いつもの彼女たちに連絡するときにこんなに緊張したことなどなかった。
仕事中だろうからとメールしたいところだが、彼女の携帯もメールアドレスも知らない。
―― なんだ?俺、おかしいよな
リカの時は、自分自身でも絶対に認めなかった。
当然だが、リカと空井のように、深い情熱をためて、燃え上がるような想いではなかったから。
穏やかな日差しのようなほんのりと寄り添うような想いだったから。
携帯に保存してある名刺の画像から会社の番号にかける。
「お世話になります。帝都テレビの藤枝と申します」
取次を願い出て保留音を聞きながらしばらく待つ。
『お電話代わりました。西村です』
「お世話になります。藤枝です」
『はい。どうされました?』
どうされましたと言われて、いつもならスムーズに話ができるはずなのに、二の句が継げない。初めてのことに妙に喉が渇く。
「あの、ですね。稲葉から先日の番組が出来上がったということでデータを預かったので、よろしければお渡しする時間をいただけないかなと……」
『そうでしたか。わざわざのご連絡ありがとうございます。お手数おかけして申し訳ありません。もしメディアでしたら送っていただいても』
確かに、仕事柄DVDなどのメディアならメール便で送った方が早い。
携帯を持っていない方の手で自分の足を叩く。自分自身で緊張の意味も、どうして自分がこうして誘っているのかもわからないから余計に始末に悪い。
下唇を噛みしめてもう一度、強く握った拳で自分の太もものあたりを叩いた。
一回り上。バツイチで、自分とは全く違う世界の女性。
「いえ、できればお目に……。あー、いやあのですね。それはついでで、よかったら今夜時間があるなら飯でもどうですか。うまい和食の店あるんで行ってみたいんですよ」
『……はい?』
「和食って言ってもお茶漬けなんですよ。お茶漬けだからっていくらなんでも男一人じゃ行きませんしね」
『それは、彼女さんと行かれたほうがよろしいのでは?』
確かにそう言われるだろう。予想通りとはいえ、どういえばいいのか。
「本命の彼女は今はまだいませんから」
電話の向こうで、困惑した気配が伝わってくる。仕事中の相手に無茶を言っているとも思う。
『藤枝さん』
「お願いします」
耳元にため息が聞こえる。
『……藤枝さん。申し訳ないんですけど』
―― だめか
『今日は定時退社日なので、場所が近いなら構いませんよ』
思いがけない回答に、息を吸い込んでから冷静に応える。
「ありがとうございます!じゃあ、えーと19時ではどうでしょう。この銀座の方なので新橋あたりで待ち合わせられたらどうかなと思いますが」
『わかりました。遅れそうな時にはご連絡したいので、携帯、教えていただいてもいいですか?』
藤枝の携帯の番号を伝えると、丁寧に復唱した西村がそれじゃあ、と言う。
「じゃあ、夜に。楽しみにしてます」
『なるべく、遅れないようにします』
じゃあ、と言って電話を切った瞬間、廊下の壁に寄り掛かって思わずしゃがみこんでしまう。
「うわー……。俺、どれだけテンパってるんだ。稲葉じゃあるまいし……」
切ってすぐの携帯が震えて、メールの着信を知らせている。それを開くと、次の仕事の呼び出しがかかっていた。
慌てて立ち上がると、走り出す。
胸の内になんだか小さな動物でも飼ったような気分に、リカにだけは知られたくないなと思った。
家に帰って、すぐにでも電話をしたい気持ちを押さえて、シャワーと着替えを済ませたリカは、時計を見てからいそいそと携帯を手にした。
数コールで、コール音が途切れる。
『おかえり。リカ。今日は早いね』
「ただいま。大祐さん。今大丈夫?」
『うん。まだ職場だけど大丈夫。休憩だから。リカは?』
まだだったがとにかく話がしたかったの、というリカに大祐の声が少しだけ低くなる。
食べながらでもいいからという大祐に、うーんと唸ったリカが渋々立ち上がった。キッチンに立って、ラップと海苔を用意する。
「じゃあ、おにぎりつくりながらでごめんね」
『おにぎり?それだけ?』
「んー、今日はお昼が遅かったからそんなにお腹もすいてないし。明日の朝の分もついでに作っちゃう」
今日だけだよ、という声でお許しを得てから首に挟んだ携帯にどうしても話したかったと言って、やっと出来上がったあしたキラリの話を始めた。
『この前言ってた人のやつ?』
「そう!そうなの。これ、大祐さんにも見て欲しいなぁ」
『見たいなぁ。こっちでミニ番組も流してくれればいいのに』
松島では、あしたキラリは放送されていない。大祐が都内に来た時に見てもらうしかないのだ。
それでも居ても立っても居られない気持ちが先に出る。
「BGMも大祐さんが好きだって言ってたあれにしたんだ」
『あれ?』
「そう。Roseの、原曲の方をかぶせたの。もともと、今回のはインタビューよりもナレーション中心にしたかったから、なかなかいい出来になったのよ!」
こればかりは見てもらわなければ伝わらないもどかしさを感じながらも、とにかくそれを伝えたくて早口になる。
その勢いに、大祐が笑い出した。
『待って待って。リカ、どうしたの。すごい興奮してるんだけど、そんなにいい出来だったの?』
「あー、それもあるんだけど……。あのね!もしかしたら、もしかするかもしれないなって」
『もしかしたらもしかする??』
意味が分からないでいる大祐に、特別な話をするようにリカが手を止めた。このわくわくした気持ちをわかってほしくて、あのね、と続きを話し出した。
「あのね、あのね。わかんないんだけど、私、そういうのに疎いし、自信ないんだけど」
『うん?』
「もしかしたら、恋になるかも!」
『恋?!リカが?!』
思わず叫んだ大祐の声が大きすぎて、一瞬携帯を離す。
徐々に大祐の話の順番がばらばらなところが似てきたのか、うっかり誰がをすっとばしたリカに電話の向こうであたふたした大祐が、何度も待ってと繰り返す。
『待って待って。リカ、ごめん。お願いだから落ち着いてちゃんと話してくれる』
「ちゃんと話してるってば。私じゃないわよ!私が好きなのは大祐さんでしょ!そうじゃなくて……、藤枝なの」
『は?……えーと、藤枝さんが?……リカに?』
「違うってば!藤枝が西村さんに、よ!」
『え。……えええ?』
再び、驚きすぎて叫んだ大祐は、正直目の前にいたのなら目を白黒させていたことだろう。
うまく伝わらないことに焦れながらも、リカは胸の内でわくわくする方が大きくて、それどころではなかった。