「もしもし。空井です」
2週間ぶりにかかってきた電話に出るのは少し怖かった。
携帯に表示された名前に動揺して、息を吸い込んでから平静を装って出る。
「はい。稲葉です」
「今、いいですか?」
いつも電話の初めは仕事と同じだが、その後に続いた確認は、どうやらプライベートとしてかけてきたらしい。
「もちろん」
「よかった。この前はすみません。黙って帰ってしまって……」
いえ、とも、うん、ともいえなくて、携帯を握ったまま、リカが頷く。相手にはわからないだろうと思ったが、それはちゃんと伝わったらしい。
「やっぱり、ちゃんと話した方がいいと思って。明日、そっちに行ってもいいですか?」
「あ、でも今度は私の番」
「いいんだ。ちゃんとしたいのは勝手に俺が思ってるだけだから」
何かを決意しているのはその口調ですぐにわかった。どうしてもよくない想像が膨らむのをこらえて、リカは待っている、といった。
時間は、あとで連絡するからと言って切れた電話をしばらく眺めてしまう。
それまでは毎日メールもして、電話もしていたのに、2週間も何も連絡がなくて。
一度、リカの方から電話をかけたが、必ず出るはずの時間に留守電になって以来、どうしてもかけられなくなっていた。
「ちゃんと話せば?空井君と」
どきっとして後ろを振り返ると、藤枝が腕を組んで立っていた。
どうやら電話をしている姿を見かけて、その様子を見ていたらしい。
「べ、別に……」
「別にじゃないだろ?ここんとこ様子がおかしいって俺の耳にも入ってんの。なんかあったんだろ?」
報道のキャスターになったくせに、頻繁に顔を見せる藤枝から視線を外す。
どういえばいいのか、いまだにリカの胸の中でも消化できずにいるのにどういえばいいというのだろう。自分が何をしたのかも自覚がないまま、空井に放り出された形になったリカには、わかることと言えば一つだけで。
「なんか……、怒らせちゃったみたい」
わからない。
わからないとしか言えない自分が情けないが、そう言うしかなかった。珍しいと思いながらも、このところ落ち込んでいるリカのことを耳にしていた藤枝は、リカの顔を覗き込んで眉を顰める。
「また考えなしな発言しちゃった?」
ん?と顔を覗き込んだ藤枝の方は内心で驚く。いつも強気で、今までどんな時でも悔しそうな顔はみせても、こんなに今にも折れそうなほど不安な顔は見たことがなかったからだ。
わざと、半分からかい気味に話しながら藤枝はいつもの口調で先を引き出そうとする。
「地雷踏んだって自覚ないの?」
「何も……。ただ、この前、来てくれた時に遅くなって、その理由を話したんだけど」
「理由?」
頷くリカは、先日の残業になった会議の話を口にするとああ、と藤枝も頷いた。藤枝自身もその席にいたからだ。
「なるほどね。俺達にはわかんないからなぁ」
どうやら震災絡みの地雷を踏んだのだろうが、こればかりはその場にいたものにしかわからない話がある。藤枝もリカも、それを伝える立場にいるが、感情までは共有することはできない。
わかったふりをしないためにも、事実を事実として平らかに伝えていくこと。それがリカ達の仕事である。
「話してないの?空井君と」
「取材したときだけ……」
ふうん、と頷くと、休憩コーナーへとリカを連れて移動する。プラカップにコーヒーを入れてリカにも差し出すと、若干、濃いめのコーヒーをすすった。
「話した方がいいと思うよ。俺は」
「……わかってるんだけど」
「無理にする話でもないけど、お前と空井君にはどうしても」
「わかってる。わかってるんだけど、どうしていいのかわからないの」
過去に散々、触れられたくないであろう傷に触れた経緯がある。同じことはもう繰り返したくなかった。
まして、多かれ少なかれ、あの出来事は多くの人に傷を負わせている。
それはリカにしても同じではあったが、伝える人間が傷を表にだすわけにはいかなかった。相手が空井であったとしても、素直にそれを出せないのがリカでもある。
カップを手にしたまま、表面に浮かぶ湯気の輪を見ているリカの隣で、藤枝が携帯を取り出した。
誰かからのメールなのか、しばらくぽちぽちとメールを打っていたが、送信したのかしばらく画面を眺めている。すぐに振動音がして、返信が返ってきたらしい。
―― まったく世話が焼ける……
返信の中身に安心したのか、携帯をしまうと、ぴっとリカの顔の目の前に人差し指を向けた。
「そんな顔すんなよ」
「……わかってる。わかってるけど……、怖いのよ」
やけくそ気味に吐き出したのはリカの本音だろう。ぐりぐりとリカの眉間を人差し指で押すと、藤枝はひらりと手を挙げてリカの傍から離れた。
「それもちゃんと話せよ」
―― そんなふうにできたら苦労しないよ……
怖い。もう一度、手をつなぐことができたからこそ、余計に怖い。明日が来るのが、本当に怖かった。
携帯を握りしめて、もう一度、到着時間を知らせる、と言っていた空井からの連絡を待つしかない。せめて、何事もなかったようにでもいい。
空井の声がききたかった。