月の話をしよう 1

ほのかに甘い香り。

大祐の腕に頭を乗せて、無防備に眠る人の香りに嬉しくなって妙に軽い腕をかき抱くように動かした。

―― リカ……。会いたかったんだよ

呟いた大祐に目を閉じているその人は、猫のように摺り寄ってくれたふわふわの感覚に可愛くて、かわいくて仕方がなくて、その人にそっと近づいてふわふわの髪に顔を寄せた。

そうっと柔らかく吸い付いて、ちゅ、と小さな音をさせる。
眠る前は、ひどく緊張して、大祐の腕に抱きしめられるまで、かちこちに強張っていたのに、腕の中で少しずつ解けて柔らかくなって、熱くて、甘くて、愛しくて夢中になった。

眠るのが惜しいくらいだったが、ずるずると睡魔に引きずり込まれた大祐は、いつの間にか眠っていたらしい。

甘い香りでうとうとしていたところから意識が戻ってきたようだ。

「リカ……」

ピピピ、ピピピ。

寝起きを愛しい人の声で、と思った瞬間に電子音が聞こえて、今度こそ本当に、ぱちっと目を開いた。

「あ……」

そうだった。

リカが松島に来た時に、甘い香りは柔軟剤のおかげなのだというのを聞いて、一緒に買いに行って、リカが洗濯をしてくれたおかげで、同じ香りが布団の中いっぱいに溢れていたからかもしれない。

うわぁ、と頭を搔きながら上半身を起こした大祐は、Tシャツにショートパンツ姿で情けない顔になった。

「……まあ、生理現象ってことで……、リカさんには内緒だな」

はぁ、と情けなさを深いため息とともに吐き出して、立ち上がった大祐はカーテンを開けて明るくなった外を見てからシャワーに向かった。

大祐の風呂は、カラスのなんとかというくらい早い。これもいつの間にか身に沁みついた何とかというやつだ。
バスタオルを体に巻いて風呂から出てきたところで、目覚まし代わりの携帯がまた鳴っていることに気づいた。

手を伸ばした瞬間、目覚ましではないとわかって、苦笑いを浮かべながら通話にする。

「おはよう」
『おはよ。眠いです』
「ははっ。寝起きは悪くないんじゃなかった?」

いつもそういうリカの寝起きがよかったことはないのだが、リカ本人は寝起きがいいと思ってるらしい。電話の向こうでは、不機嫌そうにいつもより、一段低い声が聞こえる。

『仕方ないの……』
「何が?」

昨夜、リカが帰った後、無事に着いたからと電話をもらってお休みを言ったのが数時間前だ。

『眠いのは……。そっちから帰ったときは、なかなか眠れないから……』

だんだん声が小さくなるところから、きっと今頃、電話の向こうでは少し不機嫌そう、というより拗ねた顔で膝でも抱えているのかもしれない。
そう思うと、かわいくて自然と口元が緩んでしまう。

「うん……。そうだね。俺もだよ。でも、一週間の始まりだよ?今日のリカさんは?」
『今日は……暑い。まだ五月なのに……』
「ああ、そうだね。急に暑くなったよね。ロケとか外に行くなら気を付けて」
『……ん、はい。大祐さんも頑張って』

眠そうな声に二度寝しそうなリカを励ましてから電話を切った。

眠いといっても、リカの寝不足とちがって、大祐のそれはだいぶ違う。まあ、男だから仕方がないといってもリカなら呆れ羅顔で睨みつけられそうだ。

それでも昨日、というより、数時間前まではこの部屋にいたリカの残り香に苦笑いを浮かべながら大祐は、支度にかかった。

「おはようございます」
「おはようございます。空井一尉……あれっ」
「ん?」
「……いえ」

通りすがりの隊員とすれ違ったところで、大祐が振り返った。妙に笑いをこらえた顔で、なんでもない、と手を挙げた隊員が足早に去っていったのを見て首を傾げた。

「おはようございます」
「おはよう。……空井」
「はい?」
「いい週末だったみたいだな」

にやっと意味ありげな視線に首をひねった空井を渉外室の隊員が背後から羽交い絞めにした。

「うわぁっ!」
「マジだ!」

いつの間に姿を見せたのか、渉外室の隊員たちがそろって大祐の背後から取り囲んでいた。男たちによってたかって掴まれた大祐は、まるで広報室にいたころの片山のようにぐいっと大祐を締め上げる。

「な、なんですか!やめてくださいよ!」
「この~!なにがやめてくださいだ、くっそー。あの美人の嫁さんといい思いしたなっ」
「なっ……!」

苦しくて、掴まれた腕を振りほどこうとした大祐を、男たちが顔を寄せて取り囲む。

―― なんでそんなことを……っ

週末リカが来ていたことはさすがに知られていないはずと思っていたのに、急に何を、と思っていると、山本が手を挙げた。

「おいおい。その辺にしておきなさい」

何度も掴みかかる腕をタップしているのに、少しも緩もうとしない。その腕がすこしだけ、緩んだ。

「そ、なん、で。……ごほっ!」
「だって、室長!こいつ、週末はさんですっげーいい匂いさせてるなんてもうダメっしょ!」

―― あ……!しまっ……

夢に見るほどの甘い匂いだが、一緒に洗濯してしまえばほかの服にも下着にも香りは移る。制服はその前に洗ってアイロンをかけておいたから、香りがするとは思っていなかったが、部屋の中も下着も同じ香りがすれば制服から香っても仕方がないだろう。

「さぞや、いい思いしたんだろ!このやろーっ」
「たまんねぇな!あ~!稲葉さん、かわいかったなぁ!」

緩みはしても、男たちの腕が離れることはなく、くんくん、と匂いを嗅ぐ彼らを力いっぱい大祐が振りほどいた。

「いい加減にしてください!!もう!いいじゃないですか、結婚してるんだから。それに、休みの時くらいどうしてたっていいじゃないですか!」
「そんなわけねぇだろ!」
「そうだ!いいか、包み隠さず何していたか報告せよ!」

半分おふざけだろうが、半分は真剣な顔に大祐はとてもじゃないが、今朝の夢の話などうっかり口を滑らせるわけにはいかないと思った。

投稿者 kogetsu

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