下げた。

「お騒がせして申し訳ありません!一度、休憩させてください。午後の撮影が始まる前に、一度仕切り直します」

リカがそう言うと、プロデューサーも映画の方のディテクターも騒ぎを大事にしたくないことは一致している。曖昧に頷くと、周囲のスタッフやエキストラ役に少し早いが昼休憩の号令をかけた。

周りの人垣がほどけて、関係者だけが残る格好になった場所で、頭を下げたリカは高柳に、ついてくるように言ってその場から離れた。
慌てて追いかけた大祐がリカに追いつく。

「稲葉さん!手当を先にしてください。……リカ!」
「少しだけ待ってください。かわりにどこか、部屋をお借りできませんか」

叩きつけられた腕とタブレットが跳ね上がって、自分ではわからない場所で血が流れているような感覚がある。額を押さえたまま、リカが足を止めると大祐を振り返った。

投稿者 kogetsu

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