「ほら。リカが面白そうだから見たいって言ってたから、俺も調べちゃった。ほんとにおもしろそう」
こういうことも面白くて仕方がないのだ。リカが教えてくれるたわいもないことも、大祐には今までにないことばかりで、毎日がこんなに楽しくて。
にこにこと嬉しそうに笑う大祐の眉間が開いていて、まるで子供みたいな笑顔だ。
食器を置いたリカが珍しく大祐に向かって自分から抱きついた。
「もう!だから完璧すぎる旦那様なんだってば」
「えぇ?駄目なの?」
「……駄目じゃなくて、好きすぎるから困るんです!」
こんな風に、素直に気持ちを言うのはいまだに恥ずかしいけど、それでも伝えたくて、顔を伏せたリカを両腕で抱きしめる。
「……俺も、こんな可愛い奥さん。好きすぎて困るんですけど。こんな風に抱きつかれると出かけられなくなるけど?」
「それは駄目!」
「あはは、即答だ」
「だ、だって!」
頬を赤くしたリカが慌てて言いつのるのがますます可愛くて、その額にキスして腕を離した。
自分が片付けているから支度して、とリカを促す。
―― こんな可愛い姿見られるならいくらだって甘やかすのにな
拗ねたふりをしてリカが離れていくのもおかしくて、口元が笑ってしまう。
自分たちは、今までの分もこんな時間をもっと楽しんでいいのだと自分に言い聞かせた。
無事に、予約を済ませ、映画も楽しんで帰ってきた二人は、家の近くのイタリアンで食事をしようということになった。
以前、大祐が来た時に、テイクアウトで食べてもらったことがある店にようやく大祐を連れて来ることができた。
「そういえばなかなか機会がなかったからね」
「リカのおすすめだもんね」
店に入って、顔なじみの店員に案内されたリカが奥の二人掛けの席に座ったところで、ぎくっと顔色が変わった。
「あれ?稲葉さんじゃないですか?」
カウンターで一人、ワインを飲みながら食事をしていた男が振り返った。
背を向ける形で座りかけた大祐が振り返る。知り合い?と問いかけられて小さく頷く。
「……高柳さん。お住まい、この近くなんですか?」
「いえ?ここ、おいしいって聞いたんで、出かけていたついでに寄ってみたんですよ」
席を立ってリカ達の方へと歩いてきた高柳は、大祐に向かって手を差し出した。
「どうも。稲葉さんにはお世話になっています。高柳と申します」
「あ、こちらこそ。いつも妻がお世話になっています。空井と申します」
苗字が違うことに気付いた高柳はリカの顔を見て、にっこりと頷いた。
「稲葉さん、て旧姓なんですねぇ。素敵な旦那さんですね。あ、私は、今、稲葉さんと同じ番組で組ませていただいてます」
「……あの、藤枝が報道の方で忙しいから、その代わりに……」
リカが付け足すと、ああ、と大祐が頷いた。その二人を見て、一歩、リカの方へと高柳が近づいた気がした。
「藤枝さんもご存じなんですね。へぇ。今度ぜひ、一緒に飲みたいですねぇ」
「ぜひ……」
「稲葉さんのご自宅、この辺なんですねぇ。じゃあ、ここに来れば稲葉さんに会える確率も高いのかな?……なんてね。どうも、ご夫婦水入らずをお邪魔しました」
大祐が、リカを振り返るのを遮る様に、テーブルに片手をついた高柳はリカの顔を覗き込むように一方的に話しかけると、さっさと自分の席へと引き上げて行った。
あまりに一方的で、誰の会話もかみ合っているようでいてかみ合ってない会話に、カウンターに背を向けた瞬間から大祐の表情が変わる。
リカを見ていても、全方向に、いや、カウンターに座っている高柳に意識を向けているのがリカにも伝わってくる。どちらに対して、動揺しているのかわからないが、ひとまずこの場はなんとか取り繕おうと、リカが口を開く。
「あ、はは、なんか、ね。びっくりしちゃった。こんなところで職場の人に会うなんて」
「そうだね。こんな家の近くだと驚くね」
「ほんとに。ほんとに、びっくりした……」
大祐には、リカの動揺に何かあるのかと察したが、リカ同様にこの場で揉めることだけは避けようと思った。
「……注文しちゃおうか」
強張っていたリカは、大祐に促されてメニューを開いた。胸の奥がざわざわするが、今はさっさと高柳が帰ってくれるか、自分達が早く出るかどちらかしかない。
気を取り直して、リカのおすすめのいくつかとビールを頼んで、互いに何かを誤魔化して笑みを浮かべる。
他愛もなく、店の雰囲気がいいと話しながらも、大祐も背中の気配から意識を断ち切れなかった。
そのうちに、顔なじみの店員が今日のおすすめがあるのでそれも食べて行ってと声をかけながら、ビールを運んでくる。大祐について突っ込まれている間に、いつの間にか高柳は席を立ってしまったらしい。
いくら話しかけられていたとはいえ、気づかない間にいなくなっていたことも不気味に思える。それでも、とりあえずいなくなってくれたことにほっとしたリカに本来の笑みが戻った。
「やだ、なんか、ね。同じ職場でもあんまり親しくない人とこんなところで会うと緊張しちゃう」
「そうだね」
互いに、その場では何かを避けようというのがありありしている。
それほど品数も頼んでいなかっただけに、ふっと大祐が空にしたビールグラスを置いた。
「早いけど、部屋で飲もうか」
「……うん」
またゆっくりこようと話しながら席を立って、店を後にした。マンションに向かって歩きだすと、いつもは手を繋ぐはずなのに、大祐がリカの腰に手を回して引き寄せる。
その仕草で、大祐も何か思うことがあることがはっきりしてしまった。
部屋に戻ると入ってすぐ、部屋の中にこもった熱気に眉をしかめて、エアコンのスイッチを入れる。その間に大祐が冷蔵庫から缶ビールを持ってきた。
べたべたと汗をかいた後が気持ち悪くて、声をかけてから着替えのついでにリカはシャワーに向かう。
その間に、先に飲んでいた大祐は眉間に皺を寄せてソファに座って考え込んでいた。
―― あれが、例の新しいスタッフか……
藤枝は柔らかい印象のイケメンで、今ではすっかり仲良しになっているが、過去は色々あるにはあった。だからこそ、ある意味気の抜けない戦友のような相手でもある。
先ほど会った高柳は、一見クールな印象なのに目つきは鋭くて、一目で野心家だと思った。
あの場で互いに挨拶をするにしても、奥側に座っていたリカの方へとだいぶ近づいていた気がする。
気を使ったのか、急いでシャワーから出てきたリカが大きなタオルを肩にかけて部屋の方をのぞく。ビールだけで静かに座っている姿を見て、自分も冷蔵庫からビールを持って傍に近づいた。
「お待たせ」
かしっとプルタブを開けて、大祐が手にしていた缶にこん、とあてる。
我に返った大祐がうん、と頷いてから少し温くなりかけたビールをあおった。
「あの人?新しいスタッフになった人って前に言ってたよね」
「あ、うん。なんか緊張しちゃう人」
「確かに、あれだけイケメンで、がっと近づいて来ると緊張しちゃうよね」
曖昧に笑ったリカが、小さく、ちょっと苦手なんだよね、と呟いた。
以前から藤枝のこともイケメンだから好きなんじゃないのかと思っていた大祐に、イケメンには興味がない、と言い切っていたが、客観的に言わせるとリカもイケメン好きだと藤枝にはよくからかわれている。