「そんなに心配しなくてもいいですよ。もう何もかも面倒なんで。仕事も辞めるつもりだし、どうだっていいんです。ここにももうきませんよ」
「そんなこと信じられません」
「本当ですよ。もう自分の会社に辞表も出してきたし、もうたくさんだ」
「じゃあ、何しに来たんですか?」
質問ばかりしている自分にも苛々してくる。とにかく、大祐にとってはリカが帰ってくる前に高柳には早く帰ってほしかった。
外は夜だというのに、こんなに薄暗い路地の、遠くに街灯が見える場所にいて、不愉快な相手を前にして。
―― 何やってるっていうのは俺にも当てはまるのかな
どのくらいの間があいたのかはわからなかったが、しばらく考え込んでいた高柳は、斜め下に顔を振って黙り込んでいた。
それは答えを考えていたのだ。
「ほんとだ……。俺、何しに来たんだ……」
独り言のようにぼそりと呟いた高柳は、初めて自分を振り返った。
「……そうか」
すとん、と何かが腑に落ちて、高柳の全身から力が抜けた。
「そうか。もう何も残ってないんだな……」
ぶつぶつと独り言をつぶやいていた高柳が一歩足を進めて近づいてくる。
「もう来ませんよ。稲葉さんによろしく」
すれ違いざまに言った高柳の肩を大祐が掴む。
「次は警察を呼びます」
真っ向から睨みつけた大祐を怒るわけでもなく睨みかえすわけでもなく。ただ普通にそこにいるものとして見た高柳はふいっと何も言わず、駅の方へ向かって歩いて行った。
「ふう……」
思わず大きなため息をついた大祐は、我に返って自分自身も駅の方へと向かう。そろそろリカが帰ってくるはずの時間だった。
携帯を見るとメールも着信もなかったが、何となくそんな勘がして、リカの携帯へとコールする。
一番近い駅への入り口につくのと同時にコール音が途切れた。
『はい』
「お疲れ様。今、大丈夫?」
『ええ。もう駅について今』
階段を上がるところです。
「「あ」」
階段を降りようとしていた大祐と上ってきたリカが同時に声を上げた。
いつもとは反対側の肩に鞄をかけたリカが階段を上がってくる。携帯を切って直接リカに手を差し出す。
「お帰り」
「ただいま。どうしたの?」
「うん。ちょうど夕飯の材料を買いに出ようと思って家を出たんだ。リカが何食べたいか、聞こうと思って電話したところ」
ちょうどよかった、鞄を持つよ、と差し出した手に掌を重ねる。
「大丈夫。じゃあ、一緒に買い物に行きましょうか。大祐さんは何食べたい?」
「俺が先に聞いたのに」
「うーん……。じゃあ、ポテトサラダ、かな。ポテトじゃなくてもいいんだけど、そういうサラダが食べたいな」
妙にかわいいリクエストにくすっと笑うと、了解、とリカを連れて近くのスーパーに向かう。小さなカートにカゴを乗せて二人そろって歩く。長身の二人なので都内のこんなスーパーだというのにそれなりに目立っている。
「メインは大祐さんのリクエストね」
「えー……。じゃあクリームコロッケとか」
「……サラダとかぶらない?」
「じゃあ、生姜焼き?」
リカの顔を覗き込むと、しばらく考えた後、うん、とリカが頷いて夕食のメニューが決まった。
買い物を済ませて家まで歩きながら、リカはこういう買い物の方が効率がいいかも、と呟く。
「どういうこと?」
「私が買い物に出ちゃうと、大祐さんが来る前が多いじゃない?そうなると、つい今日は一人分だから出来合いのお惣菜、ってことが多いし、そうじゃないと、あれがいいかな、これだったら食べてくれるかな、って余計なものまで買っちゃうんだもの」
本人は無自覚なのだろうが、つい、大祐の口元が緩みそうになるほど可愛いことを言ってくれる。
「メニューを決めてから買いに出た方がいいってこと?」
「ん。大祐さん、結構なんでも食べてくれるから、何が好きなのかなって……。なんか変なこと言ってるわ、私。違う、こんなの私っぽくない」
「リカっぽいのってどんなの?」
「んー……。効率とか、メリット優先?」
ぷっと吹き出しそうになるが、なんとか堪えてエントランスを抜けて、エレベータに乗る。自分の鞄だけを持ったリカがカギを開けて部屋に入った。
一度、大祐が帰ってきていたから部屋の中は籠った空気はない。大祐がキッチンに入り、リカは鞄を置いてすぐに手伝おうとする。
「いいよ、リカは着替えてシャワーしてくれば。腕、濡らさないようにして」
「……ん。じゃあ、お言葉に甘えて、先にシャワーさせてもらってから手伝うね」
ジャケットや仕事の鞄を片付けた後、着替えを用意したリカは、バスルームに向かった。