「……部屋ですか」
「ええ。お願いします」
視線を合わせようとしないリカの向こう側で大祐を見ていた高柳の口元が動いた。
―― ・・・・・
それを読み取った大祐の目の色が変わる。
「わかりました。ご案内します」
ありがとうございます、と頭を下げたリカに向かって、でも、と大祐が続けた。
「自分も同席させていただきます」
「……わかりました。高柳さん、ついてきてください」
不遜な顔でリカの後ろをついてきた高柳とリカを伴って大祐は基地の建物の方へと歩き出す。空いている会議室の一つに二人を案内するとリカの傍らに大祐が立った。
比嘉が気を利かせたのか、基地の隊員が救急箱を持って走ってくる。
それを受け取った大祐は、すぐに箱を開いてリカの額にガーゼを当てた。さすがにリカも黙って手当されている。
額にテープを張り付けた大祐は、簡単な手当てを終えるとぱたん、と救急箱の蓋を閉じて、高柳を睨みつけた。
その目が、自衛官としてではなく単に男としてのものだという自覚もあったが、その目の色を消す気はない。
「高柳さん」
リカは、痛む額に手を添えながら高柳に呼びかけた。考えるよりも体が動いたという方が近いのだ。
頭のどこかでは、どうしてこんなことに自分が、とも思ってはいる。怪我をしてまでリカが高柳のことをどうにかしなければならないのかとも思う。
それでも今、ここにいるのはリカ自身だ。
小さく息を吸い込む。
「高柳さんが、どういうつもりで仕事をしていようとそれは私には関係ありません。仕事をする、させてくれと言ったのは高柳さんじゃないんですか」
「すると言ったし、してますが。何の問題があるんです?」
「問題があるから何度もリテイクになったわけですよね。キリーさんや映画の方々が言っていたことはわかりませんでしたか」
「仕事にわかるわからないもないでしょ」
「わかりますよ。いくらこうやって誰かを脅したりして仕事をもらえても、結局駄目だって……!」
ガタンっと立ち上がりかけた高柳にびくっとリカが身構えて、大祐が一歩踏み出した。大祐を見て高柳は再びどさっと腰を下ろす。
「旦那にはしゃべったんだ?度胸あるんすね」
「私は、夫に知られて困るようなことはなにもありません。だから高柳さんが何をどうしようとそれはそれです。仕事は変わりません」
「だから?」
不満そう、というよりもリカの傍に立ち大祐の強い目に逆らうように睨み返しながらふてぶてしい顔を向ける。
リカはまっすぐに高柳を見つめた。
「さっきのことは報告を出します。……今日はもう帰っていただいても結構です。高柳さんの出の分はなしにして、もとのままで撮影します。でも、撮影は明日もあります。高柳さんはどうしますか」
はいはい、と聞き流す気満々の高柳が初めてリカを見た。
「どうするもこうするも、初回分からは俺を下ろすんでしょう?」
「いいえ。高柳さんが出るというなら出を作ります」
「はっ!旦那の前でいいんですかねぇ?稲葉さん?俺が上げたピアス、気に入ってくれたんだ?」
「関係ありません」
怪我をした側の目から無意識に涙が流れ出す。ただ、それは怪我を押さえてるせいで悔しさでもなんでもない。
殴りつけられたことで、かえって冷静になれた気がする。
「今まで高柳さんが見てきた、やってきたことは、誰かを脅したり、そういうことで機会を作ってきたのかもしれません。今まではそれでよかったかもしれない。でも、高柳さん。それはいつまでも通用しません」
高柳の目が彷徨う。考えないようにしていたとしても高柳自身もそれはわかっていたはずだ。褒められ、無理をおして仕事をすればさらに評価は上がるはずだと思っていた。
それが今はわからなくなってきている。
「ほかの誰でもない。高柳さん自身が納得できないはずです。自分から目を逸らさないでください」
「うるさい!!」
どかっと机を蹴り飛ばす勢いで立ち上がった高柳から庇うように大祐が体の向きを変えた。
「お前みたいな女に何がわかる!そうやって、正義感振りかざして、優等生ぶって、何様だよ?!ふざけるな。お前みたいな女が一番最悪なんだよ。どうせ、男に惑わされて感情だけで動く生き物のくせに、ずうずうしい!そういう女はなぁ、俺みたいな優秀な男のために役に立てばいいんだよ」
「……っ!リ、稲葉さんはそんなっ!!」
「空井さん!」
再び怒りがこみあげてきて、高柳に殴り掛かりそうになった大祐をリカが止めた。リカが高柳と揉めたとしても、局の中の問題として処理できたとしても、大祐が手を出してしまうと大きな問題になってしまう。
立ち上がって、大祐の傍に立ったリカの高柳からは見えない左手が大祐の手に触れた。
小さく震えている手を大祐が握る。
「高柳さんが、たまたま今まで出会った方はそういう方だったかもしれない。でも、私も藤枝も、珠輝も阿久津さんも、真剣に仕事に向き合ってます。本気で仕事をしてる人の中に紛れていたら、本気じゃない人はすぐにわかります。だからこそ、高柳さんも藤枝に対抗心を持ったんじゃないんですか」
どこかで、まだできると、真剣だったから。
だから藤枝にライバル心を燃やして、藤枝よりも上だと示したかった。
「それは誰のためですか」
盛大な舌打ちをした高柳は首をひねってごきっと音を鳴らした。
どうでもいい。そんなことを考えなくても別に仕事なんてやっていける。
「もう、今日の仕事は終わりなんですね?じゃあ帰りますんで。どうせ俺は必要ないでしょうから来ませんので」
むっとした顔で応接から出ようとした高柳を一人にするのは、今は特に無理である。ゲートまで誰かをと思っていると部屋の前で比嘉ともう一人、警備の隊員が待っていた。
「……ゲートまでお送りします」
開いたドアから中にも聞こえるように比嘉がそういうと、高柳を部屋から押し出してドアを閉めた。
「医務室へ行きましょう。ちゃんと手当しないと」
リカの手を引くと、大きく会議室のドアを開けて連れ出した。さっきまで震えていた手はもう止まっていたが、今度は大祐の方が強く握っている。
それ以上口を開けば何を言うかわからなかったから飲みこんだものの、総じていえば誰に向けていいのかわからない怒りでいっぱいだった。