朝になっても苦い思いは変わらなかった。
帰り際、PCから抜いたDVDが重い。
席に座っても、お腹のあたりにある引き出しの中から出せと主張されているような気がして、椅子を少し下げると、引き出しから真っ白なDVDの入ったケースを取り出した。
「おはようございます。空井二尉。なんですか?それ」
「おはようございます。なんでもないです、なんでも」
隣に座った比嘉から声をかけられた空井はPCの脇にDVDケースを押し込んで誤魔化した。
穏やかな笑みの比嘉の視線はまだ問いかけている気がしたが、モニターに視線を向けることでそれに気づかないふりをする。
胸苦しさはなくならないものの、気づかないふりをしていれば何とかやり過ごせるはずだ。
昼休みが終わって、いつもならリカが広報室に姿を見せていた時間になると、あちこちでさりげなく壁の時計に視線が向いた。
もうリカはここに来ることはないのだとわかっているからこそ、ちらっと時計に視線が向いた後、流れるように空井の背中に視線が向く。
今日一日、何度もDVDケースを手にとっては同じ場所に戻していたことも皆気づいている。
ポケットの中の携帯が震えて、空井はポケットから携帯を取り出した。
見る見るうちに顔色が変わる。
仕事の連絡も個人の携帯を使う彼らだが、今の広報室の中で皆の意識は空井に向いていた。
「……っ!」
がた、と真っ青になった空井が広報室から飛び出していくのを驚いて皆が見送る。室長室から顔を覗かせた鷺坂も怪訝な顔でそれを見送った。目線で比嘉に問いかけるが、小さく頭を振っただけである。
しばらく待っても戻ってこないことに我慢がならなくなった片山が立ちあがった。
「もう我慢できん!」
勢いよく立ちあがった片山は、空井の席に行くと勝手にPCを触りだした。片山の席からも空井が何度もDVDを気にしていたのは見えている。それをPCに押し込んだ。
『組織のくくりでしか見ようとしないんですか!』
いきなり流れ始めた映像に部屋の中の視線が集まる。そこには、聞きなれたリカが、同僚に止められるのも聞かずに誰か、男性社員らしい男に食って掛かっている姿だった。
『そこで働いているだけの人たちなんです!』
映像は言い返される姿の先に、思わせぶりな叱責を受けて、怪訝な顔をしているリカが藤枝につれだされるまでが納められていた。
広報室の部屋の中がしん、と静まり返った。
空井にはわからずともほかの面々には、リカが帝都テレビで置かれている立場が手に取るように分かった。あの含んだような物言いからリカがどう思われているのか、想像するに難くない。
「……の馬鹿っ!余計なこと言わずに大人しくしとけばいいのに!」
柚木が舌打ちしてやりきれない思いを口にする。二人で飲みに行くほど親しくなったリカが、どういう想いを抱えていたのか知っている。中学生みたいな二人がうまくいけばいいとは思っていた。
そして、それと同じくらい仕事に対しても、一生懸命だったことも。
なのに、それがこんな風に好奇の目にさらされ、誰一人、守る者のいない場所でたった一人で戦っていたのかと思うと、奥歯を噛みしめても辛い。
こんな内容だったとは知らずに再生してしまった片山が動けなくなっているのを見て、ため息をついた比嘉が隣から手を出してDVDをケースにしまった。
「これは、僕らが見ていい内容じゃありません」
その一言が広報室の中に、知らぬふりをするようにと暗黙の同意を求めていた。
真っ暗になったモニターを睨みつけていた片山にだめ押しをしようと比嘉が口を開きかけたところに、ようやく動揺を納めた空井が戻ってきた。
「片山さん、なにやって……」
「空井!」
自分の席で何をやってるのかと言いかけた空井の胸元を片山が掴んだ。
「携帯出せ。何の知らせだ」
「何のことですか、ちょっと。やめてください」
「うるせぇ!メールだろ?なんかまた来たんだろ?お前が今、顔色を変えるとしたら稲ぴょんのことだろ?!」
嫌ですよ、という空井との攻防を見ていた鷺坂が一歩踏み出した。
「プライベートに口を出すつもりはないけどね。もし、それが今回の件に関することなら」
すっと鷺坂の手が伸びた。
「見せてみなさい」
嫌なら見せなくてもいい。言外にそういいながら差し出された手に、片山の手をどけようともがいていた空井は、のろのろとポケットに手を入れた。
二つ折りの携帯を開くと一つのメールを開く。
鷺坂の手にそれを乗せようか、乗せまいか、逡巡しているのが見て取れた。
鷺坂も無理強いをするつもりはないと、手を引きかけたところに、固い感触が重たく乗せられた。
視線を足元に向けたままの空井から片山が手を放す。さすがに皆も覗き込むことはせず、鷺坂が読み終わるのを見ていた。
『珠輝です。明日、稲葉さんの作った明日キラリ、放送されることになりました』
スクロールしていくと、社内での噂、リカが外されそうだったこと、阿久津がそれを止めたこと、そして最後に、こう書かれていた。
『もう、稲葉さんに会いに来ないであげてください。稲葉さんが、可哀そうです』
眉間に皺を寄せて読み終わった鷺坂が、ぱちんと携帯を閉じた。
昨夜のうちに阿久津に逢っていた鷺坂は小さく何度も頷いた。携帯を空井に向かって差し出す。
「お前は、お前の仕事をしなさい。それが、いつか誰かを動かすこともあると信じて、自分の仕事をする。必ず、それは誰かに届く」
まっすぐに鷺坂を見つめる目が大きく頷いた。
「はいっ!」
空井は携帯を受け取ると、何度も片方の手で携帯を撫でる。自分にはこうして支えてくれる仲間や上司がいる。
きっとリカにも、メールを寄越した珠輝や、言い争いからひっぱり出した藤枝も、上司の阿久津も、いるはずだ。
今は会えなくても、いつか誰に何を言われても互いに守れるように。
end
はじめまして。pixivでの狐さんのお話が大好きです。「誰も知らない顔」の前のお話がもう読めなくて残念に思っていたところ、プロフィールからたどりつき、一気に読みました。
ハッピーエンドになるとわかっていても、前段のお話は胸が締め付けられて感情移入してしまいました。
素敵なお話をありがとうございます。
pixivの連載も反響大賑わいですね。大変だと思いますが、楽しみにしています。
ぱぱこ様
はじめまして。ありがとうございます。こちらには、今連載中のお話とリンクしているお話も伏線モードで公開中です。
そちらもお話が進んだら、伏線モード解除で公開予定です。
そちらもあわせて楽しんでいただければ嬉しいです。