そんなことで引くような相手ではないだろうが、人の目があるところで踏み外すような手は取らないと踏んでのことだ。
案の定、へぇ、と呟くとあっさりとリカから離れていく。
「ほんじゃ、まあ後で」
ふらぁっと離れていくと、事情を知らない女性スタッフから声が上がった。
「いいなぁ~!稲葉さんの周りってイケメンばっかりじゃないですか!うらやましい~」
「ちょっと、イケメンってねぇ。大体、私の周りっていうけど」
「何言ってるんですか。旦那さんでしょう、藤枝さんもかっこいいし、高柳さんもかっこいいし、なんか妬ける~」
冗談じゃないと思う。仕事であって、別に相手を選んでいるわけでもなんでもないのだ。
だが、振り返った瞬間、珠輝と目があって、小さく首を振って視線を逸らした珠輝の意図をくみ取ったリカは、今度、空井に同僚自衛官との合コンを頼んでおくからというと、一斉に周囲の女性陣が食いついた。
「絶対ですよ!!」
「稲葉さん、細マッチョ!細マッチョでお願いします!」
「あたし、体育会系大好物です!!」
あまりの食いつきと、そのせいで一瞬にして高柳のことが吹き飛んだことで、ほっとしたリカは、極力善処する、と答えた。
何日かは、局内の編集作業が続いて、平和な時間が過ぎていた。次の取材は藤枝が相手だったし、週末も忙しくなければ松島に行ける。
しかし、そんなときに限って、リカの思いとは真逆の方へと向かってしまう。ちょうど、リカがチーフになった番組の取材に向かうはずだった藤枝が、特番のナレーションが入って、高柳に交代になってしまった。
水曜日。週の真ん中なのに、リカは憂鬱の極みだった。
「ついてるな、俺」
「そうですか?事前の情報が少ないので、やりにくいと思うんですけど」
大人の社会見学は、リカが大人の遠足に続いて本格的な番組として企画から始めた番組である。地味だが、なかなか見られない業界の裏側に潜入する、という形式でそこそこ視聴率もいい。
「今日はホテルマンでしたっけ。ありきたりっぽいですけどね。そういうのもうまくやりますから大丈夫ですよ」
かちん、と一瞬、リカの負けず嫌いを刺激する言葉が差し挟まれる。確かにホテルの裏側は旅番組などでも取り上げられることが多いし、裏側と言っても目新しくはないように思えるが、都内の一流ホテルに焦点を当てて、コンシェルジュと呼ばれるスタッフや、ルームサービスを担当するスタッフなどに焦点を当てることになっていた。
彼らのテクニックは事前の取材ではかなり面白かったのだ。
「ありきたりって思ってると、ナレーションやインタビューにも出ちゃいますから気を付けてくださいね」
昔のリカなら尖がって突き刺さっていただろうが、今はやんわりと穏やかに言える。
多少の皮肉でも言い方を丸くして笑顔を添えて。
穏やかに諌めるような口調だったリカを高柳が振り返った。
「今日は、ハンディだけの取材でしょ?俺がもっと使える男だってわかってもらうから大丈夫ですよ」
少しもめげることのない高柳のセリフに、リカは曖昧に頷いた。本当に、まだはっきりと新人の方が、基礎から叩き込むつもりで説明できるが、高柳の場合、関連会社でもアナウンサー歴がそこそこある。こういう、少し天狗になりかけているところには何を言ってもどうしようもない気がした。
まして今は本局に抜擢されて、高柳の野心はようやく入り口に立ったところだ。上からも、多少の生意気さはやる気の表れだから大目に見るように言われていた。
ホテル内の取材は、なるべく目立たないようにということでフロアを移動しながらもハンディを構えることは最低限である。エレベータの中でほかの客がいない場合や、廊下も人が映りこむ場合はNGになる。
高柳と客室係りの移動を少し離れてカメラに収めては早足で追いつくのを繰り返す。
「この時間はチェックアウトの後の時間なので比較的お客様がいらっしゃることは少ないです」
平日の日中だけに確かにそうだろう。いるのは海外からのビジネスマンや、観光で滞在している客などが多いらしい。
「じゃあ、比較的この時間はお仕事に集中できるお時間という事ですね」
「そうですね、滞在されているお客様からのリクエストがおおい時間ではありませんね」
想定されているインタビュー内容を高柳が問いかけて、引き出していく。客室係の中でも7年目になるという女性が先に立って歩きながら、客の帰った部屋へと向かう。
すでに清掃担当が入った後に、マスターキーで部屋に入ると、客室内のチェックを行いながら小さなメモを手にして何かをチェックしている。
「それは?何をチェックされているんですか?」
「これは次にお泊りになる方の情報ですね。たとえば、次に滞在される方が外国のお客様の場合もありますし、ツインのお部屋ですが、男性がお二人だった場合はアメニティも変更します。逆に女性お二方の場合は、お化粧品など変更します」
「次のお客様にあわせて変えていくんですね」
「はい。あとは、お部屋の中の状態をチェックします。禁煙ルームであっても喫煙される方がいらっしゃたりすることもありますので、必ずお部屋を確認して回ります」
「大変ですね。そういう確認をされる方はどのくらいいらっしゃるんですか?」
「各担当にそれぞれの割り当ての階があって……」
インタビューをしている傍で部屋の中を撮ったり、高柳のすぐそばから撮影を行う。
一通り、撮影が終わって、客室を出たところで、腕時計を見るとちょうどいい時間だったので、客室係の女性に礼を言うと、いったんその場を離れる。そして、コンシェルジュの元へ向かうことにした。
ちょうど客が途切れて、デスクのところで待っていてくれたコンシェルジュと共に、再びホテル内を歩いて回る。
コンシェルジュに持ち込まれるリクエストの多彩さに感心しながらも、高柳は落ち着いて話を聞き出していく。リカからすると、もう少し、聞き手側も反応を見せないと相手からも平坦な反応しか出てこない気がしていた。
こういうところは、藤枝の方が抜群にうまい気がする。
移動の途中で高柳に向かって小声でリカは注意を出した。
「高柳さん、もう少し、聞き手側も反応して見せてください。雰囲気が伝わるような感じで」
リカそう言うと、スマートな話しぶりで自分としては満足していたらしい高柳がわずかに眉を顰めた。
「オーバーにしたから反応を引き出せるわけじゃないし、俺は藤枝さんとは違うテイストで行きたいんで」
「それはわかるけど、あまり起伏の少ない感じでも見せどころが弱いので」
「じゃあ、違う方法の方がいいでしょ?」
ちらっとリカを振り返ると、コンシェルジュに一歩近づく。
「たとえば、こうご案内されている間に、お客様の方でトラブルになった場合はどんなふうにされるんですか?これは後でナレーションとして被せるんですけど」
カメラが回っていない間も、放映するときのバックで語ることもあるだけにそれを説明すると、頷いたコンシェルジュの男性が口を開いた。
「トラブルですか。たとえばどのような?」
「そうですね。じゃあ、仮に、私達がカップルで宿泊にきた客だとして」
そういいながら高柳がグイッとリカの肩を引き寄せる。
「今はレストランの予約と案内をお願いしている最中に痴話げんかを始めましたと」
そう言うと、べたりとリカを引き寄せて、自然と嫌がって離れようとするリカとの間で押し問答している格好になる。苦笑いを浮かべたコンシェルジュが、両手を組んだまま応じた。
「基本的にはお客様のプライベートですから聞かない振りに徹します。ただし、お好みが違うとかでしたら、耳に入れておいて、途中でさりげなく違うレストランがあることも案内します」
「なるほど。じゃあ、例えば……」
そう言いながらポケットから携帯を取り出して、カメラを自撮り風に構える。
「はい、稲葉さん笑ってみてください」
「ちょっ……!」
「いいから」
ひきつった顔で高柳の手を払いのけながら笑顔を無理矢理作ると、肩から叩き落した高柳の手がリカの腰に回された。
「はい、チーズ」
かしゃっと並んで明らかにホテルにいるとわかる場所で一枚撮った後、高柳はコンシェルジュに携帯を差し出した。
「こういう風にとっている場合は、写真撮りますよって申しでるんですか?」
「場合によりますね。他のお客様もいることもあれば、お二人だけでとられたい場合もありますので、それはその場の雰囲気を読む、ということになります」
「なるほど。つまり、マニュアルのない対応ってことになりますね。それは難しい」
「そもそも、私たちの仕事はマニュアルで動けるところは限られています。それでも、根っこがぶれていなければ、おおよその対応で間違うことはありません」
コメントとしては、なかなかいい回答を引き出したわけだが、そのためにとはいえ、引き寄せられたリカはすぐに高柳の手を払って離れた。
Pixivから参りましたカモミールと申します。一度向こうでメッセージいただきました♪
いつもお話楽しく読ませていただいています!
このサイトのルールがちょっとわからないのですが
保護の記事もあるので読めなくて残念です…
ハニートラップのつづき気になりまーす!
カモミール様
こんにちは。鍵つきはお問い合わせだけでなくトップにもおまじないを書いてきました。
そちらを参考にしてくださーい。