駅で待ち合わせましょう、とリカが言ったにもかかわらず、大祐はリカの家まで迎えに行くといって引かなかった。
仕方なく、マンションまで大祐が来ることに頷いたのだ。
ピンポーン、というチャイムの音に携帯を見る。
「……うっそ、はや」
迎えに来るといっていた時間よりも20分も早い。
「空井さん!今おりますから少し待ってくださいね」
『おはようございます。稲葉さん、どうぞごゆっくり』
慌てて部屋を飛びだしたリカは、マンションのロビーに急いだ。
「お、おはようございます!」
「おはようございます。少し早く着いちゃってすみません」
―― 少し?!
思わず突っ込まなかった自分を褒めてほしい、とリカは思いながら、準備万端で迎えるつもりがバタバタしてしまったので、なんとなく落ち着かない。
バッグも仕事の時には持ち歩かない少し小さめのバッグだし、肩にかけられないのはなんともそわそわする。
―― いや、バッグのせいじゃないな……
大祐の普段見慣れない姿のせいだろう。
スーツ姿か制服姿しか見たことがないようなものなのに、今の大祐は、白いTシャツにデニム生地のジャケットを着ている。ジャケットといっても、テーラージャケットなのにデニム生地にみえた。
「空井さん、スーツ姿しか見たことないから……。だいぶ印象変わりますね」
「あ……」
これですか、とジャケットをつまんで見せた大祐が内緒ですよ、と困った顔で内緒話をするように少しだけ近づく。
「実は着ていく服がないということになりまして……。これ、鷺坂室長がジャケット貸してくれたんです」
「ええっ!!」
「自前は中のTシャツと下なんですけど、なんか自分でも全然、落ち着かないです」
Tシャツに黒のパンツは自前なのだというが、ジャケットのせいか、とても洒落た印象である。
急に恥ずかしくなったリカは、ジャケットを取りに自分も部屋に戻ろうかと思ってしまったが、まじまじと眺めてくる大祐にたじろいでしまう。
「稲葉さん」
「……は、はい」
「……いや、なんでもないです。行きましょうか」
くるっと背を向けて歩き出した大祐に慌てて、リカは後を追った。
「空井さん。待ってください」
「あ、えと、まずどこに行きましょうか」
一瞬の違和感を誤魔化すような大祐が気になって、リカはその腕を掴む。
「空井さん。なんですか?何かあるなら言ってください。気になりますし!」
「いや……」
言葉を濁して顔をそらした大祐の目の前にずいっと顔を突き出す。
それが、なぜか困ったような笑った顔に驚く。
「……あの、か、かわいいですね。……今日のいな……」
可愛いですね。今日の稲葉さん。
だんだん声が小さくなって、最後まで言い切れないまま、ちらりと大祐が振り返ってくるのを、こちらは目を丸くして見てしまう。我に返って、リカは掴んだ腕をそのまま引いて歩き出した。
「い、行きましょう!とにかく駅に向かって!」
「はい」
―― ちょ、可愛いとか……もう……
これは今日、一日色々と疲れそうだとリカは、心拍数の上がった胸に落ち着けと言い聞かせた。
半ブロックも歩いて大通りを渡れば、地下鉄の駅である。
「空井さんは、どこに行く予定でした?」
「えーと、銀座にでて映画とかどうかなと」
「なるほど。私はスカイツリーはどうかなと思ってました」
「スカイツリー!僕、まだ行ったことないです!」
ぱっと顔を輝かせた大祐に頷いて、駅に入るとスカイツリーまでは一本で行ける。
「嬉しいです。僕、こっちにきてほとんどどこにも行ってないんです。この前、あ……、ダーツの時、初めて渋谷に行ったくらいで」
がくん、と揺れた電車にすっと無意識なのか大祐の手が伸びる。普段から地下鉄を利用しているリカにとっては支えてもらうようなことではないが、その手が妙に心に残った。
15分もすればすぐ最寄りの駅に着く。大祐はホームに降りてから案内板に目を向けて、リカとどこから出るかと話をしながら、出口に向かう。
「稲葉さんはもう?」
「ええ。といっても、私も取材だけなので、電車では初ですね。えーと、多分こっち……」
「いってみましょう」
取材車で来たのとはわけが違う。ホームから出口までの少しのことだが、意外とここで間違うと面倒になる。
だが、大祐は子供のような顔でリカの手を握ると、迷いなく歩き出す。
「空井さん、ご存じなんですか?」
「いいえ?でもこういうの、いかにもデートっぽいじゃないですか。……て、疑似ですけど」
そういいながら新しい通路を通って、長いエスカレーターを上って。
そこが一階なのか二階なのかよくわからないが、人の流れにのってどうやら商業施設の中に入ったらしい。案内板の前で立ち止まった大祐は、リカを振り返った。
「すごい人ですけど、この中をぶらぶらってことでいいですか?」
「そうですね。それか……、水族館もあるみたいですけど」
「うーん。でも、この分だとすごいんじゃないかな」
人の流れは上に上にむかっていて、案内板を見た限りではスカイツリーに上るためか、水族館に行くためか。
確かに広さはよくわからないが、この込み具合からすると、予想がしづらい。
「んー、じゃあ、ひとまず様子を見に行って、それから考えましょうか」
「わかりました。これが成り行きってやつですね」
ぱっと目の前に差し出された手を見つめてから、リカはその手を掴んだ。
―― 空井さんって、デートなんてしたことがないようなことを言ってたけど、やっぱり整備の彼女とかほかにも、そういうひとはいたのかも……
自分自身、いい歳になっていて、大祐が言うような彼女いません、なんてことが言葉通りだとは思っていない。
昨日前の様子からリカのほうがリードするつもりでいたが、自然に手を差し出したりエスコートしようとしている姿にあれ?あれ?と調子が狂う。
エスカレーターで登り切った先の大きなガラス窓から表がみえる先に歩いていくと屋上らしくフロアに出た。
「うわっ!でかい」
周りを見渡して見上げた先、目線がさらにその上をみあげて思わず大祐が呟く。
つられて見上げたリカも思わず、おお、と呟いた。
「すごいですねぇ。高いとはわかっててもこんなに上かぁ」
ね、と顔を見合わせてタワーの足元に近づいていくと、ガラスに沿って、すごい人が並んでいた。
「げ……」
「これ……、全部……?」
夏休み中ということもあって、子供連れがおおいが、それだけではなく大人たちもたくさん並んでいる。炎天下で日傘や扇子であおいだり、人によっては頭の上にタオルを乗せている者もいる。
とりあえず待ち人数を、ともう少し近づいたところで、大祐とリカは唖然として足を止めた。
大祐があまりこちらに来てもどこかに出かけることがないと聞いていたので、場所ばかりを考えていたが、これは夏休みを甘く見ていた気がした。
「今からのチケットはもう無理みたいですね。ごめんなさい。私、オープン当時取材してたのに……」
「いや。僕も夏休みを舐めてました。すごいんですねぇ。えーと、これじゃダメ元だけど、水族館のほう行ってみましょうか」
「ですね」
かっと照り付ける暑さが肌を刺すようだ。繋いだ手のひらも汗をかいていたらと、大祐の手の中から引きかけると握りなおされた。
「どうしました?」
「あの、すみません。私、汗を……」
「ああ。何か冷たいものでも買いましょうか」
目線の先に自販機を見つけた大祐が手を繋いだまま、大股で歩き出す。自販機の前まで来ると、尻ポケットから大祐が財布を抜き出した。
「稲葉さん、どれにします?」
「私が……」
「いえ、今日は僕が!」
にこっと笑った大祐に、じゃあ遠慮なく、とお茶を選んだ。ペットボトルが落ちてきた音がして、大祐が手を伸ばす。
「はい。どうぞ」
「ありがとうございます。空井さんは?」
「僕はまだ大丈夫です。それにしても暑いですね。稲葉さん、疲れたらすぐ言ってくださいね」
電車を降りていくらもたっていないが、表の気温は予想最高気温で30度を軽く超えている。すでに服の下にはジワリと汗がにじみ出していた。
まだ残っているお茶をバッグにしまって、リカが顔を上げると再び大祐が手を伸ばす。冷たいペットボトルで少し冷えた手を伸ばした。
同じように、水族館のほうも、長蛇の列がつづいていて、どうにもならないだろうと踏んだところで、施設の中に入る。
諦めてソラマチの中をぶらりと歩くことにした。
「はは、なんかすごいですね。僕、こういう場所に来ることってほとんどないんで、こんなに混んでるんですねぇ」
「確かに混んでますけど、まあ……。このくらいならまだいいんじゃないですかね?」
「そうなんですか?」
自然と笑みが浮かんで、つないだ手をリカも無意識に引いてしまう。水族館へと続くフロアは、あまり店もおおくないので、一つ下のフロアに降りると、大祐があんぐりと口をあけそうなくらい呆れている。
「そうですよ。特に、ここは浅草も近いので、海外の方も多いですしね」
TV局の関連ショップがたくさん入っている中には帝都くんもしっかり顔をだしていて大祐があれ、と笑う。
眉間にしわをよせたリカは休みの日まではさすがに、というと、他局のドラマグッズなども興味津々で眺めている。ぐるりとひとまわりしてから一度外に出て、反対側の施設へと向かう。
今度はいろいろな店が並ぶ中をあれこれと見ながら歩く。
「なんか……、いいですね。こういうの。初めてです」
「楽しんでもらえてよかった。空井さん、お腹すきません?」
「んー。そうですねぇ。あ、もう昼過ぎてる」
時計だけはいつもと同じ、大きな手に似合っている時計をみた大祐が呟いた。
この施設の中にもたくさん食事がとれる場所があったが、これだけの人だ。空いていることはないだろう。
「空井さんが立てたプランはどういう予定でした?」
「映画見て、銀座か有楽町か、そのあたりで稲葉さんが食べたいものをとおもってましたが、ここでは……」
「じゃあ、空井さん。食べ歩きとか大丈夫ですか?」
「好きですけど……?」
店でゆっくりとこだわらなければ、このままということもできる。
今度はリカが大祐の手を引いて、回ってきた道を戻るように歩き出した。
一旦外に出たので不思議そうな顔をしている大祐に、ふふっと笑ったリカが指さしたのはカップ状の容器に入ったポテトスナックで有名な名前が出ていた。
「まずはこれから」
「えー。ここで?」
驚く大祐を連れて、店の中に入った。