「稲葉さん。誰が面倒で、どうなんですか?」
「それは、その……、空井さんが……」
「……俺?」
さらりと俺、という言葉が口から出る。
はたから見ればどっちもどっちだといわれそうだが、リカが目力に弱いのはなんとなくわかるようになった。
だからこそ、頬に手を添えてリカの視線を逃がさないように自分に向ける。
―― ロックオンってこういうことだよな
「ごめん。前言撤回」
「空井さん?」
ふーっと息を吐いて、気持ちが鋭くなりすぎないように調整したつもりでも、やはり目が鋭くなった気がした。
鼻先が触れそうなくらい近くでのぞき込んだリカの目の奥が揺れる。
背中にぞくっとやばいものが走った気がした。
「だ、だって!私、全然女子力も高くないし、料理だって」
「俺が結婚したいのは丸ごとの稲葉さんなんです。稲葉さんの女子力でも何でもない」
「でも」
一瞬だけ、触れて離れた柔らかな唇に名残惜しい気がして視線が向かう。
―― ああ、もう全然変わってないじゃないか
不器用で、一生懸命で、一番、自分のことをわかってない。
「稲葉さんの幸せは稲葉さんのものだけど、俺が欲しいのは丸ごとの稲葉さんなんです」
「空井さ」
もう一度キスして、今度はその唇を小さく出した舌先で舐める。無意識に開いた隙間に滑り込ませるとお互いに閉じていない目の奥をのぞき込んだ。
「稲葉さん。……抱きたい。今すぐ抱いて、そんな余計なこと考えられないくらいぶっ壊したい」
「……!」
一瞬でリカが身を固くしたのを感じ取る。
―― そーだよなー……。いくら前言撤回しても程度があるよな
諸手をあげてリカから離れた大祐は、ソファの上で端に引いた。
「ごめん。脅かしすぎました」
「……え?あ、え?」
目を丸くしたリカに笑いかける。それでも怖いかなと立ち上がった。
「えーと、今のは気にしないでください。稲葉さんもほら。ジャケット脱いでリラックスしてください。変な意味じゃないけど、お風呂とかも」
「あ!今、用意するので空井さん、先に使ってください」
「いえいえ。なんなら僕が用意しますよ。泊めてもらうんだしそのくらいはさせてください」
ワイシャツの袖をまくって、何度目かでわかっている風呂場に向かう。リカが慌ててその後を追いかけた。
「空井さん、空井さん!スーツ、汚れちゃうし」
「あ、そっか。失礼しますね」
靴下を脱いで裸足になるとさっさとバスルームに湯を張る。
さっと流してスイッチを押すと、ざーっと湯が流れ出す音がした。
「空井さん!」
「はい?」
ぐいっと腰のあたりを引っ張られて振り返ると、ずいっとトレーナーを差し出された。
たたまれているが、どうやらスェットの上下らしい。
「これ!使ってください。空井さんに使ってもらおうと思って用意してたんです。サイズとか……よくわからなかったのであわなかったらごめんなさい」
「え」
今度は大祐のほうが豆鉄砲でも食らったような顔になる。
「次に空井さんがこちらに来てくれた時は、泊まってもらおうと思ってたんです。着替え、持ってくるのも大変ですし、このくらいおいててもらってもいいと思って!」
「あ……りがとうございます」
「どういたしまして!というより、次からはわざわざお誘いしませんので。うちにいらしてください」
そういってくるっと身をひるがえしたリカが部屋のほうへと戻っていくのを見ながら大祐はその場にフリーズしてしまう。
―― ほんっと……、負けず嫌いなんだから……
苦笑いを浮かべて動き出した大祐は、リカにぐいっと押し付けられたスェットをバスルームの前の洗濯機の上に置いた。
独り暮らしのレイアウトなので、脱衣所らしい場所はない。代わりにバスルームの前はトイレのドアが奥にあるのと洗濯機、そして、タオル類の置いてある棚があった。
そこにジャケットを脱いだリカが足早にやってくる。
「これも!洗濯ネットですが、く、靴下とか、下着とか洗濯しますので!気にせず入れてください」
ぐいっと差し出された新しいらしいそれを思わず受け取る。一緒に洗います、という主張に大祐は手のひらを口元にあてた。
「やばい……。嬉しくて、すごいにやけます」
「このくらいでそんなこと言わないでください!」
「このくらいじゃないです。すごいです。なんかもう、嬉しすぎて」
少しだけはにかん笑顔を向けたリカとむきあって笑う。
それからお言葉に甘えて、と大祐は先に風呂を使わせてもらった。