痛みの在り処 6

嫌だったら言って。

そういって、リカが地図を見ながら、おおよその場所を示し始めると、大祐にもその意図が分かった。
リカが行きたいという場所をすべて聞き取ってから、大祐はペンを出してくると付箋を手にして、リカの希望の場所に張っていく。

「さすがに全部は難しいかな。これと、これは行けるけど、これは無理。そもそも途中の道がどうなってるかわからないあたりだから。夜に家に戻るつもりなら、仙台近郊を回るのが一番かな。集中させた方がいいよ」
「……いいの?」
「何が?」
「いや、あの、行ってくれるの?」

不思議そうな顔になった大祐は、首をひねった。

「なんで?リカが行きたいんでしょ?俺は構わないよ」
「……ありがとう」
「どういたしまして」

カーナビに入れるために手早く場所をメモした大祐はそれをポケットに押し込んだ。二人とも起きてすぐに出かける気ではいたので、服は着替えてあったが、さすがに女性はいきなり出かけるわけにはいかない。
リカが化粧をしている間に、地図を眺めて回る順番を決めた大祐は、お待たせしました、という声に顔を上げた。

「行こうか」

リカと一緒に車に乗り込むと、ブルーの車は慣れた道を走り出した。
滑らかな運転に乗せられて、窓の外を流れる景色に目を向ける。

「……企画」
「うん?」
「企画で、この前の……。復興っていうテーマをどうすればいいのかなって思ってて。私、大祐さんのところに来るたびに、仙台駅の周りとか、きれいになったところと、ヒビが入ったところを補修されてるところと、……まあ、いろんなところを目にするわけじゃない」

顔を外に向けたまま、ぽつぽつとしゃべり始めたリカの話を大祐は黙って聞いていた。

「こうしてきれいになっているところもあれば、いまだに矢本の駅まではバスが代行してるし、ずーっと更地になっちゃってるところもあるでしょう?」
「そうだね」
「そういうのを見てたら……。都内にいるとね、時々忘れそうになるの」

デスクの袖机にはヘルメットと緊急避難用のバックが備え付けられるようになったし、避難訓練も増えた。それでも日常の中ではどんどん色薄くなっていく。

「大祐さんのところに行くんだって思ってて、代行バスとか手段だっていうこともわかってて、それでもやっぱり時々忘れてる。そんな自分が、何を伝えられるんだろうって思うと、怖くなって、何日か前に震災の時の映像を見てきたの」
「……映像?」
「うん。あの時……、大祐さんが二度目のメールをくれる頃までの間、報道のヘルプに回ってたって言ったでしょ?ずっとね。局に回ってきた映像が流せるのかどうか、チェックしてたの」
「何をチェックするの?」

さすがにテレビのことはよくわからない大祐が問いかけると、リカが初めて顔を前に向けた。いっそ無表情なくらいの顔で、淡々と口にする。

「あまりにひどい映像は流せないの。あの時は、各局、全部自主規制が入ってて、流せる映像なのか、流せないのかそれをチェックするの。……たくさん、流せない映像があって……」
「流せないって……。それ、全部見たの?」
「うん。その場にいた大祐さん達の方がもっと辛かったと思う。でも、その場にいないだけで……」

たくさん、たくさんの映像。
空自だけでなく、陸も海も撮影した映像の提供をしたことを知っている。

大祐も自分が直接目にしていなかった状況の映像を目にしていた。それだけでも堪えたが、リカが目にした映像の数を想像すると、何も言うことはできなかった。

―― だから、か。

リカがひどく不安定になっていたのかとようやく得心がいった。

「それでも、ネットにはたくさん流れちゃったけど……。ネットならまだ、見ない選択肢が残されているから」
「……そんなに、たくさん?」

ちらりとリカに視線を向けると、その視線を避けるように、窓に手をついたリカが再び顔を外に向けた。

本当は、大祐が帰営するとふとした瞬間に泣けてくると言っていたことは、リカにも同じことがあった。映像を見ながら放っておいてもいくらでも泣ける。泣いてはいけないとかそういう言葉では押さえられない何かが、自然に傷を治そうとするように流れる感覚を知っていた。

大祐の涙もきっとそうだったんじゃないかと、今でも思うことがある。

「……うん」

ぽつりと答えたリカに、すうっと大祐が息を吸い込んだのが聞こえた。
時間が止まったような気がするほど、のろのろとしか時間が進まず、いつ眠ったのかもほとんど覚えていない。その間、リカからくるメールが、どれほど大祐を癒してくれていただろうか。

そして、リカだけは笑顔でいてくれると思えば、こんな辛い思いをしなくてよかったと思っていたことの間違いにも今更になって気づく。

「……仙台で、鷺坂室長たちと会ったんだ。その時に、リカが本当はくるはずじゃなかったのに、比嘉さんや、柚木さんや、槙さんや……、片山さん達の話を聞いてくれて、来てくれたんだって教えてもらった」
「知ってたの?」

さすがにそれは知らないだろうと思っていたリカが驚いて、運転する大祐の顔を見た。

「うん。教えてもらった。リカなら、きっとって思ったみんなの気持ち、俺もわかるよ」

ついたよ、と言われて、車から降りるるたびに、面影もないくらいきれいになっているところと、そうでないところがあって、どこに行っても、二人とも何も言わなかった。

ゆっくり、リカが行きたいと言った場所以外も大祐は、リカを連れて回った。遠くから回って、少しずつ、松島の方へと戻ってくると、あんな風に嫌がっていたはずなのに、観光エリアに車を向けた。

「ちゃんと、案内してなかったよね」
「えっ?」
「松島。遅くなったけど、何か食べようか」

大きな観光施設の駐車場に車を止めると、リカを連れて、細い通りの歩道をゆっくり歩く。

「何か食べたいものある?」

そう聞かれて、リカは首を横に振った。午後も遅くなったのに少しも空腹を感じない。そんなリカの手を引いて、土産物屋の間にいくつかある蒲鉾屋に立ち寄る。

「自分で焼けるんだよ。やらない?」
「蒲鉾を?」
「そ。ほら。来て」

ポケットから財布を出すと二人分を払って、立って焼けるようになっている台の傍に立つ。初めは顔が曇っていたリカも、大祐の隣に並んで焼いていると、その焦げ具合に、二人であれこれと言い始める。

「やだ、それ、焦げすぎじゃないの?」
「違うんだよ。リカのはもっと焼かないと」
「だって、焦げちゃう」

そんな他愛もないやり取りで、それぞれ気が済むように焼いていると、店員のおばちゃんがくすくすと笑いながら手を添えてくれた。

「ほら、彼氏の方が手つきいいわ。彼女の方はもっとちゃんと焼かないと」
「あ、はい」

ほらね、と自信満々の大祐に悔しそうな顔を見せたリカは、むっとしながらも最後まで焼き上げてぱくっと口にした瞬間、ふわっとした食感に目を丸くした。

「おいし!」
「でしょお。彼女、こっちも食べてみて」

シソ入りやチーズ入りなど違う種類もどんどん勧められて困ったように大祐に視線を送ると、頷いて笑っているので、それぞれに手を出してみる。
いろんな種類があって、冷たいものはまた違う感じがした。

「気に入ったなら買って帰れば」
「いいの?」
「もちろん。どれ?」

じゃあ、といって、小さめの蒲鉾が真空になっているものがいくつか入っているものを選んだ。
自分で出すというリカに、いいから、と言って大祐が支払いを済ませると、ビニール袋に入れられたそれをリカが嬉しそうに手にした。

ありがとうございます、という声を後にして、店を出ると、土産物屋を冷やかしながら、途中で反対側へと渡る。
遊覧船乗り場がある方をゆっくり歩いた。

少しずつ、日が暮れ始めて、町が閉まるのが早いために、どんどん店はシャッターを閉めていく。
観光客の姿も少なくなってきて、夕日になり始めた空が染まりだす。

「リカ」
「ん?」
「企画の話、リカが思ったようにすればいいと思うよ」

手を繋いで歩く大祐の顔を見ると、大祐が穏やかに微笑んでいた。

「あの日、松島に来てくれた時と同じだよ。リカが感じたことをそのまま伝えればいいんだと思う」

それにね、と言いかけて、大祐は何といえばいいのか、考えて、それでも自信がなくて、うまく言えるかわからないけど、と前置きすると、足を止めた。

「今なら、俺があの時、同じように一緒に飛んでくれてたエレメントを勝手に置き去りにしようとしたことが、どれだけ馬鹿だったってわかるけど、後悔しても、取り戻せないのはわかってるから。だから、何度でも言える。俺は、リカがリカだから大好きで、リカと一緒に幸せになる。たくさん、いろんな思いをして、抱えた傷も、たくさんあるけど、それでもリカには俺がいるから」
「……大祐さん」

そのままでいいんだと、言ってくれる大祐に、リカは首を振った。
まだ、できないことがたくさんあって、伝えきれないものやくみ取れないことが多すぎて。

「いろんな人がいて、いろんな想いがあって。それでいいんじゃないかな。一緒に夕日を見たいと思う人がいたりして、それがたまらなく幸せだと思う人がいる」

いつかの朝焼けと同じ言葉を繰り返した大祐を、あの日とは違って、リカはまっすぐに見つめた。

「それに、俺はまだリカのウェディングドレス姿見てないと思ったら、絶対、何が何でも見ないではいられないし」
「……馬鹿」

泣きそうな顔になったリカに、わざとおどけて見せた大祐をくしゃっと顔を歪めたリカが笑った。

はぁ、とため息をついたリカが一歩踏み出すと、大祐を両手でそっと抱きしめる。

「……前とは違うよ」
「ん?」

腕を引いて、リカを抱き寄せた大祐が、肩に手をおいてゆっくりと歩き出す。

この腕に会いたくて帰ってきた自分がいる。

「前は……、一人でなんでもしようと思ったし、しなきゃいけないと思ったし、そのために、一人になることを選んだこともあったけど、今は、違うの。大祐さんに会いたかったし、会って、話して、全部がわからなくてもいいから、一人じゃないって思いたかった」

―― そしたら、変な夢見て怖くなっちゃったんだけど

ぺろっと舌を出したリカが、恥ずかしそうに笑った。夢をみて怖くて飛び起きるなんて、いい年をしてと恥ずかしくなる。
それでも、あれからの日々が夢で、今、大祐の隣にいることが夢だったらと思ったら、怖くなってしまった。

「何度でも言うよ。離れて暮らしてても、俺はリカの傍にいるから。もう二度と、リカも、リカの気持ちも置き去りになんかしない。だから、なんでも言って。喧嘩になっても、それでもいいからなんでも言って。リカが不安なときは、なにで不安なのか、迷ったら、どうして迷ってるのか。全部、俺は聞くから」
「私も……。大祐さんが思ったことはなんでも聞きたい。たくさん、回り道したし、これからもするかもしれないけど、それでも、やっと隣にいられるようになったんだもの」

頷いて、車に戻ると、大祐が悪戯でも思いついた顔で笑った。

「でも、怖いお化けの夢ならいくらでも見ていいですよ?」
「お化けの夢?」
「そ。そしたら、怖い夢を見たら、リカが甘えてくれるならいくらでも」

かああっと赤くなったリカがその意味を察して、顔を逸らした。
つんつん、とその頬をつつかれても、振り返らないように我慢していたのに、何度もつつかれるから我慢が出来なくなって振り返った。

「っ!」

振り返ったリカの目の前には大祐の顔が迫っていて、してやったりという顔で、大祐がキスをする。
目を丸くしたリカに向かって、すぐに離れた大祐がぺろりとリカの唇を舐めて、鼻を掠めるくらいの距離で顔を覗き込んできた。

「ね?やっぱり短いでしょ?」
「……2秒?」
「そ」

もう一度、リカにキスした大祐が運転席に復活すると、シートベルトを締める。

「帰ろうか」
「……はい」

頷き合うと、車は夕日を浴びて走り出した。

痛みだけではない。心のある場所も同じだから。
だから、何度でも。

end

投稿者 kogetsu

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