「稲葉さん、お饅頭食べます?」
「……空井さん、どうぞ」
「えー?おいしそうですよ?」
リカのほうが食べ歩きしようと言い出したはずなのに、歩き出して仲見世に入ったあたりからリカの口数が少なくなる。
大きな提灯の下をくぐってからすぐ、見かけたふかし饅頭につられた大祐はリカの手を引いてそちらへと近づいた。
「半分ならどうです?」
「……はい」
「暑いですよね。やめましょうか?」
「いえ!それは!ちゃんとお参りしましょう?それに空井さんと一緒に回りたいんです」
暑さで思考能力が落ちる、というのは多少なりとも誰にもあるだろうが、今のリカもそれに近い。ソラマチの中は駅からまっすぐで冷房が効いていなかったのは表に出た少しの間だけで、ほとんど涼しい中を歩き回っていたから元気があったが、浅草まで徒歩で十数分。
暑さもあり、浅草についてお茶をするまではまだ元気もあったのに、一休みしてほっとしたからだろうか。
余計にリカには暑さが堪えているようだった。
んー?と大祐がリカの顔を覗き込むと、へにゃっと気の抜けた顔で笑うくらいの元気だけはまだあるらしい。
苦笑いを浮かべながら、大祐と一緒に回りたい、といってくれた頃が嬉しくて、ポケットから財布を取り出した。
一つを買って、熱い饅頭を一つ手にしてから大祐は一口分だけ手で割る。
「稲葉さん。はい。一口だから」
そういって、リカの顔の前に差し出すと、少しだけ困った顔で大祐を見たが、どうやらそれは饅頭を食べる方らしい。差し出された指からぱくっと素直に口にしたリカは自分の口元を押さえて、何とか飲み込もうとする。
―― あー。ここで可愛いって呟いたら怒られるんだろうなぁ……
大祐の手から食べる、というシチュエーションも可愛い。少しだけ今はリカから気を張ったところが抜け落ちていて、暑いのも悪くないな、と思う。
残りをあっという間に腹の中に収めた大祐は再びリカと一緒に歩き出す。途中は外国からの土産物がメインなのか、日本人が見れば笑ってしまうようなものもある。
「すごいな。べたな土産物ってまだあるんですねぇ」
「浅草はそういうお土産物って多いですよね。空井さん、ああいう子供のおもちゃとか持ってなかったんですか?」
「えーと、僕は……」
ブルー、と口にしたら呆れられるかと思ったが、リカのほうが声には出さずに口の動きでブルーインパルス、と伝えてきた。
「正解です」
「ですよねぇ。私は、いかにもな女の子のおもちゃより弟とあそんだりもしていたので、こういうのとか……」
「えー?稲葉さんが忍者グッズですか?」
「やりません?子供って。こういうのでやりあったり」
ゴム製の手裏剣や柔らかいおもちゃの刀を見てリカが指の先でちょい、とつつく。
さすがにそれらはあまり手にされていないのか、ビニールに入って、少しそれもガサガサになっている様子に顔を見合わせて笑う。
ふと、その並びに、扇子の店を見つけた大祐は、リカの手を引いてその店に近づいた。
「稲葉さん、暑いでしょ?扇子とかどうですか?」
「空井さん。……、これ普通の扇子じゃないですよ?」
「え?違いがあるんですか?」
ひょい、とみると確かによく見かけるものより大きいが、扇ぎやすいんじゃないかくらいにしか考えていない大祐に、リカが笑い出した。
「空井さん、見ればわかるじゃないですか。これ、日本舞踊とか飾ったり、お土産物にするようのやつですよ。普通の扇子はもっとこういう感じのです」
そういって、リカがバッグから小ぶりなセンスを取り出して見せる。
なんだ、持っていたのか、と拍子抜けした大祐に広げた扇子で風を送ってくれた。
「稲葉さん。扇子、持ってたなら使ったらいいのに」
「私だけ使うわけにはいかないじゃないですか。空井さん、暑くないんですか?」
「正直暑いです」
とはいえ、いまだにジャケットを着て頑張っているのは、リカの隣を汗だくのTシャツ姿で歩くのはなんとなく気が引けたからだ。
「ジャケット脱がないんですか?」
「……えーと、邪魔になりますし」
そういいながら次の店に足を向けると、フルーツを使ったかき氷の店にリカが目を輝かせた。それに気づいて、素直だなぁと思った大祐はリカの手を引いて店の前にできていた行列に並んだ。
「稲葉さん。食べるでしょう?何がいいですか?」
「私は……やっぱりマンゴーかな。空井さんは?」
「僕は……、あのミックスにします」
少しずつ自然に、手を繋いで寄り添って。
顔を見合わせたリカのほうから今度は口を開いた。
「少しずつ分けましょうね。私にも一口ください」
「いいですよ。稲葉さんもくださいね」
「もちろんです。ここ何年か、台湾風かき氷は人気ですよね。あと、氷の中にここみたいにフルーツとか入れたやつも」
「そうなんですね」
暑いが、周りもそのせいなのか、皆話し声が大きくて、成り行きで二人の距離が近づく。
「なかなかこういうのも食べる機会ないんで楽しみですね」
「そんなものですか?航空祭なんかだと一杯、お店でてたりするじゃないですか」
「あんなの自分たちじゃ食べられませんよ」
そういいながら並ぶ列が進んで、二人分を注文する。すぐにカウンターの奥で氷を削る音がして音がして、大祐は差し出された二人分のかき氷を受け取った。
「きゅうりとかこんな場所でもあるんですね」
「ぬれせんべいっておいしいんですか?」
「コロッケって話題だって前に稲葉さん言ってましたよね?」
仲見世もほとんどおわりになり、いよいよお参りをするという少し手前でリカがため息をつきながら呆れたような顔を向ける。
「空井さん。一体どこにそんなに入るんですか?」
「はい?」
「結構食べましたよね?」
大祐にとってはまだまだといいたいところだが、リカにはもういっぱいいっぱいらしい。その呆れ顔に申し訳ない、と首をすくめた。
お参りを済ませて、お守りをと眺めて始めたところでリカが交通安全を指さす。
「空井さん、運転するから交通安全とかどうですか?」
「あー……。僕、今年のは新しくしちゃって。というか、親から毎年来るので……」
「それは……、ほかのは駄目ですね」
もやもやと会話しながらリカに何かと思っていた大祐にグリーンのお守りが差し出された。
「空井さん。これは?」
「良縁って……」
どう反応していいのかわからずにいると、リカがもう一つピンクを手にした。
「私たちにはいいと思いません?」
「え……。……えっ?!」
「空井さんは、広報官としていい縁がありますように、私も取材しますからいい縁がありますように。ね?」
「あ、ええ。ええ、そうですよね。いいですよね。じゃあ、稲葉さんも」
心の声が聞こえるなら全力のやけくそで『ですよねー』と聞こえてきそうな気がする。だが、ここは乗るしかないと判断して、大祐はピンクと緑の二色の守りを手にして差し出した。
気を利かせてそれぞれを袋に入れてくれたものを受け取ると、ピンクのほうをリカに差し出す。
「はい。稲葉さんの分」
「ありがとうございます。お揃いですね」
「……はい」
―― 無意識の稲葉さんって……
無理矢理笑顔を作った大祐にリカはにこっと笑った。
「……凶悪ですね」
「……凶悪だな」
大祐が大事そうに握っているお守りを見てデートはどうだったのかと締め上げられた挙句、窓際の応接スペースで比嘉と片山を前にお守りを手の中に握りしめる。
「……凶悪って、どの辺がですか?」
「どの辺もこうもな……、いや、お前には通じないか」
片山は口元をへの字にして手をひらひらと振った。
隣に座っている比嘉は曖昧に頷きながら、続きを促す。
「それで?それからどうしたんですか?お参りをしたとして……、それでも三時がいいところでしょう?」
「それからは……、移動して銀座でお茶してそれだけですよ」
「それだけ?それだけってお前なぁ」
お前なぁと言われた大祐は帰り際を思い返す。
確かに移動した後、リカを再びお茶をして、夕食を食べて、最寄り駅まで送り届けた。
「楽しかったです!ありがとうございました」
「よかったです。鷺坂さんの言ってたような空気感をお伝え出来たかわかりませんが」
「十分です。ありがとうございます」
ぴし、と頭を下げた大祐にリカも同じように頭を下げた。すっかり今日一日大祐に出してもらい、世話になったのだ。
「こちらこそすっかりお世話になりました」
「いえいえ。あの……、稲葉さん。また、今度誘ってもいいでしょうか、その仕事としてです、もちろん」
「あ、ああ。そうですよね。仕事……。はい、もちろん」
仕事を口実にした大祐と。
仕事だという口実に落胆したリカと。
口には出さずに顔を見合わせて本音を隠した笑みを浮かべた別れ際が大祐の胸をざわつかせた。
「稲ぴょんと、次のデートの約束でもしなかったの?」
背後から鷺坂が飄々と姿を見せた。
「……っ!」
「したんだ?」
「いいいいえしてないです!全然っ」
「ふうん?」
意味ありげな視線を向ける鷺坂に大祐は飛び上がって首を振った。
じーっと見つめられた大祐は、その目に見透かされるような気がして、身を竦ませる。
「空井?」
「はい」
「お前は元パイロットだろう?いいかい?俺たちの専売特許は専守防衛。攻撃されたら守るのは当たり前。でもね、いざとなったらのために、訓練も必要」
「はぁ……」
鷺坂が何を言いたいのかよく読み取れずに眉をひそめて首を傾げた空井と同じように首を傾げた片山の周りで、比嘉と小暮班長だけは苦笑いを浮かべた。
それはまだ若い空井には無理だろう、という視線の会話に鷺坂はもう一歩踏み出す。
「稲ぴょんも、たまには責められてみるのもいい勉強だと思うよ?」
「はぁ……」
デートの話から急に攻守の話に大祐は今一つ飲み込めなかった。
「稲葉さんがお守りってなんか……」
「いいでしょ!別に」
「だって。そんな縁結びのお守り持つくらいなら合コン行きましょうよ」
ピンクのお守りを珠輝にからかわれたリカが言い返す。
あの時、イチかバチかのつもりで、リカはいろんな人との良縁と言いくるめて縁結びのお守りを押し切った。何か一つ。大祐とつながる何かが欲しくなって、デートの記念のつもりで言ってみたのだ。
きっと大祐にはわからなかっただろうが、いつも大祐のおかしな話の持って行き方をわざと真似して。
少しでも、たまには意趣返しではないが、大祐も動揺すればいい、と思ったが果たして伝わったのかどうか。
「いいの。これはこれで」
「そんなに効き目があるんですか?」
「あると思ったらあるの!」
次のデートの約束まではいかなかったが、また誘う、と言った大祐に頷いたのだから。
「次は」
リカが。
「次は」
大祐が。
秋は景色が青空から色とりどりに変わる。二人の間の縁も。
—end