痛みの在り処 3

結局、週末までの間にリカは企画をまとめ上げた。
東北六県に限らず、復興を目指す企業や店などを取材して次々とメッセージをもらうというもの。

「ふむ。いいんじゃないか?これならあちこちの系列局にも取材の機会があるし、最終チェックは稲葉、お前がやるんだろ?」
「はい。小さな店や復興商店なんかも、地元局の方が情報持ってると思いますし、震災は東北だけじゃないというのも焦点をあてられたらいいなと思ってます」

阿久津の許可も下りて、関係する系列局に依頼する資料も作り上げたリカは、メールで各局に依頼を送った。
場所によっては千葉や近県は帝都でも取材するつもりである。

「珠輝も近場は取材お願いね」
「任せてください!あ、今度、稲葉さんみたいにハンディで取材してみてもいいですか?」
「ええ?それはどうかなぁ」

最近では随分ディレクターの仕事にも慣れてきた珠輝である。大津と一緒にいるおかげでカメラの扱いにも慣れてきたというが、さすがにそれはまだまだ、どうかと思う。
渋い顔をしたリカに、珠輝は頬を膨らませて食い下がってくる。

「じゃあ、じゃあ……坂手さんにもお願いはしますけど、私もハンディ持って行って、撮ってきますから!データ見てくださいね!!」
「どうしようかなぁ~。ま、考えとく」

曖昧に答えながらも珠輝のやる気と成長には嬉しくなる。にこっと笑って、仕事に戻ったリカは自分でも何となく浮上できたつもりになった。
結局、企画が詰まっていたからどんよりしていたが、なんてことはないのだと自分自身に言い聞かせる。

時に、深く、静かに。
蓋を閉めていたのは大祐と叶わなかった約束があったのも大きかった。本当なら、誰かと話をしてもっととっくに認めていたのかもしれなかったのに。

リカの中でそれほど深い傷になっていたことは自分自身でも気が付いていなかった。

週末になって、定時に上がったリカは一度家に帰って荷物を持つと、駅に向かった。
リカが大祐の方へ向かうのは久しぶりだ。

今回は、土曜日に行くと言っておいたのに、金曜日の移動である。
内緒にしておいて、驚かせようと思ったのだ。

仙台駅から高速バスが出ていて、まっすぐに矢本駅まで出ている。それに乗れば21時半すぎにはつく。仙台駅についてから、すぐに軽いキャリーバックを引きずってバス乗り場を探した。

ここからおよそ1時間。
携帯にはメールが届いていて、明日が楽しみだと大祐が送ってきた。さりげなく、何時まで起きているかと尋ねる。

『もちろん、まだ起きてるよ?後で電話してもいいかな』

控えめに送ってきたメールにくすっと笑ってしまう。夫なのに妻に気を使うというより、今、恋人時代を過ごしているようなものだ。
リカの方から電話をすると送ると、窓側に頭をつけて目を閉じた。

うとうとと半分眠ったリカは、矢本につくと目を覚ましてバスを降りた。
タクシーを捕まえようかと思ったが、影も形もない。大体の場所はわかっていると思って、リカはキャリーを引きずって歩き出した。

携帯を手にしてコールするとすぐに相手が出る。

「もしもし」
『もしもし?外なの?』
「うん」

からからとキャリーを引きずりながらなんだか面白くなってくる。

『家に帰るところ?』
「んー。そうね。帰るところ」

―― 大事な人のところに

「今日は、何食べたんですか?」
『今日?んー、ちょっと面倒だったからコンビニのお弁当かな』
「えぇ?大祐さんが?珍しい」
『だって、本当はリカが来てくれれば一緒に食べられたんだよ』

会いたかったのに、と少し拗ねて見せる夫が可愛くて、リカはくすっと笑った。
本当は途中、新幹線に乗る前に駅弁を二つ買っている。東京駅でしか売っていないお弁当である。旅行気分で一緒に食べるのもいいと思った。

「じゃあ、お弁当でお腹いっぱいかな」
『いっぱいでもないけど……。なんだか面倒くさくなって』
「そっか。じゃあ、ちょうどいいかな」
『ん?なにが?』

矢本の駅から官舎はそれほど遠くない。もともと少ないのに、こんな時間はほとんど人通りなどなかった。

「ねぇ。まだ早い時間なのに、そっちはもう真っ暗?」

歩いていると45号線だけは、かろうじて明るいが、一本、官舎の方へ道を入ればあっという間に真っ暗だ。

『そうだね。もうお店があるところ以外はかなり』
「一人であるいたら怖そう」
『こんなところ、一人で歩かせないよ。俺がいるときは……リカ?』

歩いている気配は伝わるのだろうが、いつもの都内の喧騒と何かが違う。さすがにそこは気が付いたらしい。リカのマンションの傍まで来なければこんなに静かにはならないからだ。

『今、どこ歩いてるの?局の近く?』
「今?えっと、部屋のすぐそば」

やっと大祐の部屋のある官舎までたどり着くと、狭い階段を上がる。なるべく、呼吸を乱さないようにとおもっても、片手に携帯、片手にキャリーバックはさすがにきつかった。

「ちょ、ちょっと待ってね」
『え?う、うん。あの、エレベータつかってないの?』

不審げに声を上げた大祐が、まさか、と心のどこかで薄らと期待をしてしまう自分を諌めていると、部屋の前を歩く足音が響いた。

だだっと玄関まで走った大祐がカギを開けて表に出る。あと少しというところで顔を上げたリカと目があった。

「リカ?!」
「やだ。鍵開けて驚かそうと思ったのに」
「なにして……」

驚きと、呆れた顔をしていた大祐がふにゃっと笑って両腕を広げた。

「お帰り」

へへ、と笑ったリカが荷物を放り出してその腕に飛び込む。

「ただいまっ!」
「リーカーっ!」

ぎゅっと抱きしめあった後、互いの顔を確かめ合う。いくら夜で風が吹いているといっても、さすがに汗ばんでいる。それが恥ずかしくて大祐から少し離れようとしたリカをぐいっと大祐が引き寄せた。

「何してるの!もう。いくらここが駅から近くても、都内じゃないんだし、一人で歩いてくるなんて絶対だめだから!」
「だって、驚かせたかったし、駅前なのに、タクシーもいなかったんだもん」

あーっ、もうっ!と呟きながらリカごと荷物の場所まで移動した大祐は、リカの荷物を全部抱えると携帯を部屋着のポケットに入れてリカと一緒に部屋に入った。

「言ってくれればよかったのに!」
「驚かせたかったんだもの」
「それでも!リカは女性なんだから少しは考えて!」

怒りながらも顔は喜んでいて、リカの荷物を部屋の中に持ち込んだ大祐は、振り返ってもう一度リカを思いきり抱きしめた。

「絶対ダメだから!もう二度と!」
「……そんなに怒んなくても」
「怒る!だって、リカになんかあったら俺、生きていけないよ」
「大げさだよ」

ぎゅうぎゅうと抱きしめる腕に多少の息苦しさを覚えながら、背中をタップする。
それでもなかなか離してはくれなかったが、少しずつ腕が緩んだ。

「……ほんとに。明日会えるはずが、今日会えたのは嬉しいけど」
「わかりました。もし次があったらタクシー使います」

ぽんぽん、と大祐の腕を叩くとほっとようやく腕が離れた。
にこっと笑って、荷物の方へとリカが近づく。

紙袋に入っているそれを大祐に向かって見せた。

「これ。東京駅限定のお弁当なの。いつもは売り切れちゃうんだけど、予約しておいてやっと買ってきました。お腹いっぱいかもしれないけど」
「あああ、全然!一緒に食べましょう!……ってなんかすごいの出てきましたけど。あ、すぐ食べる?暑かったんじゃない?先にシャワーしてさっぱりする?」

紙袋の中から弁当を出したリカに驚きながらも、ようやくいつものペースが戻ってくる。
ちらりと時計を見ると10時になるところだった。

「うーん、先にシャワーしたいけど、そしたら遅くなっちゃうし」
「いいよ。待ってる」

ぽん、と頭を撫でられて頷いたリカはすぐにスーツケースを開けた。
着替えやもろもろをひっぱり出すと急いで慣れた部屋の中を動き回る。

「じゃあ、急ぐね」

ごめん、と言ってぱたぱたとバスルームに駆け込んだリカに口をへの字にした大祐が、がり、と頭を掻いた。
不意打ちとはいえ、やっぱり嬉しい。

机の上を片付けて、二つの弁当を並べるとリカの荷物を部屋の端に寄せた。いつの間にか、リカの荷物が少しずつ増えて行っていて、それが楽しくて仕方がない。
それほど多くない大祐の服をしまっておく箪笥にもリカの引き出しができている。

はっと、気づいて、枕元に置いてあるリカの写真をパタパタとしまった。怒られながらも撮りまくった写真が大小の写真立てに並んでいるのだ。
一度、ばれそうになったが、入籍した時の写真を置いているだけでもリカの顔が曇ったのだからこれだけ並べていると知られたらますます怒るだろう。

さーっと流れる水音を聞きながら、まずいものはないかと大祐はもう一度部屋の中を見渡した。

大祐が冷蔵庫からビールを持ってきたと同時にリカがシャワーから出てくる。そこに大祐の姿を見ると、バスルームのドアはすぐに閉められて手だけが伸ばされた。

「……なんで隠れちゃうかなぁ。うちの奥さんは恥ずかしがり屋さんだから」
「ああああ、当たり前じゃないですかっ。そんな堂々なんて……」

きっとバスルームの中で真っ赤になっているのだろう。それがおかしくて、部屋の方に移動したふりをして声をかける。

「気にしないで着替えて。僕は部屋の方に……」
「あ。はい。……っているじゃないですかっ」

一応、バスタオルを巻いてドアを開けたリカがそこにいる大祐に驚いてすぐにバスルームに逃げる。くく、と笑った大祐が、ごめんごめん、と言って今度こそ部屋に戻った。
それでもバスルームの中で何とか着替えたリカは、むぅ、と頬を膨らませてバスルームから出る。

「大祐さんの意地悪!」
「ごめんてば。髪、乾かさなくて大丈夫?」
「うん。食べましょ」

大祐の隣にぺたりと座るとどん、と目の前に置かれた弁当の包みを見る。

「……こうしてみると、こんな時間に食べるサイズじゃないですね」
「まあ、たまにはいいんじゃないかな」

紫色の風呂敷に仰々しく包まれた弁当を開く。プラスチックの容器ではなく、ちゃんとした木のような上下二段。
蓋をあけるとまるで料亭のお弁当のような姿だった。

「うわぁ……重いはずだわ」

小さな器がちゃんとした瀬戸物で、確かに重量はあったがそれにしても……と思っていると、大祐が蓋を戻して、さらに結わえられていた紐を元通りに直した。

「これ、リカの方だけあけようか。冷蔵庫に入れてたら明日も食べられそうだし」
「……うん。とても一人で食べ切れる気がしない」
「リカがそれだけ食べてたら……。安心するかな。お腹減ってたんだねって」

じと、と恨めしそうな顔を向けられて、あはは、と笑うと大祐は自分の分を冷蔵庫にしまって、戻ってくる。
手ぶらの大祐に、リカが見上げた。

「大祐さん、お箸」
「あ……!」

割り箸まで冷蔵庫行きになった大祐は、まいいか、とそのまま腰を下ろした。きれいな箸使いなのに、妙なところで無頓着だ。

「……もう。はい」

ほとんどは一つづつだが、器用に半分にすると箸で大祐の口元に持っていく。
何も考えない行動で、リカはお品書きのこれが……と言っているが、されたほうは、初めて妻の手で食べさせられて目を丸くしていた。

「すごいね。この模様。かぼちゃ?なの」
「う、うん。かぼちゃ、かな」
「煮物もすごいね」

二人そろってお品書きを覗き込みながら、顔を近づけて弁当を覗き込む。少しだけ照れくさそうな大祐にようやく気付いたリカが、ん?と顔を上げた。

「どうかした?」
「いや……。今日は会えないはずのリカにあえて、その上、あーん、ってされてちょっと感動してるとこ」
「……馬鹿」

こういうのは言われる方がはるかに照れる。
あたふたと弁当に視線を戻したリカが落ち着かなくて、ビールに手を伸ばそうとして顎を掴まれた。

そっと冷たい唇が押し当てられて少しだけビールが流れ込んでくる。そっと離れた唇を親指でそっと拭われた。

「……初めてやってみた」

初めて食べさせてもらったから、という大祐にリカは目を合わせられなくなる。

幸せで、嬉しくて。
なのに、なんだか切ない。

「……あれ?」
「どうしたの?」

片目から急に溢れた涙が、自覚しないままで頬を流れた。
慌てて掌で拭ったリカ自身も驚いたが、大祐も急に流れた涙に驚く。

「おかしいな。なんだろ」

片目だけ、まるでコンタクトで異物でも入ったように、涙が止まらなくなる。掌で拭っても拭っても急に溢れた涙が止まらない。

「ちょっとゴミでも入ったかな」

顔洗ってくる、と言って立ち上がりかけたリカを心配そうな顔で大祐が見上げた。

投稿者 kogetsu

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