阿久津に初めてリカが高柳の事を報告した時は、高柳は自身の会社に戻されるはずだった。
ご時世もあって、阿久津も即対応しようとして意外な話になる。
高柳は何年か前までは非常に将来を有望視されていたらしい。やる気にあふれて、情熱もあり、真剣に仕事に取り組む姿は高柳のいる会社でも評価されており、もっと前に本局へ出向という話も出ていたくらいだった。
だが、ある時期を境にぱたりと態度が変わってしまい、今のような仕事ぶりに、ダーティな噂がまとわりつくようになった。
今回の出向は、高柳にとって、本人の知らないところでラストチャンスだったらしい。
一度は、高柳の態度に腹を立て、そして不気味さに放り出したいと思っていたリカもその話を聞いた。
「誰かが、まして関連会社の一社員にそこまで構っていられないというのもあるんだが、上の方が関連会社の上と仲が良かったらしくてな」
「頼まれたってことですか?」
「ああ。ちょうどこちらでも手が足りない事もあって、任せたいってことになったらしい。結果として、事前情報なしにお前にそんな奴の対応を任せた俺の責任でもある」
すまん、と言われても、リカとしても身の危険を感じてまで、そんな人に関わりたくはなかった。
「私だって困ります。危ない目にはあいたくないですし、新しい番組にも影響があるかもしれませんし、局にも関係する取材先にも迷惑がかかります!」
「まあ、そう言わずにこれを見ろ」
そう言われて評判がよかった時期の仕事を見たリカは、そこに今とは全く印象が違う、どちらかと言えば、報道記者のキリーのような熱さが漂っている高柳の姿を見ることになる。
「違う……」
「そうだな。俺もそう思う」
思わず見入ってしまうだけ、高柳の姿はリカが思ったように、真剣に目指した道を歩んできたものだった。
一度は、阿久津がリカの相談を受けて、即刻、高柳を外すつもりだったが、保留になり、リカのガード代わりに珠輝や藤枝を使ってでも体制を変えなかったのにはそんな理由があったのだ。
妙に待たされたまま、取材がスタートしてリカも落ち着かない思いをしていたのだが、最終的に海自の取材に入る直前に呼ばれて今回の話が決まった。
高柳を自由にさせながら、リカなりの仕事の仕方を見せること。その中で、使う、使わないという切り分けで高柳を立ち直らせるためのどこかにきっかけを作ること。
「稲葉。お前だったら奴も変わるんじゃないかと思うんだが」
「それは買いかぶりすぎです。いくらなんでも珠輝はたまたまのことで、今でこそディレクターとして仕事を任せられるようになりましたけど、高柳さんはアナウンサーですよ?私なんかじゃ……」
適任はほかにいるはずだ。
リカはあくまでも、自分が抱えられる範囲を冷静に判断したうえでそう答えた。仮にそれが藤枝だったとしても、部署が違うリカに勝手な権限はない。何かあれば阿久津にあげて、アナウンサー局の上席と話してもらうことになるはずである。
たとえ、友人として何か話ができたとしても。
だが、阿久津も引かなかった。
「お前のいう事もわかる。だが、ナレーション以外で、番組に関わってるのはお前がやっているものだけだし、番組のチーフディレクターとして使える、使えないを出せばいい」
「そんな!だって、使えと言われて使えないのは高柳さんだけの問題じゃなくなります。取材先にも迷惑がかかりますし、何度も取材するわけにもいきません。局の中でナレーション撮りを繰り返すわけじゃないことくらい」
「そんなことはわかってる」
ふーっとため息をつくと、阿久津は懐から携帯を取り出した。ちょっと待て、と仕草で伝えるとどこかに電話をしているらしく、ぼそぼそと話しをした後、通話を切ってから懐に携帯を戻す。
「仕方がないな。高柳が変わったのは、当時付き合っていた地方局のディレクターに裏切られたからだそうだ。今のあいつがやってることと同じだな。特に男女の関係ではなかったらしいが、面倒見のいい女性ディレクターだったらしく、入れ込んで庇って、挙句に、失敗して退職に追い込まれた」
どこかで聞いたことがあるようなないような、リカにもぎりぎり掠めるような話に眉間の皺が深くなる。
「……それがどうして?」
「高柳には何の相談もなく、いきなり会社を辞めて、姿を消したらしい。周りの噂はいくらでも耳に入ってくるし、具合の悪いことに、同じころ、高柳も同僚の女性に出し抜かれて持っていた番組を下ろされた。奴にとっては二重のダメージだったんだろう。真面目にやるよりも、そういうことで仕事ができるなら自分もそうしてやる。そう思ったんだろうな」
こうして客観的に聞いている分には失礼かもしれないが、だからどうした、ともいえる。そんなことで大の大人が世の中を拗ねて、リカにしたような真似をしていいのかと言いたくなる気持ちもある。
だが、リカ自身も、大祐と出会ったころは同じように、拗ねて、世の中が悪い、運が悪かった、と思い込んでいた頃がある。
「だとしても、編集や取材先の雰囲気を選んだ形で、高柳さんの取材は4回ほど撮りました。もう十分じゃないんですか」
「いや、今はまだ奴は変われないままだろう。この番組は終わっても、また違う仕事で同じことを繰り返す。それを止めたい」
「……どうしてそこまでするんですか?」
リカにとっては納得がいかなかった。家まで知られて、何かあったらと思うと不安になるのも当然と言えた。
そんな男一人のために動くほど、彼らの会社がお人よしにできているわけでもない。そこは、いくら上司も人とはいえ、会社がそういうことで動苦はずもないことくらいリカにもわかる。
ぼそぼそと言い難いことなのだがと前置きした阿久津の話に、リカは思い切り笑い出した。どうせならそのくらいわかりやすい方がいい。
散々、笑ったのは本当におかしいからではなく、この馬鹿な茶番にもちゃんと未来があって、誰かに何かを届けられることが分かったからだ。
「はー……。わかりました。やります!」
そこから、阿久津と相談してほかの回ではなく、初回に高柳をねじ込む案を出した。すでに撮り終えた分の高柳の回をお蔵入りにするつもりはない。
人を変える。
それは、思うよりも言うよりも、容易にできるはずもない。
誰かに何かを伝えることも簡単ではない。
ただ、それでも高柳のラストチャンスに間に合うのかもしれない。
「稲葉。お前には損な役回りをさせるようだが、上もお前のことを認めてるんだ。現場だけじゃなくて、人を育てられる社員になったってな」
「……私はまだ、胸を張ってそんなことを言えませんけど。……でも、高柳さんのことを信じる方がいて、その方に力を貸そうとする人がいる。私のことを信じてくれる人がいるのと同じですね。正直、高柳さんのことをそこまで信じられるかと言えば難しいですけど」
「そうだな。俺も、俺がいうのはおかしいかもしれんが、俺がお前でもそう思う」
「あ……!」
はっと途中でリカが顔を上げた。そんな無茶ができるだろうか。
意志あるところに。
ばん、と会議室用の大きなテーブルに手をついて立ち上がる。
「どうせなら、私や藤枝からじゃなくて、キリーの力を借りられませんか」
「あ゛?」
「もし、高柳さんが今までと同じように、初回にも自分を出すように言ってきたら、出てもらうんです。撮影班もうちの取材班も、上手くいかなくても使わなきゃいけない時があるのもわかってます。もし、キリー相手にうまくできたら何かが変わるかもしれないし、駄目でも、それを言うのはキリーにお願いするのはどうですか」
見せてもらった昔の番組はキリー演じる報道記者に似ていた。過去の自分に似ているなら高柳にも届くかもしれない。
どのみち、初回にねじ込むならキリーや撮影班にも迷惑をかけることになる。黙ってそんな真似はできない。先に根回しができるならしておく必要があった。
「……お前」
無茶苦茶言うな、と言いかけたが、それだけのリスクをリカにも背負わせている。黙った後、阿久津が今度は内線を手にした。
ドラマ部のプロデューサーにかけたらしく、手が空いているので行きます、と快く応えてくれた相手が来るのを待って、もう一度、阿久津とリカは、高柳の話を正直に話した。