酒と花と少しのロマンス 4

「比嘉さんっ!比嘉さんのぉ、奥様はどんなかたなんですか?」
「うちですか?そうですね。うちの奥さんはすごーくしっかりしてますよ。稲葉さんに少し似てるかもしれませんね」
「稲葉!稲葉、稲葉、稲葉!」

びくっとリカが驚いて振り返ると、酔っぱらった藤枝がグラスを握りしめたまま、テーブルに向かって半分突っ伏していた。

「なによ?」
「…………のに」

あまりに低い声で呟かれた言葉が聞き取れなくて、顔を近づけて聞こうとしたリカを空井が引き戻した。

「リカ」
「……え?」

ざわっとした空白の一瞬に、目を見開いた柚木は寒気を覚えて立ち上がった。

「槇!帰るよ!」
「あ゛?!」
「いいのっ!片山!またなっ!鷺坂室長!今度また空美を連れて遊びに行きますっ!」

察しの良さはその場にいるほかの面々にも変わらなかったが、かつてなら面白がってその場で成り行きを見守ったはずの柚木は、耐えられずに槇を引っ張って座敷から離れた。

「お、おいっ!」
「つけといてっ!」

そう言い残すと、ばたばたと慌ただしく、槙と柚木はりん串から飛び出した。
店を出てすぐに、槙が柚木の手を強く引っ張って立ち止らせる。

「典子!」
「……だって」
「あんたが逃げてどうすんの……」

槇にもその空気のささくれは感じていたが、男同士のやり取りなんて、やらせておけばいいのだと思ってもいた。所詮、自分でけりをつける以外に方法がないこともわかっているし、けりがついたとしても、男の方が後を引く。
思いきれても、想いは続いていくものなのだ。

だが、つられて立ち止った柚木は困り切った顔で槇を見上げると、手を繋ぎなおしてゆっくりと歩き出す。

「……だってさ……。あたしは稲葉のことが大好きだからあの子が悲しむところは見たくないっていうか……」
「ばっかだなぁ。空井だって稲葉さんのことを泣かせたりせんでしょうが」
「それこそ馬鹿っ!あの子が悲しまないわけないだろ?いくら過去のことだって言っても、藤枝さんと稲葉は同じ職場なんだよ?」

ぶん、と指を絡めた手を大きく振った槇がもう一度馬鹿だなぁと呟いた。

「詐欺師、鷺坂がいて、比嘉ちゃんがいて、空井と藤枝さんをほっとくわけないだろ?」

―― そうだといいんだけど……

少しだけ振り返った柚木は、母になったからなのか、今は切なさを見ていられなかった。
後で、比嘉たちから話は聞くことができるからと宥めるような槇の言葉を聞きながら、愛娘の待つ家路を急いだ。

「ふ、藤枝ちゃん。大丈夫か?飲みすぎだろ……」

柚木が槇を引きずって逃げ出した後のりん串は、さして空気が変わったわけでもなかったがとりあえず場が白けたように正気に戻りかけたのは事実だ。

テーブルに突っ伏した藤枝の前から箸や皿をどけてやって、そのままひとまず休ませることにした片山は、比嘉の手も借りてとりあえずテーブルの一角をあけた。
鷺坂と比嘉は空井とリカの目の前に移動する。槙と柚木の皿を下げてもらって、まだたっぷり残っているつまみの皿を寄せた。

「藤枝ちゃん、今日はお疲れだったみたいだね」
「そうですね。食べずに、ぐいぐい飲んでましたからね」

鷺坂と比嘉が意味ありげな頷きと同情に満ちたつぶやきを交わす。
意味の分からないリカが、困惑しながらも潰れてしまった同僚に心配そうな目を向けた。

「珍しい。藤枝がこんな風に潰れたの、初めて見ました」
「へぇ……」

妙に気のない生返事を返した空井も、いつもならジョッキ2杯目に入るはずが、いつの間にかリカの分のビールも飲んでしまって、新しい酒を頼んでいた。

「あ!大祐さん、それ、私の」
「うん、違うの頼んだから大丈夫」
「大丈夫って……」

呆れたリカの目の前に、ジュースのようなカクテルをおいて、自分にはビールを置いた。
こちらもか、と鷺坂は逆に空井の目の前からつまみの皿を遠ざける。

「いいから、いいから。稲ぴょん。たまには空井にも底が抜けるくらい飲ましてやりなさい。代わりに稲ぴょんは食べてね」
「はぁ……」
「稲葉さんが可愛かったんで、藤枝さんも空井さんもお酒が早く回っちゃったんですよ。気にしないで大丈夫です」

大人二人に、いいようにあしらわれるのもだいぶ慣れてきたが、さすがにそこは素直に頷けなかった。

「比嘉さん。それって、比嘉さんや鷺坂さんには通じないところがやっぱり可愛くないって証明になりません?藤枝も大祐さんも本当は私が可愛いなんて思ってもいないでしょう?」

たまたま、藤枝は付き合いが長いから、空井は夫だから、ひいき目と同情でリカへの点が甘くなるのだろうが、比嘉と鷺坂が微笑ましい、という程度で済んでいたのだから、本当に可愛いはずがないと思っていた。
そんなリカを背後から空井が腕を回して、比嘉と鷺坂の目の前で抱きしめる。

「リカは、可愛いんですっ……!」
「ちょっ!!大祐さん?!」

胸元のあたりをぎゅうぎゅうと抱きしめてくる空井に驚いて、その腕を外そうともがくリカをよそに、大祐は片手を伸ばしてぐいっと酒を飲む。

「大祐さん!飲みすぎだってば……」
「いーから、いいから。稲ぴょん、もう少しだけ我慢してやって」

―― そうすりゃ、もうすぐ空井も寝ちまうから

ぱちん、ときれいな鷺坂のウィンクを見たリカは、諦めて空井の腕を軽く叩くにとどめた。

「鷺坂さん、今日はなんだか変ですね」
「そう?比嘉が言うとおり、稲ぴょんが可愛すぎたんじゃないの?そこはおいちゃんを信じなさいよ。邪魔しないから」
「邪魔って……」

頬を赤らめたリカに温い笑みを向けて比嘉が片山を振り返った。気づけば静かだと思っていた片山は彼女相手にメールをしているらしい。俯いて必死に携帯を操っていた。

「いなば、さん?」
「はいはい。大祐さん、なんですか?」
「へへー。離しませんよー」
「もう、わかりましたけど!重いですってば」

ぐりぐりとリカの肩に顔を押し付けている空井を驚く風でもなく、比嘉と鷺坂は生暖かく見守っていた。

投稿者 kogetsu

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