流れる時間

「自分、その時は東京の空幕広報室勤務でした。取材に来ていた彼女とは仕事だけで、プライベートなんて付き合ってもいない関係でしたし、自分が、一方的に片思いしていたわけです。たまたま、仕事に来ていた松島で彼女から電話をもらったんです。取材してもらったのに、お蔵入りになりかけていたものを放映できるようになったって。挨拶に来たいって言われたんですが、松島に来ていたので明日って約束して」

その後、どうなったのか、それは月嶋にも想像ができた。
明日が明日にならなかった人がたくさんいる。たった今まで、散々惚気ていた空井もその一人だったのかと思うと、先ほどまでの感情を恥じてしまう。

誰かを責められることではないとわからないわけではない。淡々とした口調で空井はハンドルを握りながら続ける。

「あの後は、災害対応に追われているうちに、もとの所属に戻ることよりも、僕は松島基地への異動を選びました」
「じゃあ……、彼女さんは……」
「もう連絡しませんと、それまでのお礼を言って、連絡を絶ちました」

それまでの空井の惚気ぶりからしても、空井がその時、相手のことをどれほど想っていたのか、想像するのは難くない。

「……すみません。私が言うのもおかしいですけど、あの時は、本当にたくさんの人に助けていただいて……。空井さんにも、ありがとうございます」

思わず口を突いて出た言葉は月嶋の家族や、親戚や知人たちだけでなく、誰かの手を借りたすべての人たちの言葉の代弁でもあった。だが、空井は運転の合間ににこやかに首を振った。
礼を言われるようなことではない。当たり前の仕事を下だけです、と言って話を続ける。

「さっきも言いましたけど、ほんとに自分にはもったいないような人だったので、誰か、何かあった時には傍にいてあげられる人と幸せになってくれればとその時はそれが精一杯でした。女々しいですよね」

そんなことは、と首を振って複雑な思いで空井の話に耳を傾ける。あの日、人生が変わった人は被災した人たちだけではないのだと改めて思う。
助けに来てくれた空井のような人達も、当然、大きく変わってしまったことが多いのだろう。
少しずつ市内に近づいてきた車は、夕暮れに染まる街の中を走っていく。

「彼女の事が好きで、変われないまま2年たって。そこに彼女が取材に来たんです。ブルーインパルスが松島に戻った時に」
「え……。2年って……、2年ずっと、本当に連絡取らなかったんですか?一言も?」
「ええ。一切。だって、彼女は東京のテレビ局勤務の人でしたし、自分は松島勤務ですし。でも、2年ぶりに彼女に会って、取材を終えて彼女が最後に俺に会わずに帰るんだって聞いて、どうしても堪らなくなったんです。苦しくて、どうしても諦めきれなくて……。周りの仲間達にも応援してもらって、せめて気持ちだけは伝えようって思ったら、彼女も同じように思っていてくれて……」

空井の話を聞いていた月嶋は、思わずカレンダーを思い浮かべてしまう。2年たってブルーインパルスが松島に戻ったニュースは月嶋も見た覚えがある。確かあれは春先だったはずだ。

「え、お付き合いされていないうちに、別れることになって2年たったんですよね?それで再会されたのが今年の春頃?ですよね?え?じゃあ……」
「そうですね。ほとんど付き合っているって言っても付き合い始めていくらもたってませんし、会えた時間を通算したら、どのくらいかな。1週間とかそのくらいじゃないでしょうか」
「1週間?!いくら遠距離でも少なくないですか?」

驚いた月嶋に、はにかんだ顔を向けた空井は、だから、惚気てばかりですみません、と呟いた。

―― だから……だったの

いくらなんでも、出会ってすぐの月嶋に呆れるほど惚気る空井がもっと能天気な人なのかと思っていた。

「空井さんって……。すごいですね」
「ええ?何がですか?自分なんて、大したことないですよ?」

にこにこと笑うその笑顔がひどく若く見えた。何とも言えない気分になって、ただ一言、口にする。

「今は、お幸せなんですね」
「ええ!すごく幸せです。本当に、彼女と出会った少し前から、自分の人生ではたくさんの事があって、ありすぎましたけど、彼女がいてくれるから力が湧いてくる気がします」

明るく応えた空井が本当に幸せそうな笑みを浮かべたのを見て、ニコリと微笑んだ。

仙台駅が近くなってきて、急に明るい街の中の電飾が眩しく感じられる。街の中はもうきれいになっていてあの震災の爪痕などわからないくらいだ。2年という時間は長くもあり、まだまだ短くもある。都内にいても同じだったなぁと思う。

同じ時間が流れているのに、昼間見ていた矢本の景色と、街の中の景色と。
月嶋の時間と空井の時間と。

「……同じ時間が流れたはずなのに、こんなに違うのに、空井さんと彼女さんの時間は一緒に流れているんですね。うらやましいです」

空井の話を聞いていると、感傷で訪れた松島だったが今は全く違う気持ちになっていることに気付く。

「偶然なんでしょうけど、空井さんに出会えてよかったです。……これから、地方暮らしだった両親が都内に住むこととか、私も都内に住んでいて時々思うんですよ。思い出さないこともあるなって。でも、忘れてるわけじゃないですもんね」

共に生きているから、“今”を一生懸命生きているからこそ。

仙台駅のロータリーについて、車を預けるよりも先に空井は停車場に車を寄せた。

「ここでいいでしょうか?自分、車を置いてから行きますから、月嶋さんはどうぞお先に」
「あ、でも」
「どうぞ。ここからは、月嶋さん自身の時間に戻るために使ってください」

どうせ東京に帰るなら、と言いかけた月嶋の言葉を遮る様にきっぱりと告げた。躊躇っている月嶋を促すようにどうぞ、と繰り返す。

ここでもし、東京まで空井と同行していたら、楽しいかもしれないが、気持ちはそのまま持って帰ってしまうだろう。持って帰った先には、月嶋自身の生活がある。この町からはかけ離れた場所に。

「それじゃあ……。助かりました。あと」
「はい」

ぎこちなくシートベルトを外した月嶋が車のドアを開けてから振り返った。

「空井さんに出会えてよかったです。ありがとうございました」

車を降りた後、空井に向かって頭を下げた月嶋は、大きな段差を上がって、車から離れた。
閉められたドア越しに歩み去っていく月嶋の後姿を見送った空井は、一度ロータリーを出てからもう一度、駅前のロータリーに入ると、駐車場に車を止める。腕時計を見ると、いつも仕事終わりに乗るよりも時間が早かった。

―― この時間だったらリカを迎えに行けるかな

夕方の通勤客で混みだすよりも少し前の仙台駅の中を歩いて、3階へ上がる。緑の窓口に向かうと、新幹線の空き状況を見るために電光掲示板を見上げた。

投稿者 kogetsu

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