「それで、今週は俺がそっちに行こうと思うんだけど」
『いいの?』
「いいのって何が?」
耳元から声か聞こえてくることがこんなに嬉しいなんて、思う日が来るなんて。
部屋の中を携帯を持ちながら動き回る空井の顔を見たら、きっと比嘉や片山なら笑い出すかもしれないくらい、緩んだ顔は幸いなことに誰にも見られていない。
『毎週会えるのは嬉しいけど……、空井さん。大変じゃないですか?』
「リ・カ・さん?」
『あっ……えーと』
まだ大祐の名前を呼ぶことに慣れていない新米奥さんであるリカがつい、名字で呼んだことを指摘すると、電話の向こうで慌てた気配がした。
―― もう自分も空井さんなのに……
職場では旧姓で通していることもあって、なかなか慣れないでいるリカにいいよ、と呟いた。
「それでね。リカさん。俺が会いたいから行きたいんだけど、ダメかな」
『駄目なんてそんな……』
「じゃあ、いい?俺がその部屋に行きたいんだけど」
駄目押しをすると、何やらぶつぶつと小さく呟いていたが、しばらくして文句ともなんともつかない返事が返ってきた。
『大祐さん、すぐそうやって!』
「ん?」
『私がっ、動揺するの、楽しんでるでしょう!』
くすっ。
ばれたか、と思いながらもそこは正直に言うところではない。
そんなことはないよ、と言いながら週末の予定を確かめる。急いで終わらせて、急いで仙台に向かって。
気持ちはもう週末に向かいそうで、気持ちが跳ねるような自分に笑いそうになった。
はやる気持ちを抱えていると一週間というのはあっという間に終わるものらしかった。
気づけば金曜日で、大祐は時計を気にしながら仕事を片づけて、時間になるとぱっと席を立つ。
「お先に失礼します!」
「お?おう、おつか」
れさま。
周りの隊員たちが言い終わる前に渉外室から空井の姿は消えていて、あきれる声とちくしょーという声が後ろから聞こえてきたが空井には構ってられなかった。
着替えて車に乗り込むと、荷物は積んである。
少しの着替えなら、リカが部屋に置いてくれるようになったので、持ち歩かなくてもいいくらいなのだ。
時計を睨みながらも安全運転、と呟きながら車を走らせる。
最近、コマーシャルで耳にした曲が車のスピーカーから流れてくるのは、リカが好きだといっていたから試しにダウンロードしてみたからだ。
無意識にその曲を口ずさめば、焦る気持ちも少しだけ落ち着いて、曲のテンポにつられるように踏み込みたくなる足が緩む。
仙台市内に近づくにつれ、渋滞があちこちでおきていたが、狭い抜け道を駆使して大祐は駅ビルの上の駐車場に滑り込んだ。
車を止めてキーを掴むと、足早に下の階に降りる。帰宅時間の人の流れにそってみどりの窓口に駆け寄った。長蛇の窓口に並ばず、自動券売機の端末にカードを押し込んで、一番早い新幹線を選んだ。
吐き出されたチケットを手にして、改札に急ぐ。掲示板をちらりと眺めてエスカレーターを上った。
ホームについていくらもしないうちに長い鼻先を見せた新幹線に乗ってしまえば。
―― よし!
あとは少ない停車駅をやり過ごせばきっとリカが東京駅まで迎えに来ているかもしれない。
「……はは、俺、どんだけ舞い上がってるんだか……」
どちらかといえば、大祐が東京駅からリカの職場まで迎えに行く可能性のほうが高いはずなのに、浮かれた頭はどこまでも呆れられそうなくらいテンションが高かった。
そうはいっても、怒涛の勢い、といってもいいくらいな大祐とリカの結婚からいくらもたっていない。指輪をすることにもまだ慣れないくらいなのだから、何もかもがいっぺんに押し寄せてきていて、浮かれるなといってもどうしようもない。
自販機で買ったお茶を一口飲んでから大祐は目を閉じた。
「ちょ……。大祐さんっ」
「ん?」
「こ、これじゃ動けません」
耳まで赤くなっているリカの背後から両足の間にリカを座らせて両腕で背後から抱きしめる。持ち帰った雑誌を整理したいというリカに、どうぞ、といった大祐はさっきからこの体勢のままだ。
「そう?そんなに強くしてないつもりだけど、苦しい?」
「苦しくはない、けど……」
「んー?」
華奢な肩の上に顎を軽く乗せて、ピアスをしたままの耳のふちを軽く噛む。
結局、東京駅に着いた後、大祐がリカを迎えに行って、一緒に食事をしてからこの部屋に帰ってきた。
それからずっとこんな風だ。
「ひゃっ」
「ピアス、見たことない奴だ」
「あ、新しいやつ……」
「可愛い」
リカはピアスのネックレスもするが、ブレスレットも指輪もあまりしない。理由を聞いたら、仕事をするときに邪魔なのだそうだ。
結婚指輪だけは別物だということらしいが、婚約指輪もいらないと断られてしまったときに聞いた。
「大祐さん、あの、ちょっと変、ですよ?」
しどろもどろのリカがかわいくて、姿勢はそのまま、ふっと笑った。
「そんなにへん?」
「変でしょっ、だって、こんな風にべったり……」
「先週もこうだったよ?」
松島にリカが来た時も、部屋の中にいる間はリカにべったりだったはず、というと、リカからの否定はなかった。
それはそれで、我ながらどうかと思いはするが、大祐はそれでもいいかとどこかで思っている。
「大祐さんっ、あ、の……」
リカが着ている部屋着は肩が大きく開いていて、白い首筋がきれいに見えていた。顎を乗せていた肩から首筋に唇を寄せると、びくっと肩を竦める。
「あ……、弱いんだ?」
ぞくっとした感覚が伝わってきて、頭の中で思ったことを無意識に口に出してしまう。
途端に、さっきまでと違って、本気で大祐の腕に細い腕が強く押しのけようと突っ張った。
「ごめ……、リカさんっ」
「離してください!もう……!片山さんが空井は思った以上にって言ってた通り……っ」
「え、何を?」
急に片山さんの名前が出てきて、腕が緩んだ隙にリカが逃げ出して、テーブルの傍へと移動してしまった。
それでもまだ頬も首筋も真っ赤なままで、大祐とは目を合わせようとしない。
「ね、リカさん。片山さんが何を言ったんですか?」
「それは、その……大祐さんが……だって……」
「え?」
肝心なところが聞き取れなくて、問い直した大祐に、こちらも意地になったリカが叫ぶ。
「だから!だ、大すけべだからって……!それは片山さんじゃないかって言ったんだけど、これじゃほんと……っ!」
リカの手首を掴んで、身を乗り出した大祐はあっという間にその唇に触れた。
唇を唇で柔らかく啄んで、下唇をぬるりと舐める。
無意識にため息を吐き出した狭間からちゅ、と音をさせて離れた。
「俺も男だから。だめ?」
まっすぐにリカの目をのぞき込む。
答えを待つよりも先に、動揺したリカの手を引いて抱き寄せた。
「……おかしいかな。俺、浮かれてるかもしれないけどでも、こういうのもいいかなって思う。何度も、夢ではこんな風に抱きしめたけど、リアルにリカさんの甘い匂いとか、この部屋にいるとなんだか夢みたいだなって」
夢よりも現実のほうが夢じゃないかと思うくらい、甘い。
―― 抱いていい?
慣れるには気恥ずかしいくらいの女性の部屋で、慣れないというには何度か足を運んである程度の場所を把握しているこの部屋にいると、抱きしめずにはいられない。
直接的な言葉ではあったが、抱きしめた腕の中の人が大祐の背中に腕を回してきたのを感じて、大祐は抱きしめる腕に力を込めた。