秋の番組改編が終わって、新番組が始まると大人の社会見学もスタートした。すでに録画されているものなので、リカが立ち会うことはない。
代わりに仕事を終えると家へと急いだ。
がちゃっとドアを開けると、部屋の中にはすでに灯りがついていた。
「やだ……もう。急いだのに~!」
「お帰り」
大祐よりも早く帰り着こうと全力で急いだのに、やはり負けてしまった。はあ、とため息をついて靴を脱いだリカがしょんぼりと肩を落として、部屋へと入ってくる。
まだスーツ姿の大祐を見れば、ほとんどの差がなかったのはわかるが、それでも大祐より先に帰って出迎えたかったのだ。
「俺も帰ってきたばかりだよ?」
「それでも!お帰りって出迎えたかったの」
「ははっ、いいじゃない。一緒に帰ってきたってことでさ」
長い腕がひょいっと捕まえてリカを抱きしめる。
「おーかーえーりーっ」
「きゃーっ!もうっ」
あはは、と笑いながらリカを開放すると、ぐいっと大祐の胸を押して愛妻が離れていく。
大人の社会見学の取材が終わってから、松島に戻った大祐だったが、今日は出張で東京へ来ていたのだ。週末から東京へ来て、戻りは明日の火曜日である。
放り出されていた大祐のジャケットにしゅっとスプレーをかけてからハンガーに吊るす。自分のジャケットもその隣にかけると、リカはキッチンに向かった。
エアコンをつけてスーツを着替えていた大祐に先にシャワーを浴びてもらうことにして、リカは手を洗ってホーローの鍋を取り出した。冷蔵庫から買っておいた食材を取り出すと、弱い火にかけたところに、オリーブオイルとニンニクを放り込む。
香りをつけながら熱していた鍋にこぶりな魚を鱗と内臓を取って切込みを入れると塩コショウを振った。食欲をそそる香りがし出したところに魚を入れて、片面を焼くと、ひっくり返してもう片面を焼いている間に、アサリやオリーブ、ミニトマト、それにハーブをあれこれとおおざっぱに放り込む。
白ワインを注いで、忘れかけたアンチョビを刻んで放り込む。
後はふたをして出来上がるのを待つだけだ。
その間に、スープを作ってあとは分けるだけにすると、シャワーを出た大祐と交代した。涼しくなったといっても、まだまだ、少し歩いたり走ったらすぐに汗ばんでしまう。
化粧を落として汗を流したリカがバスルームから出てくると、ローテーブルにはリカが作っていた鍋が運ばれていて、取り皿やスープも運んであった。
「支度してあるからゆっくりでいいよ」
「ん。ありがと」
「こちらこそ。なんかすごくおいしそうなのができててびっくりした」
嬉しそうな大祐にえへへ、とすっぴんのリカが嬉しそうに笑った。大祐がこの家に滞在していた時は、ほとんど毎日のように手伝ってもらって、一人だったら食べないような食事をしていたのだ。
その大祐が松島に帰ってからが急に食生活がわびしくなったと思っていたところに、出張をかねて再び大祐がこの部屋にいる。
そう思ったら料理くらい頑張りたくなる。
軽く髪を乾かして、肌を整えると待たせていたテーブルの前に座った。
「お待たせしました」
「いえいえ。食べようか。……ってこれ、どうしたらいいの?」
鍋の蓋を開けてそのインパクトには目を丸くしたものの、どう手を付けるか躊躇した大祐が助けを求める。陽気に笑いながらリカが取り皿に魚の身とトマトやオリーブを適当に取り分けた。
「はい。どうぞ」
「ありがとう!……なんか、すごいね。どうしたの?」
「ううん、簡単なの。だって、お魚も下ごしらえして適当に放り込んでワインで煮るだけだもの。しかも、飲み屋さんで覚えた料理です」
ぷっと笑い出した大祐にどうよ、と威張って見せる。どうしても表で食べるとなると、酒となるわけでうまい店が多いのは頷ける。そこでおいしかったメニューを再現することが多いのは、なかなか大祐と一緒にはいけないからだ。。
これも、食べた店では切り身だったが、小さめの白身魚だったので、一匹まるっと使ってみた。
「でもね、最近気をつけなくちゃと思ってるの」
「何を?」
「大祐さんがうちにいると、ちゃんとご飯食べちゃうじゃない?なんか……ちょっと、太った気がして……」
女性としては非常に気になる部分だけに、語尾がもそもそと歯切れが悪くなる。
本当なら今日も、バゲットにレバーパテをつけたかったが、それが白飯になっているのは大祐がパンよりはご飯の方がどうやら好きらしいからで、バゲットだったらきっと食べ過ぎてしまうからと言うことは秘密だ。
「リカが?太ったって?本当に?」
「……そこは聞かなかったふりをして!」
「だって!それで太ったってどこが?全然だよ。もっと食べていいと思うけど?」
恨めしそうに大祐を睨むと、リカはよそってあるご飯の半分を残そう、と心に決めていた。
大祐は普段から動いているし鍛えてもいるから全然余分な肉などついていないが、自分は取材でもなければ、最近は局にいて席に座っていることの方が多い。
フロアに行くにもエレベータだし、移動は電車か取材車とくれば運動不足は目に見えていた。
そんな女心には疎い大祐がぱくぱくと箸を進めている。
時計はまだ早い時間をさしていて、まだまだ余裕があった。食事を終えてビールを飲みながら珍しく二人そろってテレビの前にスタンバイした。
ソファを背にして大祐に寄り添ったリカは、絵にかいたような恋人同士らしい姿でテレビを眺める。
「もう全部撮影は終わったの?」
「まさか。でも、今とってるのは12月に放送する分かな」
ふうん、と頷きながら流れるテレビに目を向ける。もうそろそろだ、と互いに思っていると、23時ジャストに音楽が流れ始めた。
最近流行のバイオリンがメインのシンプルな楽曲で、ナレーションで進んでいく。
口元に手を当てたリカが真剣な顔で見ているのを横で見ながら、大祐も画面の中に目を向けた。
『オトナ心を誘う、大人の社会見学へようこそ』
藤枝の抑え気味のナレーションは耳に心地よく聞こえた。
「藤枝さん、かっこいいね」
じっとテレビに見入っていたリカはそれには答えなかった。
本編が始まって、陸自、海自と続く。CMのたびにため息をついてリカが息を吐く。空自の場面に映ってからは、寄り掛かっていたソファから身を起こして、膝を抱えた。
ちらりと大祐の姿も映り、その一瞬、リカの目が隣にいる大祐に移る。すぐにその目がテレビに戻ると高柳の取材姿が映った。
なしにしたはずだったと大祐がリカの横顔をみるが、番組が終わるまではと黙ってみている。
こうしてみると、高柳の平坦さも落ち着いた取材姿に見えなくもなかった。それもこれも、キリーと藤枝の姿がよかったからだ。
エンディングが流れ出して、次回予告が流れ終り、CMが始まると、リカは抱えた膝の上に頭を乗せた。
「よかったよ。すごく、面白かった」
「……うん」
「高柳さん、使ったんだね」
うん、と再び声が聞こえたが、リカは顔を上げようとしなかった。そっとその頭を撫でると、今度は顔を伏せたまま、リカが大祐に抱きついてきた。
「……リカ?」
しばらくぎゅっと抱きついていたリカは、ふるふると首を振って大祐の首筋に顔を隠してしまっている。。
たくさんの何かがあっても、こうして目に見えることはほんの一欠けらでしかない。
想いがつないでいくものが高柳だけでなく、もっとたくさんの誰かに届けばいい。
泣きたかったのか、どう思ったのかはわからないが、リカが気が済むまで抱きしめたまま、その頭を撫で続けていた。
いつの間にか、抱きついたまま静かな寝息にかわった妻にそっと声をかける。
「リカ?……寝ちゃったの?……リカ?」
返事の代わりに、力なく預けられた腕がひどく無防備に思えた。
それはそれでいいのだと、大祐はベッドにリカを運んだ。その寝顔は疲れていても決して、悲しそうなものではない。
その頬をそっと撫でて、灯りやテレビを消すと、リカの隣に横になった。
―― お疲れ様。いい夢を……
—–end
こんにちは。
pixivから狐様を追っかけてやってきました。
Honey Trap 読ませて頂きました。
ヒヤヒヤ、ドキドキしなが・・・
感動です。
狐様 ありがとうございます。
これからも作品を楽しみに待って
います。
マコ様
こんばんは。いらっしゃいませ(笑)
楽しんでいただけているようでよかったです。
またほかのお話でも感想ございましたらコメントくださると嬉しいです。