長い夜

肩の上に柔らかな髪がかかっていて、健やかな寝息が耳をくすぐる。朝早く起きなければならないのに、ちっとも眠くならなくて空井は目を覚ましていた。

―― 本当は少しでも眠ったほうがいいんだろうな

それはわかっているのに、眠れなかった。隣で眠る寝顔が可愛くて、愛しくて、ずっと見ていたくて。
それでも、もうそろそろ限界が来る。

起こさないようにそうっと腕を外して布団を抜け出すと、シャワーを浴びて先に着替えを済ませた。あとはネクタイを締めて上着を着るだけというところで、ちょうどリカの携帯が鳴った。

目覚ましのアラームが離れたところでなっているのをくすっと笑って枕元まで持っていく。

無意識にあたりを探している手に携帯を握らせた。

「?!」
「おはようございます」
「え?!あ……」

携帯を掴んでから、まだ眠った頭に何かが引っかかったらしい。はっと起き上がりかけて、布団の傍に胡坐をかいて座った空井と目があったリカはみるみる赤くなって、その顔が布団の中に消えてしまう。

「稲葉さん、そろそろ起きないと支度できませんよ?」
「……ださい」
「はい?」
「ちょ、ちょっと向こうに行っててくださいっ」

ふうん、としばらく布団の中でもがいているリカを見ていた空井は悪戯を思い出した子供のような顔で、布団の上からリカを押さえこんだ。

「んんっ?!」

布団をめくって、とりあえず服を身に着けたリカの顔を見つけ出すと、にこっと笑う。

「目、覚めました?」

ぱっとぐしゃぐしゃになった頭と顔を両手で隠したリカの手を掴んで強引に引き寄せる。
恥ずかしいのに、と唸ったリカに勝ち誇った顔が嬉しそうに笑っている。

「寝起きの顔、見せてもらいました」
「……意地悪」

これ以上からかったら、本気で怒り出しかねないと、手を放すと弾かれたように空井の前から逃げ出したリカが着替えを抱え込んだ。

「もうっ!シャワー借りますっ」
「はい。どうぞ」

まだ笑ってる、と悔しそうな呟きを残してリカが姿を消した。

しばらくして、着替え終わったリカは手際よく化粧を済ませていた。
見慣れた顔も可愛いが、素顔も可愛かったのに、と空井は少し残念そうな気分になる。

「あ、あのっ、お借りしたタオルとか、は、向こうに畳んでおいたので……。あ、りがとうございました」
「あ、全然。はい。じゃあ、遅れちゃったら困るので、早いですけど、行きましょうか」

ずっと起きていたから空井の方が余裕を持っていたのは仕方がない。そわそわと落ち着かなくて、朝起きた瞬間の後、一度も視線を合わせないリカが鞄を掴んで頷いた。

昨日と違って、先に玄関に立った空井の手を掴んで、その肩に額が押し付けられる。

「……ずるいです。空井さんばっかり、普通で」

振り向かずに肩に寄り添った頭をそっと撫でる。

「普通じゃないですよ。……俺だって、離れたくないし、このまま布団に逆戻りしたいです」

馬鹿、の代わりに肩を額がこつん、と打つ。

「でもね。いいんです。また会えるし、これからたくさん考えなくちゃいけないから」

―― 考える?何を?

空井の肩から離れたリカの考えが手に取る様にわかる。ゆっくりと振り返った空井は、片手をあげて指を折った。

「まず、おんなじ携帯にしようかとか、それからパソコン!カメラ買ってきたらウェブカメラとかつなげるんですよね?あとは、休みをどうやって合わせようかとか、あ!俺が東京に行くときは車の方がいいかなとか」

少しだけ拗ねた顔をしていたリカが目を丸くする。
その鼻先をちょいっと指でつつくとさらりと付け足した。

「あと、この部屋に荷物、置く場所をつくろうかなとか。……リカ、さんの」
「あ……」
「ね?だから、そういうこと考えてたら楽しいかなって。離れることはもうたくさん考えたから、次は一緒にいることを考えたいなって」

少しだけ泣きそうになったリカに軽く口づける。
何度も頷くリカの頭を撫でると、手を引いて家を出た。

仙台駅の送迎用の場所に車を止めて、人もまばらな駅の中を歩く。この時間に駅にいるのは新幹線に乗るための人がほとんどで、ビジネスマンか旅行者の二種類に見えた。

さすがにこの時間では売店もほとんどあいてない。
改札でいいというリカを押し切って、ホームに上がる。

仙台駅発の新幹線はもうすでにホームに止まっていた。

「次は、僕が行きます」

まずはメールしますね、と携帯を見せた空井に頷いたリカは入り口に足をかけて振り返った。

「待ってます。おいしいお店に連れて行きますね」

発車のベルが鳴る。
鷺坂の教え通り、互いに笑顔で。

今にも締まる直前、リカが空井の手を引っ張った。

「そら……、大祐さん!」

頬に触れて離れた温かいもの。

―― やられた

2秒もらった空井が2秒を奪われていた。
何か言う前にドアが閉まる。小さく舌を見せたリカがドアの向こうで手を振っていた。

ゆっくりと動き出した新幹線に手を振って、見えなくなるまで見送る。
まだ、自分たちは歩き出したばかりだから。

— next

投稿者 kogetsu

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