短い眠りは夢を見やすい。東京から帰る新幹線の中で大祐は夢を見ていた。
『ねぇ、大祐さん』
甘えるようなリカの声に大祐は自分が小さく唸った気がした。
その自分自身の寝言のような声にはっと目を覚ますと、もう福島を過ぎていることに気づく。真っ暗な中でも光とそれを遮るトンネルを抜けて、間もなく到着を知らせるアナウンスにため息をついた。
ほんの少し前までは東京にいて、離れがたい気持ちをもてあましていたというのに。
わざと早めに部屋を出て二人で街を歩いていた。なかなか、服を買うこともないので選んでといって、見て歩いた後、リカの部屋に置いてくれるように頼んだ。
「荷物になってごめん」
「全然平気。このくらい、私の買い物より少ないし」
「リカさんが買い物するときはもっと?」
ぎりぎりまで持つといって、大祐はほ手荷物と一緒に手にした紙袋を抱えている。
そうねぇ、と呟いたリカは、くさくさした時とか、といって手振りを示した。
「こんな感じで、わーっとまとめて買い物しちゃうかな。洋服は特に。ワンピとかたまーにどーしてもこれ!っていうのはあるんだけど」
「意外だ。リカさん、割とこれって決めてそうなのに」
今日の買い物も、これとこれ、とテキパキ薦めてくるリカの言われるがままに着せられて、特に嫌でもなかったために素直に頷いた。
ごくたまによ、といったリカの肩にかけたバッグを握る手に指輪が光る。
―― あー……。このままホテルの部屋にでも閉じこもって抱きしめたいなー
馬鹿な煩悩と言われればそれまでだが、うっかりするとそんなことが頭をよぎる。
「大祐さん?」
「……」
「……大祐さん?きいてる?」
「えっ?あっ!ごめん、なんか、ちょっとぼーっとして……」
慌てて言い繕った大祐の腕をちょい、とリカが引いた。はっきりと顔が曇る。
「……無理してませんか」
「……何が?」
「なんでもないです」
ふっと俯いて黙り込んだリカに慌てた大祐は足を止めた。
日曜日の歩行者天国の道路の端で、リカの顔を覗き込む。
「リカさんに会いに来るのは当たり前だから何も無理はしてない。今日だって俺がわがままを言って買い物に来たけど、俺のほうこそ無理させてる?」
ふるふると首を横に振ったリカの手を握りなおした大祐は軽く手を引いて顔を上げさせた。
「そんな顔しないで。何か美味しいもの食べようか。リカさんのほうが詳しいよね?何かおすすめある?」
無理をさせたいわけではない。
そんな気持ちはリカにも伝わったらしい。気を取り直したリカがお勧めのタイ料理に大祐を連れて行き、その辛さに涙目になりながら新幹線の時間まで過ごして。
新幹線のホームまで送ろうとするリカを荷物があるからと、先に地下鉄の改札の中に送り出した大祐は、一人、人混みを避けながらこうして新幹線のシートに収まっている。
大きな荷物を抱えたサラリーマンや旅行客の後ろに並び、停車したホームに降りるともうそこで空気が違った。
もう東京は暑いくらいだったのに、こちらは夜のせいもあってか、ひやりとする。
駅ビル側の改札を出て、車を止めてある屋上に向かう。あいているのはいつも出入り口から遠い場所だが、その分気が楽で、ほとんど止めている車の無くなった駐車場をひたひたと歩く。
エンジンをかけてゆっくりと車を動かした。
仙台駅から大祐が住む場所までいくら夜間でもそんなに無茶な運転はできない。
それなりの時間はかかるが慣れた道を流すのは嫌いじゃないのだ。
ますます東京から離れたことを実感するような暗い道を走らせて車を止めたころにはもう時計の針がてっぺんまで向いていた。
着いたと連絡しなければと思いながら車を降りた大祐は、うっすらと遠くに小さく見える月を見上げる。うす曇りなのか、ぼんやり滲んだ淡い光だ。
リカさん。
「……月がきれいだ」
無意識に呟いた瞬間、どこかで振動音がして、大祐はポケットから携帯を取り出した。
誰からだと思うこともなく通話ボタンを押す。
「ただいま」
『……おかえりなさい』
「いいタイミング。今、車止めて電話しようと思ってたとこ」
耳元で聞こえてくる声はついさっきまで聞いていたはずなのに、妙に遠さを感じた。
「リカさん」
『はい?』
「リカさん」
『……なんですか』
そういえば、リカが何か言っていた気がする。
「月がどうしたって言ってたっけ」
『え?』
「なんか、リカさんが月に何したっけ」
電話の向こうでしばらく間が空いてから、妙に優しい声が聞こえた。
『それはね。”空井さん”と話したくなって、勝手に話しかけてるってことです』
「あー、うん、それ。今、見える?」
『月?』
そう。俺。俺が、月に向かって話しかけるとかしてたらおかしくない?
そんな風に言ったら、どうするんだろうと大祐が思うよりもずっと、電話の向こうの声は変わらずに優しかった。
『今、見ました。ちょっと雨でも降りそうな感じ』
「ああ。そうか。そうだね。リカさんすごい」
よくわかるなぁって感心したら、少しだけ叱られた。
『情報番組って侮れないんです。きっと、大祐さんが考えているよりも私も情報、たくさん持ってるから』
少しだけ強い口調で叱られたから、素直にごめんなさい、と大祐は返した。
それからしばらく、月を見上げたままリカと電話で話していたら、もう一度小さく叱られた。
『いい加減、部屋に入ってください。そっちはまだ寒いんでしょう?それに近所迷惑です』
「確かにそっちよりもずっと寒いけど、近所迷惑はひどくない?」
『ひどくないでしょ。本当に静かだから、いつも夜は』
意味深にも捕えられそうなリカの言葉を聞いたら、大祐の周りにいる隊員たちなら即ツッコミを入れそうだと思った。
でも、それを言ったら絶対にリカには怒られそうな気もする。
いつもリカは気にするよね。
何を言ってるんですか、って本気で怒る気がして一瞬だけ迷ってから大祐は正直に口にしてみた。
「いつもリカは」
『それ以上言ったら怒ります』
「……ごめん。俺、なんかおかしいね」
『おかしいのが普通だから。大祐さんたちはいつもそんなこと言ってるんでしょう?』
そこは違うと否定してほしいところだが、それも間違っていないから、仕方がない。大祐はゆっくりと靴音を響かせながら自分の部屋へと向かう。
部屋に入って、荷物を放り出して、着替える、というには明らかに面倒くささが勝った大祐は服を脱ぎ捨てて、そのままベッドにもぐりこんだ。
「リカさん。もう寝ないと」
『大祐さんが寝るなら私も寝ます』
「えっ、そういうこと?」
驚く大祐に耳元で呆れた声が聞こえた。なんだかおかしいですよ、とリカの声はどこまでも優しい。
本当なら自分のほうがもっとリカに優しくすべきなのに随分優しくしてもらったな、と思う。
「リカさん」
―― また会いに行くよ。どこからでも……
お休み、という声を聞いてもなかなか切りがたい電話を切って。カーテンの隙間から小さな月に照らされて、大祐は目を閉じた。
—end