Honey Trap 8

「藤枝さんといい、さっきの人といい、やっぱりテレビ局には華やかっていうか、イケメンが集まるね」

何気なく言ったつもりだったが、確実にその声は固くて、はっと顔を上げたリカが大祐の膝に手を置いた。

「あの、誤解しないでね。テレビ局だから、とかそんなことないから!ほんとに、イケメンとかどうでもいいし!」
「藤枝さんにはよくからかわれてるけどね」

苦笑いを浮かべてリカにそういうと、本当に困った顔になったリカが俯いてしまう。困らせたいわけではない。信じられないわけでもない。
そうでなければ、2年もひどい言葉で放り出した自分のもとに来てくれなかっただろう。

「ごめん。冗談だから」
「あの!」
「ん?」

ひどく言い難そうにしていたリカが、はーっと大きくため息をつくと、開けたばかりの缶ビールを一生懸命飲み干した。
けほっとむせながら無理して一気に飲んだリカに驚いていると、勢いをつけました!という感じでリカが一息にしゃべりだす。

「藤枝が私のことをイケメン好きっていうのは、ずっとからかってるだけだから!大祐さんのことは、局では空自のイケメンって女子にいわれてて、背も高いし、スーツ姿だけじゃなくて、制服姿とか映ってるのも皆見てて、それが格好いいって言われてて、ものすごく人気高いの!それで、私がイケメン好きだって言われてて、そうじゃないって言っても聞かないから、ついつい、空井さんだからだって言い返したことがあって、それで、延々それをいまだにからかわれることがあって……」

よく息が切れないなと感心するくらい一気にしゃべってようやく息が切れたところで言葉が止まる。だから、その、と手を振り回して恥ずかしさでいっぱいになっているリカを呆気にとられたように見ていた大祐が、くしゃっと顔を歪めたかと思うと手にしていた缶を置いて、リカを抱き寄せた。

「やばいって」

もう~っと一人ぼやきながらリカの濡れた髪が肩にかかるあたりに顔を押し付ける。

「そんなこと言われたら、嬉しすぎてどうしていいかわかんないよ」
「う、嬉しいって……」
「当たり前でしょ?奥さんにそんな可愛いこと言われたら……」

自分でそこまで言っておいて、うわ、奥さんっていっちゃった、と自分でじたばたしている大祐に、リカの方が吹き出した。

「もうっ。私の方が恥ずかしいこと言っちゃったって思ってたのに」
「照れるよ。めっちゃ照れる。しかも俺がいないところでそんな風に言ってくれたなんて」
「そうですよ。私は、大祐さんがいないところで『空ぴょん』なんて呼んでませんから」

すっかり松島ではリカのことが『りかぴょん』で定着しているらしい事実をひっぱり出すと、ゴメン、と言って大祐が腕を緩めた。

「明日はもう予定ないよね?じゃあ、もっと飲もうよ」
「いいですよ。何か簡単につまめるもの用意しましょうか」
「あ、俺が。それに、俺も頭が冷えたからシャワーしてくるよ」
「頭が冷えたって何?……大祐さんがシャワーするならその間に私が用意します」

ようやくいつもの空気に戻ったところで、リカが立ち上がった。俺が、私が、と押し問答をした後、じゃあ、よろしく、奥さん、と額にキスをして大祐がバスルームに向かった。

パタン、と大祐の姿が消えてから笑みを刻んでいたリカの顔がゆっくりと険しくなる。
近くに来たと言って、昨日はメモを残して行って、今日は近くのレストランに姿を見せている。一歩間違えばストーカーばりの高柳の行動が正直なところリカは怖かった。

職場でなら何を言われてもどうとでもできる自信はあったが、こうしてプライベートな場所に踏み込まれてくるのは不安になる。
今日は大祐が一緒にいてくれたからよかったものの、これが一人だったらと思うとぞっとしてしまう。
目に余るときは阿久津に相談してみようと思いながら、リカは冷蔵庫からありあわせのつまみを並べた。

それから、シャワーから出てきた大祐と一緒に、遅い時間まで飲んだ後、昼間の疲れも出てそのままソファに寄り掛かる様にして眠ってしまう。
愛おしそうに眺めた大祐が抱き上げてリカをベッドに寝かせた後、すうっとその顔から笑みが引く。

―― 同じ職場の相手だって言うけど……。嫌な感じだな

自分自身に専守防衛だと言い聞かせておかないと、リカを守るためには一歩踏み出してしまいそうな自分がいる。
何事もなければいいと思いながら、大祐はリカの隣に長身を滑り込ませると、眠りについた。

週明けに仕事に出たリカは、出社して早々に珠輝に声をかけられた。

「稲葉さん、駄目ですよぉ。男性を捕まえておくのは胃袋からって言うじゃないですか」
「はぁ?いきなり何言ってんの?」
「聞いちゃいました。空井さんとイタリアン行ってるところに高柳さんに会ったって」

びくっと鞄を机に置く手が止まる。ずるずると、椅子に座ったまま珠輝がリカの席まで移動してきた。

「美男美女で店の中じゃ目立って立っていってましたよぉ。いいなぁ。最近、松島にはいかないんですか?」
「なんでそんな、いちいちどっちで会おうと、珠輝にいわなきゃいけないわけないでしょ。いいじゃないどうだって」
「よくないですよぉ。稲葉さんが新しい仕事で余裕ができて、空井さんとますますハッピーになってくれないと、私だってその後に続いていけないじゃないですか」

いずれは、大津と一緒になることを夢見ている珠輝には、リカのキャリアや仕事の進め方がいい見本になっているらしかった。
椅子を引いて腰を下ろしたリカが首だけを捻って後ろを向く。

「だからって、どこで食事しようがどこで会おうが関係ないでしょ?」
「ありますよぉ……」

にこにこと笑顔のままでリカの隣のデスクに肘をついてきた珠輝が声を潜めた。

「なんか高柳さんって、クセモノっぽくないですか?めっちゃ、ありありと稲葉さん狙ってるっぽいし、その割に空井さん見かけたって言うのも全然言いふらしてるし、なんかよくわかんないんです。気を付けてくださいね。稲葉さん、そう言うの弱いって言うか、疎いって言うか……」

笑顔で女子トークをしている振りで囁かれた中身にぎくっとリカが表情を固くした。さすがにそのあたりは女子力がリカよりも高い珠輝だけはある。

「ちょ、ちょっと!」
「しぃ。駄目ですよ、こんなところじゃ。また後で」

ささっと話を打ち切ると、珠輝は自分のデスクに椅子ごと戻っていく。

―― 気をつけろって言われたって、向こうからやってくるのをどうしろっていうの……

正直なところ、困惑しながらも途方に暮れているというのが正しかった。仕事の相手でもあり、新しい番組の仕事をする限り、関わり合いは密接になる。
ノートPCを引き出しから取り出して、電源を入れているとその張本人が現れた。

「おはようございます。稲葉さん」
「おはようございます」
「先日はすみません。旦那さんとご一緒のところお邪魔しちゃって」

悪びれずにそういう高柳の顔を見ないようにして、リカは首を振った。少なくとも関わり合いを極力避けたかったのだ。
だが、トン、と隣の席に腰を下ろした高柳は両腕を机の上に組んでじりじりとリカの方へと近づいてくる。

「かっこいい旦那さんですねぇ。自衛隊の人でしたっけ?」

リカに話しかけているようでいて、周りに聞こえるように言っているのがわかる。
藤枝の声は柔らかいので、同じように情報局にきて話していても、尖った印象は与えないが、高柳の声は低音で耳触りがいいのにどこか硬い。それだけに、フロアの目も自然と集まってきてしまう。

「なれ初め聞きたいなぁ。どうやって知り合ったんです?」
「それは、今仕事に関係ないことなので。それより、次の取材の検討に入るので、また会議の日程が決まったらご連絡しますね」
「嬉しいな。もっと、俺のこと使ってくださいよ。何回かに一度は藤枝さんがナレーションで入ってますけど、俺だけでもいけると思うんですよね」
「考えておきます」

この手の男にありがちだが、噂や自分の姿と上手に生かして獲物を追い込んでいく。いくら獲物が抵抗しようにもどうしようもない弱いところを次々とつついてくるのが妙にうまいのだ。
巧みに強弱をつけて、リカに仕事をねだっているところは声を低くしてただリカに甘ったれているようにも見える。

とにかく、距離をあけることに意識を向けたリカが、落ち着いて話をかわした。

投稿者 kogetsu

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