「さて」
店を出て、ひとまずお茶をすることにして、大祐はリカを連れてホテルのラウンジに向かった。その違和感に何かを考えたリカはテーブルにペーパーバッグを置いた。
「次は何ですか?」
「何がです?」
「空井さんの計画です」
きゅっと口元を引き結んだリカにふっと大祐は笑った。
「残念。驚かせようと思ったんですよ?」
「驚かせようって……」
「黙ってましたが、さっきばれちゃいましたからね。昨日、午後にこっちにきて店を回ったんです」
やっぱり、という顔をしたリカに大祐は腰から長財布を取り出した。
「それで、次ですけど……これ」
「え?」
財布から折りたたんだ白い紙を取り出した大祐がリカにそれを差し出した。
「もう、想像つきますよね?」
折りたたまれた紙がなんであるか、予想はついた。
だから、ただのカフェではなく、わざわざホテルのラウンジにしたのだろう。
「空井さん、私がペンもハンコも持ってなかったらどうするつもりだったんですか?」
「その時は……。なんてね。稲葉さん、習慣で必ず鞄にペンもハンコも持ってるっていってたじゃないですか」
ぐ、っと言葉に詰まったリカはふう、と息を吐くと隣に置いていたバッグの中からボールペンとハンコを取り出した。
かさと折りたたんだ紙を開こうと手を伸ばす。
「あ!待って!」
「え?」
「あの、やっぱり先に話しておきます!」
そういって、かさっと開いた結婚届にはすでに承認の欄に署名が入っていた。
「ちょっ!!」
「あの!二週間前なんですけど、鷺坂さんが急にきて、これを置いていったんです」
『お前らのことだからいきなり結婚するって言ってもこういうことには色々手続きが必要なのを知らないだろう?』
署名の欄に、鷺坂の名前となぜか阿久津の名前まで入っている。目を丸くした大祐にぐいっと押し付けた。
『いや、あの、確かに稲葉さんとは』
『あ、これ控えね。もし書き間違ったら訂正印でも大丈夫だけど、そういうのはちょっとねぇ。だから、うっかり書き間違えても大丈夫』
『……ありがとうございます』
さすがにそれは用意周到すぎるだろうと思ったが、好意は好意として受け取っておくことにした。
「なので、実は2枚あります」
「……ぷっ」
「……っく」
顔を見合わせているうちに徐々に笑いがこみあげてきて、お互いの目が笑っていることに気づくともう耐えられなくなる。
「あはは、予備って、控えってなんですか!」
「そんなのありかって思いますよ」
ひとしきり二人で笑いあった後、笑いをひっこめたリカは、テーブルの上に婚姻届けを広げて丁寧に折り目を伸ばした。
大祐の名前の隣に、自分の名前を書く。
ハンコに手を伸ばしてから、ふと一瞬手を止めるとペーパーナプキンをその下に敷いて丁寧に判を押す。
「はい。できました」
「……はい」
「空井さん」
「はい」
ぱちん、とハンコとペンをしまったリカが姿勢よく座りなおした。
「不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」
「あ、あ、こちらこそ!よろしくお願いします」
つられるようにして頭を下げた大祐は、あれ、と目だけを上げる。
「あの……これ、えと、僕だけじゃなくて稲……リカさんも“空井さん”なんじゃ……」
「ま、まだ受理されてないですもん!」
「じゃあ、今から行きましょう。婚姻届けは24時間受け付けてくれるんです。区役所の場所も調べてきました」
「はい?!」
「急ぎましょう」
そういって、目の前の少しぬるくなったコーヒーを一息で飲み干す。アイスコーヒーを頼んでいたリカが慌てて、ストローに口をつけた。
その間に、大祐は丁寧に結婚届を折りたたむと、再び長財布に戻す。そしてペーパーバッグの中を覗き込んだ。
「これは、届を出してからにしましょう」
「あ、はい」
「じゃ、いきましょうか」
リカのグラスが空になるのと同時に立ち上がった大祐は伝票を手にレジへと大股に向かう。席を立ったリカは、自分のバッグとペーパーバッグを手にしてその後を追いかけた。