艶色と桜色の春 ~八分咲き

大祐がまだ機嫌よくビールを飲んでいるうちに、リカは携帯を握ったまま眠ってしまった。

ゆらりとベッドが揺れて大祐が隣に横になったので、眠りかけていたリカは薄っすらと目を開ける。小さな明かりだけになった部屋の中で、お酒の匂いをさせた大祐が気持ちよさそうにリカを抱きしめて嬉しそうに笑った。

「大祐さん、本当に機嫌よさそー……」
「ふふ。実はね。先月くらいに異動、あるかもってきいてたんだよねー」
「本当?」
「うん。でもねぇ、ならないといいなぁって思ってたんだ」

ほんの少し緊張したリカに気づかず、うっとりと機嫌のいい大祐はにこにこと話を続ける。

「わかってるよ。わかってるんだけど、リカと一緒にいたいなーって思ってさ」
「……じゃあ、だから、ずっとその、べったりしてたの?」

少しずつリカの声が固くなる。

「だって、リカが仕事好きなのわかってるし、一緒にいこっていえないでしょ?」
「そうだけど……」
「だから、せめてリカが俺がいないと寂しくて一緒にいたくなっちゃうようになったらいいなーって……」

機嫌よく大祐が話していた途中で、ぐいっとリカが大祐の胸を押した。

「……え?」
「それ……、それって、私が大祐さんがいなくても平気だと思ってるってこと?」
「え?いや……」
「私が、大祐さんが異動してもなんとも思わないって思ってたの?」

ベッドに起き上がったリカの顔がこわばっていることに気づいた大祐は自分の何がリカを起こらせたのかわかってなかった。

「だって、そういうことでしょ?一緒に来いっていえないとか、仕事が好きだとかいうけど、だから私が平気だってこと?!」
「そうじゃない、そうじゃないよ!ただね、リカの」
「それであんな……、あんなふうに私のこと抱かないと私が平気でいるって……」

見る見るうちに涙が盛り上がってきたリカの目を見て、一気に酔いのさめた大祐が青ざめた。

「違っ、違うよ。ただ、ただね」
「ひどい……!」

本気で殴るつもりがなかったにせよ、リカは拳を振り上げて大祐の肩を打った。
リカに詫びようとしていただけに、バランスを崩した大祐をそのままリカは力いっぱいベッドから押し出す。ずるっと滑り落ちた大祐にぼろぼろ泣き出したリカは枕を振り上げる。

「馬鹿ぁ!空井さんの馬鹿っ!大っきらい!」
「ごめん!ごめんってば!!だから話を……」

両手でリカの枕を受け止めながら、何とかとりなそうとするが、ますますリカはエスカレートしていく。

「そんっな風に思ってたのね!」
「違うから!!お願いだから話を」
「聞かない!!今日はそっちで寝て!!近寄らないで!!」

心配した分だけ腹が立って、大祐がそんなわけじゃないといっているのも耳にははいっていたが、頭に来て感情的になったリカはそのままタオルケットを引き寄せると背をまるめてベッドに横になってしまった。

起き上がって、リカにもう一度話をしようとしたものの、頑なに背を向けた姿を見た大祐はため息をついて伸ばしかけた手を引っ込めた。
しばらくその場でじっとしていた大祐はリカのすすり上げる様子にポツリと呟く。

「……ごめんね。リカ。お休み」

そっと後ろに下がった大祐はソファに横になると、タオルと毛布をかけて目を閉じる。
とんだ誤解でリカを泣かせてしまったものの、なんだか顔が緩む。

―― だって、嬉しいっていったらもっとリカは怒るかもしれないけど……

やはり、これだけ怒るほど大事に思われてると思ったら嬉しい。リカの愛情を疑ったわけではないのだが、それでも嬉しいと思うのは悪いだろうか。

―― 明日、起きたら一番に謝ろう……

いつの間にか静かになった部屋の中でそう思った。

ところが、朝目を覚ました大祐はさらに青ざめることになる。

酒を飲んでいたから、多少の物音では起きなかったのは確かだが、青くなったのは、目が覚めて起き上がった大祐はベッドの中が空っぽになっていたからだ。

「えっ?えっ?!」

慌てて飛び起きた大祐はタイマーでついたテレビにまだ時間が早いことを確認しながら部屋の中を見て回る。バスルームにもトイレにも他の部屋にもリカの姿がない。

慌てながらも部屋の中を見て歩いた大祐はリカの服と、いつものバックがないことに気づく。

「……やばい」

さすがにまずいと思った大祐は携帯を手にしてリカにメールを送る。

『リカさん、おはよう。いまどこ?』

携帯をおいて顔を洗いに向かった大祐は、冷蔵庫をのぞく。大祐の分なのか、ラップされたサンドイッチが入っている。
こんなことをしていくくらいなら、素直に起こせばいいのに、そうしないのがリカの意地っぱりなところだ。

大祐が支度をして着替えている間に携帯が鳴る。

『おはよう。放っておいて』
『そういわないで。ごめん。ちゃんと謝りたいんだ』
『知らない』

それでも律儀に応えてくるリカに苦笑いを浮かべて、大祐は仕方なく家を出る。

この分なら夜には、普通に帰ってくるだろうからそれから話をするしかない。もう一度、ごめん、と帰ったら話そうと送って仕事にむかった。

投稿者 kogetsu

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