肩を竦めた藤枝が、片手を出して頭を掻く。黙ってみていた西村がどうしたものかと成り行きを見守っていた。
「で、どうです?うまいって評判なんですよ」
何事もなかったように西村に話しかけた藤枝にぷっと西村が吹き出した。
「すごい。さっきの若い彼女よりこんなおばさんに声かけるの?」
「おばさん?おばさんなんてことないと思うけど?とにかく、どうします?食べるでしょ?」
すっかり面白がっている顔になった西村は、笑いながら頷いた。
なにせ、予約したはずの店で食べるはずの片割れは目の前で帰って行ってしまっている。
「せっかく予約したんでしょう?もったいないのでご一緒してもいいですか」
「もちろん。じゃあ、いきましょう」
藤枝の跡に続いて西村は目の前の店に入った。ドアを開けた瞬間から油の匂いと食欲をそそる匂いがする。
二人掛けと言ってもソファのような席に案内されて初めて会ったばかりだという同士で座るのはなかなか気が引けた。
「ごめんなさい。可愛い彼女と来るはずだったんでしょうけど」
「いや、こちらこそ。あー……。正直あれ、よくわかんなかったんだけど、どういうことだったか聞いていいっすか?」
「もちろんです。まあ、私もおせっかいだなって思うんですけどね」
乗り換えの駅に向かう途中で、地下鉄から出てきた彼女が何度も男を振り払おうとしていたらしい。散々、振り切ろうとしてもついてくる男が徐々にエスカレートするようになって、腕を掴まれて引きずられそうになった彼女が助けを求めて騒ぎ出したところを見かねたという。
「よく声かけましたね」
「ほんとにね。自分でも馬鹿だと思います」
「ああ、気を使わないでくださいね。あんな感じなので、もう彼女はこれで終わりだと思いますんで」
「彼女……じゃないんですか?」
サラダをつついていた西村が驚いて顔を上げた。取材に来た時も、さすがテレビ局の人だと思ったくらいのイケメンだからこそ、さっきの彼女も可愛らしくて、すぐに彼女なんだろうなぁと思ったのだ。
「彼女じゃないですよ。自慢じゃないですが、本命の彼女はいないんです」
「ああ……。色々、お仕事もありますから大変ですね」
「そーいう……。うん、まあそうですね」
本当は単に面倒が嫌いで、可愛い女の子たちと楽しく遊びたくて、本命の相手などいなくていいと思っていたからなんてわざわざ説明する必要もない。本命ではない、という表現もさらりと受け取ったらしい。
上手そうな肉が乗った鉄板が運ばれてきて、おいしそう、と目を輝かせた西村は顔をほころばせた。
「こう言ったらいけないかもしれないけど、ちょっとラッキーかな?」
「ラッキー?」
「そ。イケメンのアナウンサーさんとご飯を食べる機会ができた、こんなおいしそうなステーキ食べられる。あの彼女には悪いけど、声かけてよかったかも」
ナイフとフォークを手に嬉しそうにしている西村に藤枝がぷっと笑い出した。
「面白いね。西村さん」
「藤枝さんだって変ってる。普通、いくらなんでも会ってすぐに食事に誘いませんよ?」
「いやいや、会ってすぐじゃないでしょ。昼間、インタビューしてますよ。もうお知り合いです」
にやっと笑うと、カットしたステーキを添えられていたソースよりも先に塩で食べる。
それにならって西村も同じように口にすると眉をあげて顔を見合わせた。
「おいしい」
「うん。うまい。俺もついてますよ。うまい肉を知り合いになったばっかりの美人と食べられてる」
「……藤枝さん、お世辞はいりません」
「お世辞じゃないですよ。西村さん、名前、ともさんでしたっけ。昼間と全然雰囲気違うから最初、ほんと、気づかなかった」
ちょいちょい、と頭を指差してこれね、という。世辞はいらないと首を横にする姿も落ち着いているようでいて、一つ一つの反応にギャップがある。
「この格好も、昼間のあれも、全部取材用ですよ。今日取材があるって言うからわざわざ、スーツ着て髪も下ろしてたけど、普段はもっとラフな格好してて、髪もまとめてます。メガネもね。昼間は無理してコンタクト。だけど、ほんとはメガネ」
油が飛んじゃう、と言いながらも横長のレンズ越しに目をくるっと動かして見せた。
いくら緊張していたとはいえ、昼間のぴりぴりした印象とは全然違う。それが面白くて仕方がなかった。
「まあ、やっぱ、そんなもんですよね」
「そんなもんです。だいたい、藤枝さんよりもはるかにおばさんです。それが昼間はちょっと見栄を張っちゃってお恥ずかしい」
「おばさん、おばさん言いますけど、西村さん、そんな年じゃないでしょ。って、女性に年の話は失礼ですね」
女性にしては思い切りよく、あはは、と笑い飛ばした西村はあっさりと生まれ年を口にした。その年を聞くと、顔には出さないが、確かに藤枝よりも一回り上で驚いてしまう。女性としては、おばさんだと言いたくなる気持ちもわからなくはない。
だが、それでも西村は藤枝が年齢で考えるような印象とは違っていた。
ちょいちょい、と付け合せの人参をたべては甘いと呟いた西村は、ストレートに藤枝の仕事に興味を示した。
「それより、藤枝さんのお話を聞かせていただいていいですか?ああいうインタビューにもいらっしゃるんですね。てっきりニュースを読んでらっしゃるような方はずーっとスタジオの中にいるのかなって勝手にイメージしてました」
「行きますよ。街角グルメにも出てましたし。報道に移ってからは減りましたけどね」
「カメラの前って、どんな感じなんですか?」
「どうって……、もう慣れちゃったからなぁ」
ビールを頼んでいた藤枝が、一緒にどうかとすすめると、西村は軽く手を挙げて首を振る。遠慮をしているのかと思ったらなんとも、恥ずかしそうに西村が断りを口にした。
「ごめんなさい。私飲めないんです」
「えっ!めっちゃ飲めそうですけど」
「よく言われます」
怒るわけでもなく笑いながら応じた西村は、こんな見た目ででしょ?とおどけて見せた。昼の間に、仕事のことはインタビューしたのだが、所詮それは上辺のことだ。
こうして話していると、昼間の印象とは全く違って見える。
「西村さん、昼間はもっとばりばりした印象でしたよ?」
髪は下ろしていて、コンタクトだったかもしれないが今よりももっと張りつめた印象で、インタビューの間も、理路整然としていた。
その西村が今はなんだかひどく面白い。
「バリバリしてました?ガツガツしてるとはよく言われますけど」
「ガツガツ?!」
「何か?」
―― ここでもガツガツかよ?!
「い、いや……」
戸惑っているというか、歯切れの悪くなった藤枝に西村が勘違いしたらしく、申し訳なさそうにしてしまう。
「すみません。ガツガツって印象悪いですね……」
「あああ、違います、違います。俺のというか、こっちの職場の同期にもガツガツと言われてる奴がいるんですよ。なので、ちょっと似てるのかなって勝手にちょっと思っちゃいました」
「そうなんですね。どんな方なんですか?女性?」
ほっとしたのか、それに食いついてきた西村に藤枝は、ああ、と視線をおとしてグラスに手を伸ばした。