真昼の月 11

―― 稲葉の奴……

どうしてこれに気づかなかったのだろう。藤枝が男だからということではなく、単に客観的にみられるからだろうか。
藤枝がみたところでは、西村のチームのメンバーは誰もかれもクセがあるらしい。

だから、ほかのチームではなかなかもてあまされたメンバーが集まって、仕事をこなすようになってきたからこそ、周囲のやっかみを買っているように見えた。

「……なるほどね。本当にできるスタッフをうまく動かしてる姿を見せてほかの社員たちの意識を変えようってことか」

なかなかえぐい真似をする。取材にかこつけてこれはないだろう。
それをリカがわかっていて受けたとは到底思えなかった。

そ知らぬふりで取材を終えた藤枝は、西村に声をかけて会社の入っているビルを出る。

リカは気づいていなくても、西村本人は自分が置かれている立場も何もかもわかっているような気がした。

『藤枝さん』

あのレストランで見せた、西村の顔は屈託なく藤枝が見ても可愛いと思った。
もうちょっとうまくやればいいのに。

そう思ったが、あくまで取材対象。

局に戻った藤枝はリカにハンディカメラを返して、自分の仕事へと戻る。
ただ、何とも後味が複雑な気がして、携帯から仲良しな彼女たちの名前をざっと眺めて、メールを送った。誰か一人くらいは会えるだろう。

二人ほど、今日は都合が悪いと返事が来たが、最後に仲良しの一人、菜々美がOKを返してくれた。返事を読んでよし、と笑顔になる。

「やっぱり、1日楽しいことで終わりにしないとね」

そういって、機嫌よくなった藤枝はもう一本の仕事のために、違うスーツに着替えに行く。
ミニニュースのために更衣室で着替えていると、ネクタイが見当たらない。

「お?」

テレビ用のスーツはそれぞれ衣装として借り受けているもので、私服とは違う。
ネクタイもその一つなのに見当たらないというのはまずい。わずかに焦りながら何着か用意されているスーツを確かめたり、周りを見ていたがどうも見当たらなかった。

ちらっと時計を見ると、いくらミニニュースとはいえ、打ち合わせに行かなければならない。とにかく、スーツに着替えるともう一度ありったけポケットを探す。

「何してんの。藤枝ちゃん」
「あー、お疲れっす。ちょっと衣装のネクタイが……」
「ないの?」

声をかけてきたバラエティのアナウンサーが、一瞬、にやりと笑ったように見えた。

「大変だねぇ。人気者は衣装もごっちゃになるくらい忙しいのかな~」
「いや、そんなんじゃないっすけどね」
「へーえ?でも時間、やばくないの」

その言い様がなるほどね、と感じた。
きっと誰かがわざとどこかにやったんだろう。はいはい、と内心では軽く頷いた藤枝は自分の着替えを入れておくロッカーに歩み寄る。その中にはハンカチや、ネクタイ、靴下にワイシャツがストックしてある。

似合う、似合わないもそれぞれあるが、スーツに合わせてネクタイを選んだ。

―― いつ何があってもいいようにね。何事も準備が必要ですよ

しゅるっと一本選んでネクタイを締めると、お先でーす、と言って藤枝は部屋を出た。
居酒屋のカウンターに並んで座った藤枝の頬を菜々美がつつく。

「なんか、今日の敏くん変」
「んー?」

分厚い木の長いテーブルにべったりと張り付くようにして、ビールではなく焼酎のロックを手の中で転がした。からからとグラスが鳴って外側についた水滴が掌を濡らす。

菜々美は、フリーターで帝都テレビに出入りしている。小物をセットしたり、時には雑用で駆り出されていた。
その菜々美は、食べ残って冷えかけた焼き鳥の串をもってどうしようか迷っている。

「そういえばさぁ。今日のニュース、大丈夫だったー?」
「なんで?」
「んー、なんかね。誰かなぁ。誰かだったかもう覚えてないんだけど、ネクタイがどうとかニュースがどうとか言ってたから、敏くんじゃないといいなーって思ってたんだ」

ああ、と眠くなりかけた頭で小さく藤枝が笑った。
なんでそれを止めてくれなかったとか、その時に教えてくれなかったとは少しも思わない。誰かをあてにすることはないからだ。

「そういやー、あれだよ。ネクタイがね。ちょっと散歩に行ったみたいだけど平気平気」
「なんだー。やっぱりそっか。今アナウンサーでそういうの多いの、敏くんだもんね。かわいそう。だから、今日は元気ないの?」
「えー。俺、今日元気ない?」

半分寝そべる様にして呟いた藤枝の頭を菜々美がいいこいいこ、と撫でる。
少し舌足らずで、甘ったれた口調が似あう。甘えたい気分の時に会うには最高の相手だ。

「あー。俺、もう眠い。もうそろそろ行く?」
「いいけど。私、今日泊まれないよ?明日早いんだもん」
「いいからさ」

半分、酒と睡魔に浸った頭を無理やり起こして伝票を掴む。鞄を掴んで一緒に立ち上がった菜々美が藤枝にぴったりと寄り添う。ふらつく足元の藤枝を支えて、会計を済ませると、近くのホテルに向かいかけて酔っぱらった藤枝が道の途中で足を止めてしまった。

「敏くん、大丈夫?帰った方がよくない?」

自分も遅くなれないから。

そんな理由もあって、複雑な顔を見せた菜々美に、ふっと酔っていても顔には出ない藤枝が、ひらりと手を振った。

「いいよ。送れないけどごめんな。俺も、タクシーつかまえて帰るわ」
「うんー……」

藤枝の姿に躊躇したものの、腕時計を見た菜々美は肩にかけたバックを押さえて藤枝をぎゅっと抱きしめた。

「ごめんね。一緒にいてあげられなくて。気を付けて帰ってね。寝坊しちゃだめだよ?じゃあね」
「はいはい。まったねー」

ひらひらと眠い目を何とか押し開けて手を振った藤枝を置いて、菜々美は駅の方へと小走りに向かって行く。
一人残された藤枝は、酒気の強い息を深く吐いた。

「なんだよ……」

こんな夜は、せめて眠るまで誰かの声を聞いていたかったのに。

ふう、と見上げれば、表の通りの賑やかさとは離れた寂しさが迫ってくる。
たとえばリカのように、離れていても愛おしい相手と繋がることができたら、何かが違ってくるかもしれない。

「……無理だろうけどな」

一人、呟いた藤枝は、タクシーを止めるために歩き出した。

投稿者 kogetsu

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