マナーモードにしている携帯が机の上で振動している。ちらっと手を伸ばしてディスプレイに出た空井大祐という名前に眉をひそめた。
あれから大祐のほうが日程を調整した、というよりも、鷺坂の鶴の一声があったらしく即OKになったらしい。
翌日には電話の向こうが想像できそうなくらい弾んだ声で電話がかかってきた。
『稲葉さん!調整できました!OKです!』
「……はい?」
『あ、休みです。稲葉さんと同じ日で休みとれました!』
「ああ……はい。わかりました」
こちらは職場のデスクだというのに、やたらとテンションが高い電話に窓際まで慌てて移動する。
『稲葉さんは朝からお時間ありますか?何時頃なら大丈夫ですか?』
「や、あの、今はちょっと……」
『すみません!僕、つい、稲葉さんに早く連絡しなきゃって……。えと、後でまたメールします!』
さすがに今休みの予定を決めろと言われても困る。リカが周りを気にして声を落としたことにようやく気付いた大祐は一旦、その場は電話を切った。
それからである。
メールと電話が一日おきに掛かってくるのだ。コールし続ける電話に出ると、明るい声が聞こえた。
「もしもし」
『稲葉さん?今よろしいでしょうか』
「なんでしょうか」
『稲葉さん、暑いのは苦手ですか?』
……はい?
昨日のメールでは、食べたいものは何ですか、で、その前の電話は今見たい映画はありますか、だった。
「あつい、は、どっちのあついですか?熱い食べ物とか、分厚いもの、とか、天気の暑いとか」
『天気です!お天気がいいほうがいいですけど、そうなると暑いですし、あまり歩いたりが苦手なのかなって』
ぱたぱたぱた。
リカには、電話の向こうで尻尾をパタパタさせている大きな犬が思い浮かぶ。
「あの……」
『はい!』
元気いっぱいの返事にうっと、言葉に詰まったリカは、ため息が聞こえないように携帯を下ろしてから大きく息を吐いた。
「あの!仕事なんで、今回は空井さんに、色々、その流行とかを知っていただく、というのが目的ですよね?」
『はい!でも、稲葉さんの好みも知りたいかなって。じゃないとせっかく一緒にいてもらうのに、つまんないじゃないですか』
そーいうことじゃなくて!!
声には出さずに口を動かしたリカは、腹をくくった。
どこまでいってもこれは仕事なのだ。あくまでも。
大祐は例によって言葉の使い方が間違っているだけで、この流れに乗ってしまうと、またいつものように思わせぶりな言い方に振り回されるだけ振り回されて、結局、舞い上がった自分がバカを見る。
「わかりました。基本のコースは私が立てます。でも、空井さんも自分で調べて、一応コースを作ってきてください。予約したりしないので、状況に応じて、お互いの立てたコースに切り替えたりできるようにしましょう」
『はい!わかりました』
「それから、事前に調べるのはいいですが、こういうリサーチはもう駄目です」
『えっ、それはどういう……』
絵文字にしたらきっと眉がハの字になっているに違いない。
そこまで想像できてしまう、自分にもがっかりするが、ここで情けをかけるといつもの流れに落ちてしまう。
「臨機応変に対応というのもやはり大事かと」
『……なるほど。わかりました』
少し、無理があるかなとは思ったが強引に大祐を納得させると、当日の待ち合わせだけ約束して電話を切った。
「……なんなの」
分厚い窓ガラスに寄りかかって、ごつん、と頭をぶつける。
大祐と疑似とはいえ、デートする、というのがどうだというのだろう。
珠輝に知られたらまたひと騒ぎされそうなので、黙ってはいるが、一度賭けに負けて珠輝とデートしたくせに、リカとのデートにはこんなにもやる気を見せられると、ついつい無駄な期待をしてしまいそうになる。
―― 珠輝の時は、急だったから準備も何もできなかっただろうけど……ってダメダメダメ!
これに何度引っかかったことだろう。
あくまで大祐に他意はないのだ。
浮かれていけばこちらがバカを見るというのに。
「今から来ていく服とか考えてる私ってなんなの!」
思わず口から飛び出した本音に、慌ててリカは口を押えた。