「まあ、稲葉さんもね。たまにはイメージが違うと、色々ね」
「あー、空井君さぁ!ちょっとメールするわ。俺もう、今日一日稲葉の秘書替わりでさぁ!メアド教えろとか合コンセッティングしろとか?このメール、全部、空井君の携帯に転送すっから」
「ちょっと何すんの?!そんなことしなくていいし!放置しておけばいいでしょ?わけわかんないことしないでよ!」
空井の態度が引き金だったのか、一日溜め込んだ苛々を抱えた藤枝が胸から携帯を取り出した。タップすれば携帯の受信ボックスには今日一日の履歴が追いかけられそうなくらい、メールが溜まっている。それを、空井の顔が引きつりそうなものから、わざと選んで転送し始める。
「ちょっと?!藤枝?冗談もその辺にしといてよね」
運ばれてきたビールに手を伸ばしながらリカが藤枝の肩をぐいっと押す。アドリブのきかない片山の顔には『やべーよ、なんだよこの空気!』とでかでかと書かれていた。
「店長~?串盛り、塩とタレでね」
鷺坂がそういうと明るい声がハイかしこまり~!と答えてくる。
流れを断ち切るつもりのはずが、全く構わずに空井もスーツの胸ポケットから携帯を取り出した。
「ありがとうございます。藤枝さん。まとめてじゃなくても構いませんよ。面倒でもそのまま転送してもらった方がメルアドもわかりますしね」
さらりと応じた空井の手の中ですでにバイブの音がし始める。くいっと日本酒を盃に注いだ鷺坂が比嘉に向かってくいっと顎を引いて片目を瞑って見せた。
「ま、ま、ね。そこは置いておいて?片山さん、式の準備はどうなんですか?」
鷺坂の合図に心得た比嘉が話を振る。そもそも、今日は片山の式の打ち合わせがあったために顔ぶれが揃ったのだ。
「あ、ああ。花とかカードとか席表とか?そう言うのは一通り決まった」
「そうですか。順調でよかったです」
にこにこと頷いた比嘉に、ぽいぽいっと口に枝豆を放り込んだ鷺坂が口を挟む。
「片山はさ、彼女のしたいようにしてあげたいって言ってさ。……こういう、なっ?」
「ちょ、やめてくださいよ。鷺坂さん」
手で何かの形を示した鷺坂を慌てて片山が止める。事前に準備しているネタをばらされたくないのか、単に照れているのか、それでも顔は幸せそうだった。
話の流れで思い出したのか、片山は藤枝の方へと向き直る。
「藤枝ちゃん、打ち合わせしたいんだけど、今度、時間作ってくれる?」
「いいっすよ。いつがいいですかね」
司会を引き受けているため、藤枝も細かい打ち合わせがいると思っていたので、今日も顔を出した。飲み会の席で詰めるわけではないが、予定だけでも顔を会せて決めた方がいい。
その時点で、藤枝の携帯の操作はメールの転送からスケジュール確認へと移動する。ひとまず、めぼしい爆弾は送りつけたからでもあるが、片山の結婚は心底めでたいと思っていたので、素直に協力する気だった。
そちらとは反対側では、柚木が焼酎を飲みながらちょいちょい、とリカの顔を近くへよこせと手招きしていた。
「で?稲葉はその格好、空井のために?ちょっと甘やかしすぎなんじゃないの?」
「ち、違いますよ。私の方がいつも自分に優しくしなさいって甘やかしてもらってるので、時々、こうして自分のキャラじゃないなって思うんですけど、可愛い系の格好も努力だけはしておかないとすぐ怠けちゃうんです」
「稲葉は怠けるくらいでいいんだよ。あたしなんかさぁ。空美を連れて歩いても恥かかないようにってこいつうるさいんだもん」
隣りに座っている槇をこっそり指差した柚木の格好は、かつてのシンプルラフな格好でもなく、いくらか女性らしさの漂う格好になっていた。よく買い物にも付き合うようになったリカがすごくいいですよ、という。
「柚木さん、もともときれいだしスタイルもいいからいいと思います」
「あんただけよ、そう言ってくれるのは」
女二人がそこで褒め合っていると、横から槇がぼそぼそと呟いた。なにせ、一番先に柚木を可愛いと言った男である。
「典子は可愛いっていってるじゃないの。それをあんたが、オッサン顔でどこにでも突進していくからでしょうが」
「うるさいな。しょーがないでしょ、長年の習慣はそんなに簡単には変わんないわよ」
「でも、柚木さんは“残念な”がとれましたよね」
さらっと話に加わった空井の服をリカが慌ててひっぱる。
「大祐さん!」
「あ、だめ?柚木さんが美人な事には変わりないからいいかなと思って……」
内緒話をする二人の距離は、見ている方が恥ずかしくなるほどの至近距離である。空井の片手はリカの背後に手をついていて、いつになく密着度が高い。
「駄目とかそういうことじゃ……。ていうか、大祐さん、近い!皆さんいるのに!」
「いいじゃん。別にみんな知ってるし」
「そうだけど、恥ずかしいよ」
見てる方も恥ずかしいっての、と突っ込んだ柚木に苦笑いで槇が小さく頷く。
藤枝になのか、メールのせいなのかはっきりしないが、明らかに何かに向かって対抗意識が動いているのは丸わかりである。リカ本人は気づいていないが、空井が密着していることが嬉しい半分、恥ずかしい半分で頬を薄ら染めていた。
それだけを見れば、これまでの二人を考えると微笑ましいで済むのだが、どうにも今日は空気がおかしい。
ちらりと視線を送れば、にこやかに会話しているはずの藤枝が、ありありとささくれ立った雰囲気を醸し出していた。
片山と予定を話した後、式をするにあたっての準備や、諸々の話を聞きながらも、隣に座っているリカと空井の密着っぷりは当然視界に入る。
―― その態度……。牽制してんのか?牽制だよな。威嚇?……いずれにしても行き過ぎじゃないのか?
一日、どこかで優越感を覚え、どこかで苛立ちをかかえていた藤枝はすでにジョッキを重ねていて、途中で安い、ハウスワインに切り替えていた。
「片山さん達はそれにしても安定してていいですよねぇ。どっかの中学生カップルとは大違いで」
にっと笑った藤枝に、初めは片山も軽く乗ってきた。
「おう!そりゃ、空井なんかねぇ、俺様とは比べ物にならないよ?」
「ですよねっ」
頷き合う藤枝と片山の二人に、せっかく話題を逸らした比嘉が微かに眉を顰めて鷺坂へ視線を送った。
盃を重ねていた鷺坂は、比嘉の顔をわざと見ないようにして、藤枝へワインのデキャンタを差し出した。
「藤枝ちゃん、ちょっとさぁ。ここは安いお酒だけど、どんどん飲んじゃって!もう、うちの子らの司会には藤枝ちゃんが欠かせないんだから」
確かに、槙と柚木の時も、司会を買って出てくれた上に、次は片山、そして空井たちである。
ずいっと差し出した藤枝のグラスになみなみと赤ワインを注ぐ。
ぐぐーっと飲んだ藤枝は、珍しく酔い始めていた。