夏の終わり秋の始まり 1

「はい。以上となります。……ところで、皆さん、夏休みはどうされるんですか?」

とんとん、とクリアファイルに入れた書類をバッグにしまいながらリカが大祐に問いかけた。

「あ、僕らは……」

大祐はフロア内を振り返ってから正面に向き直る。

「決まった休みはないので、一応、お盆のあたりでみんなでそれぞれ休みを取ります」
「あ……。なるほど」
「稲葉さんは?」

何気ない問いかけだったが、一瞬答えることに間が空いてしまう。その間は、この広報室ではいじってくれというようなもので、まずいと思った次の瞬間にはすかさず片山が口をはさんだ。

「空井。お前、何稲ぴょんの休み聞いてんだよ」
「や、別に」
「あ~?や~らしいなぁ」
「違いますよっ!」

よせばいいのに、ドストライクな大祐の反応は、周りにいじってくれというようなものだ。

「片山一尉、空井二尉はやらしいんじゃありません。ちょっと、気になっただけですよ。ねぇ?空井二尉」
「や、あの」
「お休みだと稲葉さん、こちらにいらっしゃらなくなりますからね」
「ちがっ!」

勢いよく立ち上がると、リカが眉をひそめて止めようとする間もなく、同じように立ち上がった片山に首根っこを掴まれてしまう。

「何、何。稲ぴょん、夏休みに空井と出かけるの?」
「「はぁ?!」」

わざとだとわかっていても、さらに上を行くツッコミが投下される。
マグカップに入れたコーヒーを手にして鷺坂が登場したのは間違いなく様子を見ていたに違いない。

「え、違うの?稲ぴょん」
「違います!私は!……というか、うちの番組はもちろんカレンダー通りですから、決まった夏休みなんてありません。それぞれ、調整して交代で休みを取ります。もちろん、まとめてとるスタッフもいますけど、私は特に予定もありませんから」
「あららら。予定がないの?駄目だよ、若いのに、そんな夏休みの過ごし方しちゃ。じゃあ、稲ぴょん、調整できるんでしょ?一番最後の日でいいから、空井とデートしなさい」

……。

大祐とリカが同時に顔を見合わせてからもう一度鷺坂へと視線を戻す。

「「はぁ?!」」

思わず叫んだ二人の間を鷺坂が頷きながら横切った。

 

「いいかい。空井。お前は、こんな男ばっかりの職場で彼女の一人もいないから、企画もどことなく固い。固いってことはウケないってことだ。だから、この際、仕事から離れたところで、世の中の空気。空気ってものを稲ぴょんに教えてもらってきなさい」

もっともらしい説明をされるとなるほどと、つい頷きそうになる。
……が、はたと我に返ったリカが大祐を指さして頷いた後にあれ?と首をひねった。

「空井さん……の理由はわかりましたが、なぜ私に?」

首を傾げたリカに鷺坂は大きく首を振った。

「稲ぴょん。ここで空井を放り出すほど、稲ぴょんが冷たいことをいうとは俺は思ってないよ?いいかい。仕事とはいえ、一月、二月の付き合いじゃない空井が、こんなにも困ってるのに私は知りませんって突き放すほど、稲ぴょんは冷たくないっ」
「それは……、その……もちろん……」
「でしょう!わかってるよ。大丈夫!デート代はもちろん、空井が出すから稲ぴょんは気にしないで」

いや、そういう問題では。
別に困っているわけでは。

リカと大祐の呟きは、詐欺師鷺坂の勢いとその尻馬に乗っかった、広報室の面々によってついに聞いてもらえることはなかった。

エレベーターホールに向かったリカと、見送りに出た空井はどっと疲れ切った顔で揃ってため息をつく。

「……!」

自分の隣から大きなため息が聞こえてきて、リカはきっ、と大祐を睨んだ。

誤解を受けた、と慌てた大祐がすぐ口を開くがこうなってしまうとどうしようもない。

「あっ……!すみません。別に稲葉さんが悪いわけじゃ」
「そうですよね。どうせ鷺坂さんに押し切られただけで、空井さんは別に私なんかと出かけたくなんかないですよね!」
「違います!そうじゃなくて」
「そうじゃなくて?」

エレベータのボタンも押さずにエレベータの前で見つめあった二人の間に妙な緊張が走る。

稲葉さんだから。
思いがけなくて嬉しいから。

どういえばよいのかわからなくて大祐の視線が彷徨う。

「あの!……稲葉さんのお休みはいつでしょう。自分、合わせます!」
「……まとめてとるつもりがもともとなかったので」
「はい?」
「……もう8月の頭に二日ほど」
「えっ!」

目で見てわかるとはこのことか、というほど見事に大祐の耳と尻尾がついていればしゅん、と項垂れてしまう。
さすがにそれを見ていると、意地悪をしている気になって、ぷいっと顔を背けたリカは下に降りるボタンに手を伸ばす。

「……あとは17日です」
「えっ……?」
「8月17日がお休みです!」

ぱぁっと大祐の顔が輝いて、ぶんぶんと頭を振ってうなずいた。

「絶対、合わせます!」

ぽーん、と音が鳴ってエレベータが開く。リカがヒールを鳴らして中に入ると、大祐が満面の笑みで頭を下げた。

投稿者 kogetsu

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です