「すっかり遅くなったな」
白いのれんをはらって、空井とリカの二人を残して店を出た藤枝は、携帯を見て少し急ぎ足になる。着信していたメールを見て肩を竦めた。
『ごめん!やっと終わったから今から移動します。どこにいけばいい?』
「向こうの方がまだ遅いってのもね~。いいけど働きすぎだ、ぞと」
遅くなることもわかっていたし、流動的なのもわかっていたから店を決めてはいなかった。
腕時計を見るとまだ大丈夫だろう。
駅前まで急いで移動すると、こじんまりしたイタリアンの店に向かう。空きを聞くとちょうど二人席が空いているというので席を押さえてもらった。
『駅に着いたらここに。わからなかったら連絡してくれれば迎えにいくよ』
アドレスと地図を付けて送信すると、すぐに返事が返ってくる。
『了解!大丈夫だから待ってて』
ふ、とその返事に笑ってしまう。どうされますか?という店員に席で待ちます、と言って先に案内してもらった。
珠輝もリカに似て不器用なところがあるから、素直になれないところまで似なくてもいいのに、と思った。固い蕾だった稲葉が、空井に出会って、少しずつ綻んで花開いて行ったように女性はいつでも変われる。
男も女もいつだって、同じだけどなと思いながら携帯をみた。
店員に案内されて、息が上がっているのを必死に整えようとしている相手が姿を見せた。
「ごめん!」
「まあ、まず座って?先にアイスティください」
一つ、と店員に言うと、すぐに頷いた店員が去って行って、代わりに彼女が席に崩れ落ちるように座った。本人は極力それを隠しているつもりなのがわかるだけに、おかしくてたまらない。
「走ってくることなんかないんだよ。いつも言ってるだろ?」
「そうなんだけど……、こんな時間になっちゃったし、悪いなと思って」
「俺、貧乏性な気がしてきた」
「は?」
バックからハンカチをだして口元を押さえた彼女が不思議そうな顔を向ける。
稲葉と言い、珠輝といい、彼女といい。
―― 素直じゃなくて不器用で、精一杯いつも頑張ってる女ばっかりだな。俺の周りは
そういう相手が好きなんだろうなと最近は自覚するようになってきた。
運ばれてきたアイスティを彼女へというと、ふわっと笑った。
「それ飲んで、ひとまず落ち着いてから注文しよう」
「ごめんね。待たせて」
「い・い・よ。今日の俺は女性の味方デーだから」
それ、いつもじゃないの?と言い返されても堂々と言い返す。
「もちろん。女性の味方、藤枝ですから」
うさん臭いわよ、と笑う彼女がメニューを開いて藤枝に向ける。
藤枝の好きなものが何かと先に問いかける彼女は、仕事の疲れや、待たせたことの申し訳なさをきれいに捨て去ってもう目の前の食事に意識が向いていた。
アナウンス部のフロアではなく、ロビー2階で打ち合わせを終えた藤枝に通りすがりの情報局担当ディレクターが声をかける。
「藤枝ちゃん。今日のインタビュー、よろしくね」
「うぃーっす」
情報局は当然だが、帝都イブニングだけではない。
リカが帝都イブニングと、明日キラリ、そのほかの番組に関わっているように、藤枝も多くの番組に関わっている。今日のインタビューは日曜の朝に放送している番組だ。
明日キラリに似ているが、ゲストを呼ぶトークバラエティの中で、一般の人々を取り上げる小さなコーナーである。そのインタビューを見て、さらにゲストを共に、話を広げるのだ。
この番組が始まった当初からこのコーナーとナレーションを担当している藤枝は、手帳に書かれているスケジュールを確認する。今度の取材相手は、流行のコンピュータ関連の会社の女性ディレクターである。
カメラマンとディレクター、そして藤枝で相手方の会社に行き、仕事風景を取材しつつ、インタビューを行う。
相手は素人ではあるが、会社としてはテレビ取材も多い会社で、広報が手馴れているだけに、比較的やりやすいほうだ。
他の仕事をこなした後、取材車に乗り込んで近郊の会社に向かう。都内ではないが川崎なら局からも遠くない。その会社の入っているビルはグループ会社のもので、車を正面に着けると、上着を整えて車を降りた。
本体が大きい会社だけに、入口には警備員がいて、車も丁寧に誘導される。受付で入館手続きを行うと、すぐに連絡が行ったのか広報の担当者が現れた。
「お世話になります。広報の秋山と申します」
「こちらこそお世話になります。帝都テレビの加藤と申します。事前調整のご協力ありがとうございました。こちらが本日インタビューさせていただく藤枝です」
「よろしくお願いします」
ディレクターの加藤はすでに事前の調整でメールを交わしていたが、直接会うのは初めてだ。藤枝と揃って名刺を交換する。カメラマンの紹介をさらりと済ませると、早速、と案内についてフロアに上がる。
「うるさいわけではないんですが、そこそこ活気のあるフロアなので、何か問題がある場合はおっしゃってください」
「承知しました。こちらもできる限り配慮いたしますので、何かありましたら」
ほとんどのドアにはセキュリティ錠がかかっていて、IDカードをかざして皆出入りをしている。秋山も広報らしくびしっと決まったスーツの胸ポケットからIDカードを出して掲げた。
「秋山さんは、こういうストラップタイプの、つけてらっしゃらないんですね」
「ええ。見える所に携帯しなくちゃいけないんですけど、僕なんかは外に出ることも多いので、こういうクリップに引き出せるストラップが付いたタイプを使ってるんです」
そういうと、丸いキーホルダー状のものを見せてカードとそれを引っ張るとメジャーのように紐が伸びる。さっと出し入れしやすい様にという事なのだろう。
なるほどと話を聞きながらフロアに入ると、廊下を挟んでビルの片側がすべてぶち抜きで広がっていた。
「はぁ、広いですね」
「そうですね。このビルだけでざっと3000人くらいはいますから」
その具体的な数に思わず顔を見合わせてしまうが、都内の企業ならこういうところも少なくはない。多い様に聞こえても、これだけの建物にそれだけというのは、余裕のある席割になっているともいえる。
場所ごとに部門が決まっているらしく、あちこちにフロアマップが張り出されていた。それを見ながら秋山がフロアの一方に向かう。
フロアに現れたいかにもなテレビスタッフにフロアにいる人々もざわざわと視線が向く。ふいに立ち止まった秋山が少し先の一角を手で示して見せた。
「この先のあのあたりになります。入るところからいきますか?」
「ご配慮ありがとうございます。お願いします」
加藤がそう答えると、片手を上げた秋山はフロアに振り返った。
「皆さん!、これからテレビの取材が入ります。撮影を開始しますので、電話や画面、口頭での打ち合わせなど、十分留意してください!」
ぱんぱん、と2度ほど手を叩いてフロアの視線を集めた秋山がよく通る声でそう言うと、あちこちからはーいという返事が返ってくる。会社が会社だけに機密情報をうっかり映してしまうことがない様にということだろう。